婚約破棄と計画的逃亡及び強奪 07
婚約破棄。悪役令嬢。今日この日に至るまで、ベルスレイアが忘れていた言葉である。
正確には、忘れていたわけではない。ただ、今の自分とは縁遠いものだと思っていた。好き勝手に生きてきた日々が、自分のゲーム上での役割というものを忘れさせていたのだ。
故に、主人公の姿を見た時には驚いた。ベルスレイアは、自分が『ベルスレイア』であると自覚した。
だが、驚愕はそこまで。サティウスに婚約破棄をされた段階で、既に落ち着きを取り戻していた。
「婚約破棄はいいとして、理由を訊いてもいいかしら?」
故にベルスレイアは、そう尋ねた。ゲームとあまりにも違うこの世界。この状況。それでもサティウスに婚約破棄する理由があるとすれば、何故なのか。
ゲームでは、ベルスレイアが主人公に対して行った数々の仕打ちが理由となっていた。だが、この世界でベルスレイアと主人公は初対面である。故に、何か他の理由が存在するはず。
と――ベルスレイアの興味は、既にこの世界とゲームの差異へと移っていた。
「そういうところが、サティウス様を傷つけたんです!」
だが、ここで予想外なことに、主人公の少女が口を挟んできた。ベルスレイアは眉を顰め、主人公を一瞥する。
「彼女は?」
サティウスに問う。
「僕の新たな婚約者。ハーバー男爵令嬢の、ミスティだ」
この答えは、ベルスレイアの予想通りであった。主人公はサティウスと結ばれる場合、ハーバー男爵という老人の家へ養子として迎え入れられる。ゲームでは、その過程でサティウスやベルスレイアと一悶着あったはずなのだが。この世界では、ベルスレイアの知る限りハーバー男爵は話題にも上がったことがない。
そして、主人公の名前は特に設定しない場合、ミスティというデフォルトネームが存在している。故に、主人公の名前が『ミスティ・ハーバー』となるのをベルスレイアは予想していた。
そして予想は的中していたと、サティウスの発言により確認出来た。
「で――その霧だか煙だか知らないけれど。何が言いたかったのかしら。聞いてあげるわ、話しなさい」
だがベルスレイアは主人公、ミスティの名を呼ばない。不遜な態度で話の続きを促す。例え主人公であろうが、ベルスレイアにとっては等しく価値が無い。当然の対応と言える。
「……話は聞いています。獣人を助けたい。その気持ちは立派です。でも、そんな貴女の為を思って、真剣な意見を投げかけたサティウス様を、よりにもよって無視したそうじゃないですか」
言われて、ベルスレイアは首を傾げる。無視など、しただろうか。価値のないゴミを視界に入れて遊ぶのを止めた覚えはある。だが、そもそも対等な対話自体存在しなかったのに、無視など出来ようはずもない。
まさか――こいつら、自分をこの私と対等だと思っているの? と、ベルスレイアは気付く。愚かで役立たずのサティウスは、この期に及んで勘違いをしているのだ、と。
ベルスレイアが猫を被り、サティウスを騙していた。それに、今でも気付いていない。ベルスレイアの急変を、ただ機嫌を損ねた故の我儘だと思っているのだ。
舐め腐ってくれるじゃないの。どこまでこの私を馬鹿にすれば気が済むのかしら。と、ベルスレイアは考えた。怒りが沸々と湧き上がる。
だが、まだ理性を失うほどではない。感情が爆発するほどではない。
であれば――ここは話を聞いてやろう。その上で、思い上がりの程度に応じて断罪しよう。
ベルスレイアが我慢を選んだからこそ、今はまだ無事で済んでいるサティウスとミスティ。だが、当人達は気付いていない。自分こそが断罪を――ベルスレイアの思い上がりを正すのだ、と語り始める。
「確かに、獣人を救いたいという気持ちは立派です。私だって、同じ気持ちです。けれど――いくら立場が違うからって、サティウス様の意見を無視していいわけじゃないんです。ちゃんとお互いの話を聞いて、差別する人、される人の両方の事情を知って。それで初めて、誰かを助けることが出来るんです」
的はずれな想定をした上で、ミスティは語る。そもそも、ベルスレイアは獣人差別についてさほど思うことは無い。非合理だな、とは思っている。だが、差別をなくすべきとは考えていない。
救うべきものは救う。それは自分と、自分の所有物だけ。これだけが、ベルスレイアの理論。故に、ミスティの言葉は始まりから全て誤りである。
だが、自分が間違っているとも気づかず、話を続けるミスティ。
「なのに貴女は、サティウス様の言葉を無視した。拒絶した。獣人を大切に思うあまり、意見を交わすことを否定した。それは――同じなんです。獣人の意見を聞かない、獣人を差別する人と同じなんです!」
ミスティは、ここぞとばかりに声を張り上げて宣言。だが、ベルスレイアには全くひびいいていない。
そもそも、である。大前提として、ベルスレイアは差別主義者である。自分とその所有物以外に線を引いている。線の外側に居る者に容赦はしない。死のうが苦しもうがどうでも良い。
だが、内側の者は守る。自分の次に尊び、丁重に扱う。それが、自分の所有物に対するあるべき態度である。
故に差別主義者だと罵られても、ベルスレイアには何の効果も無い。当の本人が、全くその通りだ、と思っているのだから。
だが――これについても、ベルスレイアは反論しない。
……叩き潰すなら、いつでも出来るもの。今は好きに喋ると良いわ。この私が罪を数えてあげるから。
そう考えると、怒りが幾分か収まる。
この時、ベルスレイアは気付く。自分に逆らう者共にも、価値があるということに。こうして好きに喋らせて、裁く。相手が愚劣であればあるほど、裁きの瞬間は爽快であろう。
つまり――彼らは不愉快でこそあるが、ベルスレイアを喜ばせる為に存在していると言える。
この私を楽しませるために愚かでいれくれるなら、有り難く遊ばせて貰うわ。
と、不遜な思考を巡らせながら。ベルスレイアはぎらり、と鋭く酷薄な笑みを浮かべた。