婚約破棄と計画的逃亡及び強奪 05
逃亡計画発令から三日後。準備は、瞬く間に完了した。
というのも、そもそも逃亡に準備自体がそれほど必要でも無い。ベルスレイアは収納魔法、及び潜影のスキルを駆使し、日頃から資産を溜め込んでいた。食料、財宝を自らの内側に溜め込んでいる為、出ようと思えばいつでも国を出られる。
しかし、それはあくまでベルスレイアだけの話。信者達、そしてシルフィアとルルに関しては、最低限の準備が必要であった。
尤も、それも数日で終わる程度のもの。国を出て旅をし、他国に移る。その道中で必要なものは全てベルスレイアが集めている。故に、個人的に必要なものを纏めるだけで十分だった。
最低限の準備に一日。そして、ベルスレイアが逃亡とは別に特別な『指示』を出した為、その準備でさらに一日。
そうして準備が完了した翌日、つまり三日後の朝。逃亡計画は実行段階に推移した。
――フラウローゼス家の中庭にシルフィアとルル、そして『指示』を受けていない黒薔薇や白薔薇の面々が並んでいた。
一同の前に立つのは、ベルスレイア。
「――さて。いよいよ計画遂行の日が来たわ」
一同を見回しながら、ベルスレイアは語る。
「この世で最も尊き私の為、今日まで立派に仕えてくれた貴方達を、私は私の次に大事に思っているわ。当然、貴方達にも私と共に国を捨ててもらう。必ず連れて行くわ」
その宣言は、見方によっては誘拐、拉致宣言でもある。だが、嫌がる者は誰一人としていない。ベルスレイアの所有物として同行できることに、至上の幸福を感じる者ばかりである。
「けれど、この国は貴女達とは違う。この私を敬えない。この私に何も捧げない。この私を侮り、都合よく利用し、支配しようとしている。……こんなにも許せないことは、他に無いわ」
ベルスレイアの言葉で、白薔薇、黒薔薇の面々の表情に怒りが交じる。ベルスレイアの不評を買うこの国、サンクトブルグこそが悪である。それが、信者たる一同の総意。
「だからこそ、私はこの国を許せない。逃げるような真似は出来ない。――そう、これは逃亡ではなく攻撃よ。愚かにもこの私と敵対してしまった、サンクトブルグの思い上がりを破壊する為の戦い。戦争であり、闘争であり、断罪であるッ!」
ベルスレイアの言葉が続く。白薔薇、黒薔薇達は誰もが感動し、感極まっていた。偉大なる、至高の貴人ベルスレイア。その尊さを理解できない愚劣な禿猿共に、いよいよ正義の鉄槌を下す時が来たのだ。――と、信者であるが故の陶酔的な考えに浸っていた。
「さあ――行きましょう。私の、私達の敵を潰す為にッ!」
ベルスレイアは、最後にそう呼びかけた。これに、信者の一同は歓声を上げる。口々に国を罵り、ベルスレイアを称える。黒薔薇は拳を振り上げ勇ましく。白薔薇はベルスレイアに礼をして慎ましく。それぞれのやり方で士気を高めていた。
そんな折に――ルーデウス・フラウローゼスは運悪く出くわしてしまった。ベルスレイアに用件があり、足を運べば屋敷の使用人が不穏な集会を開いている。その中心人物はベルスレイア。理解し難い、許容し難い状況ながらも、ルーデウスは本来の用件を思い出し、ベルスレイアに近づく。
「ベル。少し話があるんだが、いいかな?」
「何かしら。今、私は機嫌が悪いの。今この場で話せるなら話しなさい」
ベルスレイアはルーデウスを一瞥し、その後無視でもするかのように顔を反らしてから言った。
「実は、王宮から先程使者が来てね。君に緊急の召集がかかっている」
「……どうして?」
ルーデウスの出した話題に、ベルスレイアは眉を顰める。今まで、ベルスレイアが王宮に召集されるようなことは無かった。一度も、である。
だというのに、この段階で緊急の召集。あまりにも、不自然なタイミング。まるで、ベルスレイアが国外逃亡を計画していると理解しているかのような動きである。
そこでベルスレイアは考える。仮に、国が逃亡計画を把握していた場合。恐らく妨害が入るはずである。
しかし、それ自体は問題ない。黒薔薇、白薔薇を連れて逃亡する以上、彼女達を守りながら逃亡することも計画として織り込み済み。妨害を突破する為の準備も、力もある。
ただ、最も懸念すべきはリーゼロッテの存在である。リーゼロッテは、現在も王宮にある尖塔に幽閉されている。予定としては、この後ベルスレイアが直接誘拐に馳せ参じるはずであった。そのことも、昨夜のうちにリーゼロッテに伝えてある。何事も無ければ、何の障害も無く連れ去ることが出来たであろう。
だが、これから王国側の妨害が始まるとすれば話は違う。リーゼロッテを誘拐するまでの間に邪魔が入れば、リーゼロッテとの合流が遅れる。場合によっては、リーゼロッテを人質に利用されるかもしれない。
もちろん、可能性は極めて低い。リーゼロッテのステータスは飛び抜けている。無力化し、人質にしようと思えば、それこそベルスレイア並みの圧倒的な力を必要とする。ベルスレイアの側でも、リーゼロッテと対抗できる戦力ともなればシルフィアとルルの二人だけ。王国側が、リーゼロッテをどうにか出来るとは考えづらい。
しかし、可能性が無いわけではない。となれば、今動くのは得策ではない。従順なフリをして、王宮に向かう。そこで行動を起こせば、リーゼロッテの居場所は近い。フラウローゼスの屋敷から行動開始するよりは、遥かにリスクが低い。
当然、その代わり王国側の罠に嵌められる可能性は上がる。が、そこはベルスレイア。自分をどうにか出来る罠などあるはずがない。と、過剰な自信でもってリスクを低く見積もる。
何にせよ、この場では大人しく従う方が良い。リーゼロッテとの合流という視点で言えば、の話だが。
「――分かったわ。王宮に顔を出してあげる」
ベルスレイアは、不敵な笑みを浮かべ、ルーデウスに応える。
それに、よく考えてみれば。王宮のど真ん中で――今回の計画を実行するのも悪くないもの。と、ベルスレイアは考えていた。