運命との邂逅 10
サティウスの説明は続く。
「そしてこの国が獣人を冷遇する国である以上、それに逆らうのは大きな不利益となる。確かに、我が国以外で獣人は人間と平等だよ。だけど、この国はそうじゃない。獣人を平等に扱うことで、多くの人間が損をする。怪我をする。傷つく。時には、死ぬことだってある。そういうふうに、この国は出来ている。出来てしまっているんだ」
サティウスの言葉は真実である。
ベルスレイアの態度や思想によらず、国は獣人を差別する。獣人を差別する国で獣人を平等に――つまり優遇して扱えば、必ずどこかで不和が起こる。納得のいかない人間が問題を起こす。獣人に与える分を人間から搾取しなければならない以上、それは避けられない。
そして争いになる。獣人を平等に扱ったために、獣人と人間が争い、共に傷つく。差別するよりも、よほど凄惨な結果となる。
であれば、差別していた方がマシなのだ。
国や歴史は変えられない。少しずつ変えていくしか無い。である以上、一人でも多くの人間を――そして獣人を救おうと思えば、獣人を差別する他ない。
「確かに、平等という思想は素晴らしいよ。けれどベル。それで結局、獣人を苦しめていては元も子も無いんだ。君は――公爵令嬢だろう? 民のため、人のため。そして獣人の為を思うなら、差別しなければならない。君自身の正義感や思想は、そこに挟まる余地は無いんだ」
それは、一つの正論であった。確かに、獣人の為を思うなら優遇は出来ない。公爵令嬢の専属侍女に獣人を置く、というのはもっての他。どこでどのような恨みを買うとも分からない。わざわざ争いの火種を用意する必要は無いのだ。獣人に差別的な国である以上、獣人以外を専属侍女に選ぶのが最も平和的である。
だが、そもそも前提からして間違っている。ベルスレイアは、決して獣人の為を思っているわけではない。極めて個人的な理由で、ルルを囲っているのである。
ルルが人間だろうが獣人だろうが、たとえフナムシであろうが変わらない。ベルスレイアが認めた以上、そこにあるのはルルという個人である。
そして、その他の存在はたとえ獣人であろうが人間であろうが、等しくフナムシ以下なのだ。
ある意味、ベルスレイアは誰よりも差別的である。徹底的に自分とその所有物を優遇し、その他を排斥する。極めて利己的な差別主義者である。平等や平和とは真逆に位置すると言っても過言ではない。
故に、サティウスの理屈では何の説得にもならない。むしろ、一種の攻撃、敵対宣言とさえ言える。
平和、平等のための一時的必要悪を唱えるサティウス。
自己保身と利益の追求のために害虫を潰すベルスレイア。
どこまでも、その理屈が交わることは無い。
――そして、もう一つ。ベルスレイアにとっての地雷がある。
サティウスの理屈は、獣人の為に獣人を冷遇しろ、ということである。それは全体で見るとたしかに合理的なのかもしれない。だが、局所で見ると単なる冷遇。そして矛盾。
獣人を思いやりながら、獣人を責める。それはさながら――裏切りのようにも見える。味方のような面構えをしておきながら、実際のところ何も変わらない。結局、獣人を傷つける。痛めつける。
その構図に、ベルスレイアは吐き気を覚えた。かつて鈴本清美であった頃の自分が経験した日々を思い出す。
大切な仲間であったはずの三人。なのに何故、清美の為と言いながら、清美を傷つけたのか。清美の事情も考えないで、どうして否定したのか。
そこに理由があろうと、関係ない。大事なのは、結果。自分の積み上げてきたものを、身内に踏みにじられるという怒り。
吐き気がする。と、ベルスレイアは思った。サティウスに、前世の親友三人と同じものを見た。偽善と欺瞞で、本質を見ようとしないクズ。理屈っぽい言い訳で武装し、自分からは何も差し出すつもりがない。相手の譲歩、勝手に現実が都合よく変化するのを待つだけの怠惰な存在。
考えるほどに、ベルスレイアは苛立ちと――そして諦めを感じていた。なるほど、所詮は他人。この程度なのだ、と。たとえ第一王子と言えど。この国を支える人間であれども、この程度。
私の遊び相手には、力不足ね。
自然と、無意識に。ベルスレイアは仮面を脱いでいた。優しげで温かい公爵令嬢の皮を脱いだ。残ったのは、どこまでも冷たく鋭い眼差し。害虫や臭い家畜を見るような、そんな瞳。
サティウスは、なぜベルスレイアがそんな目をするのか分からない。
「……ベル? どうしたんだい?」
その言葉に、ベルスレイアは答えない。無言で、紅茶を嗜む。
――結局その日、ベルスレイアはサティウスと言葉を交わすことは無かった。
そして、これ以降。ベルスレイアがお茶会を開くことも無くなった。