裏切りと拒絶 06
「テメエ、いいかげんにしやがれ!」
怒りのままに声を荒げ、清美の肩を突き飛ばす英美里。
かなり力が入っていたせいで、清美は勢いをつけてフェンスに衝突する。
本来なら、これだけで終わる話だった。
しかし運が敵か味方か、フェンスは古く錆びて浸食されており、極めて脆くなっていた。
衝突する清美の体重を一瞬だけ支えた後、バキッという音を立てる。
「――は?」
わけが分からず、英美里は声を漏らす。
フェンスが倒れる。支えがなくなる。そして――勢いと重力に任せ、清美は落下していく。
そんなつもりは無かったのに。清美を――本人の身体を傷つけたいなんて、一度も思わなかったのに。その気持ちで一杯になる英美里。
慌てて清美を追い、手を差し伸ばす。
「――はぁ。なにこれ」
落下する瞬間の清美が、口にした言葉がそれだった。
英美里の伸ばす手をつかもうともせず、そのまま重力に引っ張られて落下する。
当然歩道橋の下は車が行き交っており、落ちれば死は免れないだろう。
しかし、清美の表情は恐怖などしていなかった。
そして、今まで貼り付けていた笑顔の仮面でもなかった。
どこまでも冷たい無表情。
何もかもを拒絶する、虚無の鋭さ。
清美は――この日、この時、自分を覆う善人の皮を剥ぎ取り、素を晒していた。
落下しながら、清美は考える。
はぁ、どうしてこうなったかな。私は、ただちゃんと『良い子』になろうとしただけなのに。全てを費やして、その結果がこれか。
はー、つまんな。クソじゃん。
と、清美は心底自分の人生に呆れ返っていた。
そもそも、他人のために自分の労力を割くというのが間違いだった。『良い子』である為には、他人に優しくならなければならない。だから清美は、可能な限り『良い子』でありたくて、可能な限りのコストを他人に割いた。
しかし、それは無意味なことだったと反省する。
所詮、他人は他人。自分とは違う、くだらなくてどうしようもない凡俗な愚物。ゴミと見分けのつかない皮膚色の腐れ蛋白うんこ。そんなものにコストを割いたところで、何の意味があるというのか。
かつての『良い子』な清美であれば、善行は善行になって返ってくる。情けは人の為ならず、と答えていただろう。
しかし、本来の清美は――そして『良い子』としての人生を演じきって失敗した清美は否定するだろう。
所詮他人はクズなのだ。この私とクズ共が同じコストを払っても、出来ることには格差がある。クズのお返しなぞ、鼻クソほどの価値も無い。実際、気管に入り込むゴミを吸着した鼻クソ様の方がよほど清美の役に立っている。
そうやって、清美は考えれば考える程、自分のやってきたことの無意味さを悟る。
死に向かって、真っ逆さまに落ちてゆきながら清美は思う。
ああ――本当に人生失敗したなぁ。もしも次の人生があるとしたら、今度は『良い子』なんかになろうとしなくていいや。ちゃんと自分だけの為に、どんなものより尊い自分様だけを大切にして生きていこう。
そうして清美が来世の覚悟を冗談交じりに決めたところで――肉体は路上に落下した。
直後、通りがかった大型トラックが清美を跳ね飛ばす。
四肢は千切れ、清美の肉体は血を迸らせて自由に宙を舞う。
この日――こうして、かつて鈴本清美であった者の人生は、終わりを迎えたのだった。
ここまでが、プロローグとなる部分になります。
いよいよ次話から転生し、悪役令嬢ベルスレイア・フラウローゼスの物語につながっていきます。
これからを楽しみにしていただける方は、ぜひブックマーク、あるいは評価をして頂ければ作者の励みになります。
よろしくお願い致します。