専属侍女ルルとの出会い 13
翌日の朝。
やることが多く、早朝から忙しないルル。だが、本格的な仕事の初日である。本来の業務も忘れるわけにはいかない。
そう、ベルスレイアの起床である。
ベルスレイアを起こす為、朝の清々しい時間に私室へ訪れる。既に前日のうちに、ベルスレイアが最も喜ぶ起床時間を白薔薇から聞き出している。起床時のベルスレイアに関する注意事項も調査済み。ルルは抜け目なく、完璧な初仕事をこなすつもりであった。
だが、ルルは一抹の不安を拭えない。白薔薇から聞き出した情報によれば。
「覚悟が必要です。鼻血で部屋を汚さないように」
「その場で卒倒しないよう、注意してくださいませ」
「そこで見たものは他言無用。起床を手伝うメイドのみに許された秘密。決して外に漏らしてはなりません」
等と。少々不吉な、というより妙な助言を賜っている。
だが退くわけにはいかない。ルルは覚悟を決め、ベルスレイアの私室の扉を開いた。
「おはようございます、ベル様」
部屋に入り、第一声。起床時は、ノックをせずに部屋へ入ることが許されている。そのための、部屋の鍵も渡されている。それが朝を任されたメイドの、仕事の流れ。決まりきった初手の動作である。
この段階でベルスレイアは起床しない。それもまた、決まりきったことである。
「ううん……」
うめき声を漏らすベルスレイア。もぞもぞ、とベッドの中で動く。
この段階でまだ目覚めないベルスレイアに近寄り、肩を揺すって起こす。これが、ベルスレイアを起こすという仕事の最重要部分。白薔薇の間では、朝のベルスレイアに直接触れる幸せを賜る貴重な一時。
だがルルは、ベルスレイアの信者ではない。むしろ、未だにベルスレイアを警戒している。恐るべき暴君であると勘違いしている。――正確に言えば、確かにベルスレイアは恐るべき人である。暴君でもある。だが、ルルの想像している在り方とは大きく異なる。実態を、ルルは勘違いしている。
故に恐る恐る。何が起こっても、最悪死にはしないわ。大丈夫。平気だって。と、ルルな自分を心の中で鼓舞する。
「ベル様? 朝でございます」
ベッドに近寄り、ベルスレイアの肩を揺するルル。その動作に反応し、ベルスレイアがビクリと動く。
「う~ん……朝ぁ?」
「はい、朝でございます」
「ふえ、おはよ」
寝ぼけ眼を擦りながら、身体を起こすベルスレイア。その口調、声色が妙に媚びた、子供っぽいものに変化している。その事実に、まだルルは気づいていない。
「ふふ。ルルぅ? こっち来てぇ」
ベルスレイアはまどろみにふやけたまま、笑みを浮かべる。そして手を拱き、ルルを呼ぶ。
「はい、何でしょうか?」
「触らして?」
返事が来る前に。ベルスレイアは、その手をルルの耳――頭頂部に生える、狐の耳に伸ばした。
「ひゃあっ!? べっ、ベル様っ?」
「うふふ~。ルル、もふもふだねぇ~♪」
ベルスレイアはルルの耳を弄ぶ。くにくに、すりすり。指で摩り、揉む。その感触を丹念に味わう。
意味不明な行動。そして妙に幼く媚びた口調と声色。ルルはベルスレイアの異変に気付いた。だが、耳を捕まれては身動きが取れない。
「あの、ベル様?」
「むふふ。可愛いなぁルルは」
「いえ、その。耳を触るのは……」
「ダメなの?」
「ダメではありませんが、少し恥ずかしゅうございます」
なんとか気持ちを伝えきったルル。予想の斜め上を行く事態に困惑しながらも、本来の責務を忘れない。
「私の耳を揉む時間ではありませんよ。朝です、ベル様。起床の時間です。明日のパーティーについても、打ち合わせたいことがございます」
