専属侍女ルルとの出会い 17
「……カイウス様。それは、どういった意味でしょうか?」
ベルスレイアは笑顔を貼り付けたまま問う。だが、その胸中には怒りが荒れ狂っていた。
――この私の所有物に文句を言う? クズめ。この私に選ばれなかった分際で、何様のつもり?
と、苛立ちがじりじりと膨れ上がっていく。だが、まだ表には出さない。笑顔の仮面を被ったまま。フラウローゼス家の令嬢ベルスレイアとしての外面を取り繕う。
「意味も何もあるか。ベルスレイアよ、サンクトブルグの公爵家として恥ずかしくは無いのか? 薄汚い獣人なぞを専属侍女にしおって」
「彼女は優秀です。私の侍女として、ふさわしい能力を持っておりますわ」
ベルスレイアは反論する。それは正論であった。が、思想ありきでものを考える者に正論は通用しない。
「能力なぞ今は問うておらぬ。薄汚い獣人に、栄えある公爵家の専属侍女という仕事を任せること自体、国の威信を傷つける侮辱行為だと言っておるのだ! そんなこともわからんのか? サティウスが褒めそやすほどの人物と思って見ておったが、どうやら期待はずれのようだな。所詮は女。貴族社会の何たるかを理解できておらぬ。未熟で感情的で馬鹿な生き物よ」
カイウスはベルスレイアを侮辱する。女性であるということも侮辱する。重ね重ね、差別的な発言を繰り返す。
――ああ、なんて醜悪なのかしら。
ベルスレイアの中で、堪忍袋の緒が切れた。
ベルスレイアとしての自尊心。そして鈴本清美としての怒りが心を焼く。眼の前の愚物を、ゴミより無残な有様になるまで叩き潰したいと願ってしまう。
だが、そこまでは出来ない。今はまだ、この国でやっておきたいことがある。
そう考え、ベルスレイアは呼吸をする。深く息を吸い、吐く。この場でカイウスを捻り潰し、殺してしまいたい衝動を、息と共によく冷ます。
そして冷静さを幾分か取り返したところで、口を開く。
「カイウス様は、鏡を見ていらっしゃるのかしら?」
そして、言葉での反撃を開始した。
「何? 今、なんと言った?」
「鏡を見ていらっしゃるのか、と問うたのです。未熟で馬鹿で感情的な生き物と仰るのですから、てっきりご自身を省みられたのかと思っただけですわ」
「貴様ッ!」
途端、カイウスの顔が怒りで赤く染まる。
「私を誰だと思っている! 大公家の当主、しかも王家の血筋を引いておるのだぞ!? それを知らぬとは言わせぬぞ!」
「当然でしょう。けれど不思議なこともあるものですね。愚かなる野生の猿にも王家の血が流れることもあるなんて。招待した覚えも無い野猿がこんなところにいらっしゃるというのも、不思議と言えば不思議ですけれど」
「き、貴様……ッ!」
ベルスレイアの反撃が、カイウスの怒りを高めていく。
「その発言、取り消せ! 取り消さねば、フラウローゼス家の取り潰しだ!」
カイウスは感情のままに喚く。大公家といえども、公爵家を一存で取り潰すことは不可能。つまり誰が聞いても、下らぬハッタリに過ぎない。そんなことさえ口走るほどに、冷静さを失っていた。
「取り消せと言うなら、まずはそちらからでしょう? ルルは私が選んだ専属侍女。そこには何の偏見もありません。彼女の実力は、私が知る限りの全てのメイドを上回っています。間違いなく、私の専属侍女にふさわしい女性ですわ」
獣人をかばうベルスレイア。その姿に、多くの貴族が驚いた。それは否定的な驚き。単なる戯れであれば納得できた。しかし、ベルスレイアはその口で、獣人如きが専属侍女にふさわしいと宣言した。
それは、公爵家そのものが獣人如きと同格であると言うに等しい。
だがベルスレイアからすれば逆である。獣人であろうと、仮に魔物であろうとも。ベルスレイアが認めた存在は、等しく尊い。故にルルもまた、公爵家の専属侍女にふさわしい高貴な存在である。
それこそ、ベルスレイアの眼の前で喚く愚劣な雄猿より遥かに高貴と言えた。
「――カイウスッ! そしてこの場に居る全ての者達、よく聞きなさい!」
ベルスレイアは、大仰な仕草で声を張り上げる。
「私はたった二つだけ、絶対に許せないものがあります。一つは、私の信頼を裏切ること! そしてもう一つは、私を侮ることッ!」
その宣言は、ベルスレイアにとって本心からの言葉であった。仮面を取り繕ったまま、仮面の下の思いを語る。
「そしてカイウス。お前はその内一つを踏み抜いたッ! 私が信じる、私の半身とも言うべき存在をお前は侮ったッ!」
怒りが沸々と、ベルスレイアの中で湧き上がる。次第に仮面は熔け降りて、本来のベルスレイアらしい表情が見え始める。
傲慢で、悪辣で、何よりも自分本位な本性が見え隠れする。
「故に私は、お前を許さない。覚えておけ。お前は私と敵対した。後悔など許さない。撤回も絶望も許さない。あるのはただ破滅。死にたくなるほどの苦痛を味わうことで、この私を侮った罪を贖わせてやる。楽しみに待っていろ」
ベルスレイアは、湧き上がる感情を抑えられなかった。本性そのままに言葉を発した。
「そして他の者も同じだッ! カイウスのように私を侮ったものから、その身の破滅でもって償わせてやる」
言うと、ベルスレイアは踵を返す。
「――ルル。付いてきなさい。もうこの場に用は無いわ」
それだけを言い残し、歩き出す。向かうは、パーティ会場の出入り口。主賓がこの場を退場しようとしていた。
「ベル様の、仰るままに」
ルルは、ベルスレイアに付き従い、共に会場を後にした。
その胸中には――不思議と熱い何かが渦巻いていた。怒りではない。絶望でもない。カイウスに言われた差別的な言葉など、微塵も残ってはいない。
そこにはただ――自分のために怒り狂うベルスレイアの、激しい有様が焼き付いていた。
胸を押さえるようにしながら、ルルは歩く。