正論でベルスレイアを説き伏せる。だが、朝のベルスレイアは止まらない。
「もうちょっとだけぇ……」
言って、ルルの耳をなお揉む。さらにはルルの胸元に飛び込むように身体を預ける。抱きついて、顔を擦り付ける。さながら幼児が母に甘えるかのような仕草。
誰だこいつ? と、ルルは思った。昨日見たベルスレイアは幻だったのだろうか、とさえ考える。それほどまでに、起床直後のベルスレイアの様子は珍妙であった。
だが、それもここまで。少しずつ、寝起きでふやけた脳みそがしっかり起動する。それにつれ、ベルスレイアの意識は覚醒。ふにゃふにゃした表情がキリリと引き締まる。ルルに甘えるような仕草が止まる。耳を撫でる指の動きは……止まらない。だが、弄ぶ手付きが変わる。
そしてベルスレイアはルルの胸元から顔を離す。
「待たせたわね、ルル」
その表情は鋭く引き締まっていた。普段どおり。悪魔的な暴君。フラウローゼス家の令嬢ベルスレイアの顔付きである。
「……おはようございます、ベル様」
ルルは、朝の挨拶を繰り返した。ようやくはっきりと目覚めたらしきベルスレイア。見知ったベルスレイアに対しては最初の挨拶でもある。
「そう何度も繰り返さなくていいわよ?」
だが、ベルスレイアはしっかりと聞いていた。最初の挨拶を覚えている。ということは、今までの態度は寝ぼけていたから起きたものではない。という意味にもなる。
「あの、ベル様。質問があるのですが」
「何かしら」
「さっきまでのは、何だったんですか?」
ルルの質問は抽象的だった。だが、そうとしか評しようもない。寝ぼけていたわけでもなく、おかしい言動を繰り返したベルスレイア。その正体、原因が何なのか。はっきりと「さっきのお前どっかおかしかったぞ」と言うわけにもいかない。
「あら。白薔薇から聞いていなかったの?」
だが。ベルスレイアはむしろ、理解していないルルの方を意外そうに見る。
「朝はね、私、ちょっと昔の癖が出てしまうの。他人に媚びて優しくしていたころの癖でね。態度が変わるの。だから起きてすぐの私は、らしくない言動を取るわ」
ベルスレイアの説明は、あまりにも不十分。昔の癖とは何なのか。そもそも、癖で口調まで変わる方が妙である。何より、昔の癖というものが存在すること事態おかしい。ベルスレイアは未だ十二歳。そんな珍妙な過去が存在するほどの年齢ではない。
なお、ベルスレイアの言う昔とは前世――つまり鈴本清美であった時代のことを指している。まだ他人というものを信じていた時代。可愛らしく、誰にでも好かれる学校のアイドル的存在。そんな皮をかぶっていた頃のことである。
ルルが知るはずも無い。が、詳しく説明するのも面倒な事情。信じてもらえるとも限らない。故に、ベルスレイアは詳細を黙ったままにした。
「納得できないかしら?」
「……はい。ベル様のことが、よくわかりません」
ベルスレイアは問い、ルルは正直に答える。
「なら、こういうものだとありのままを受け入れなさい。朝モードのふにゃふにゃの私が存在する。それだけを覚えておけば十分よ」
そしてベルスレイアは、思考を放棄するよう薦めた。
ルルも、考えるのをやめた。
要するに、この人は朝が弱い。すぐ起きるけど、寝ぼけ方がひどい。そういう人なの。何も考えず、ありのままを受け入れなさい、私!
そうやって、自らを洗脳するように心の中で何度も唱える。これは普通のこと。よくあること。ベルスレイアはそういうもの。
目を瞑って何度も唱えたことで、ルルは落ち着きを取り戻した。
「――では、ベル様。お召し物を」
「ええ。お願い」
そして、通常業務に戻るのであった。