六話 母対勇者
この世の終わり。
身の破滅。
生きるも死ぬも、絶望街道まっしぐら……――などなど、不穏な言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。
完全に勇者に呑まれたカラールは、地べたに座り込んだまま見上げるしかない。陸に打ち上げられた魚のように、口はパクパクと動くが、明確な言葉が出てくるわけでも無い。
「これで、ほんとうに、ずっと一緒よカラール。……うふふ、嬉しい。貴方の事、絶対に大事にするからね? カラールの事は、わたしがちゃんと守るから。だから、二人一緒に――」
そして手錠がガッチャンコ――と思いきや、カラールは突然強い力で引っ張り上げられた。
「うぉっ!?」
地面から足が離れ宙づり状態になる中、太陽が浮かび上がらせた影を見て、カラールは自分が誰に持ち上げられたか悟った。
「……グラマツェーヌ様――!」
「全く。お前が女に優しいのは知っていたが、勇者にまで手心を加えるのは考え物だぞ?」
呆れたような育ての親の声に、カラールはかっと頬を赤くした。
「ち、違います! 僕は、断じて手加減など……!」
「二人きりで仲良く話していた挙げ句、だまし討ちにあい、連れ攫われそうだったのだろ?」
冷静なグラマツェーヌの言葉には、首を振る。
(違います! 仲良く話していたわけでは無く、この勇者があまりにも怖すぎて、腰が抜けてただけです!)
内心で叫ぶものの、そんな情けないことを正直に打ち明けられるほど、カラールの心臓は強くなかった。
答えられない養い子をどう思ったのか、グラマツェーヌは険しい視線で勇者を見据える。
――そう、グラマツェーヌは卑怯な奴が大嫌いなのだ。拾われた身であるカラールは、彼女が常日頃から正々堂々を信条としている事をよく知っている。だまし討ちなどと言う卑劣な行為は、グラマツェーヌがもっとも嫌う事だ。
誤解したまま殺気立つグラマツェーヌに、カラールは慌てて言いつのった。
「グラマツェーヌ様、僕が……! 僕が、後れを取って失態を犯したのです。勇者にだまし討ちにあったわけではありません。彼女の実力は……悔しいですが、僕より遙かに上ですから」
この勇者は確かに気味が悪くて言動もなんだかおかしくて、とにかくあまり長時間顔を合わせていたくない類いの存在だが、決してだまし討ちをするような卑劣な人間では無い。
実力だけならば、本物だ。
遠足気分と皮肉っていたが、助けを乞われれば一も二も無く飛び出していく事も知っている。
性格にはだいぶ難があるものの、勇者の人々を助けるという行いは、物語に描かれている“理想の勇者”そのものだ。
勇者としての面を、ひっそりこっそり認めていたカラールは、思わず彼女を庇うような言葉を口にしてしまった。
「……ほぉ? 人族の勇者を、お前がそこまで買うとはな」
カラールの言に耳を傾けてくれたグラマツェーヌは、刺々しい殺気をしまった。かわりに、好奇心が滲んでいる。
(しまった――!)
カラールの敬愛する彼女は、四天王の中で一番好戦的なのだ。
正々堂々、強い相手と戦うことを喜びとするグラマツェーヌは、これまで二度勇者一味と顔を合わせていたが、直接的な戦闘に結びついたことは一度も無い。
それは、グラマツェーヌにとって勇者一行は魔王の邪魔をするお邪魔虫くらいの認識でしか無かったからだ。
そそる相手では無かった……。もっと言えば、眼中に無かっただけ。
だが、カラールが図らずも勇者を庇ってしまったことで、わずかに関心が向いた。
グラマツェーヌが負けるとは思わないが、無傷で勝てるとも思えない。
そして、なにより。カラールは、自分というお荷物がいる事で、グラマツェーヌが力を出し切れない事を危惧した。
「グラマツェーヌ様」
「カラール、止めてくれるな。……私もたまには遊ばないと、体がなまってしまう」
にこりと笑い、カツカツと蹄を鳴らす育ての親。
うきうきしているのが、目に見えて分かってしまい、カラールは止められないと視線をそらす。
すると、必然的に、今の今まで不気味なくらい大人しかった勇者が目に入った。
――勇者は、じとりと睨んでいた。
カラールではなく、カラールを持ち上げているグラマツェーヌを、射殺しそうな目で睨み付けていた。
その眼力は凄まじく、心の臓を患うものが向けられたら、瞬きするまもなく天の国へ旅立ちそうなほどだ。
「……獣面……。カラールを離して。ぶらぶら吊しておくなんて、許せない……!」
ぎりっと歯ぎしりする音が聞こえてきそうだ。
カラールは、肌にぴりぴりとした痛みを覚える。
殺気だ。
勇者は、これまで対峙してきた時とは全く違う。
カラールは一度も、自分はこんな殺気を向けられたことが無いと気が付く。
(――実力に大きな開きがあると自覚はしてたつもりだが……これは、ちょっと……予想外だ)
よくもまあ、自分は今日まで生き長らえたものだと唾を飲み込み――勇者に生かされていたと思い至り、眉間に皺が寄った。
「ほら、カラールが顔をしかめてる。苦しいのよ。さっさと解放して」
「ん? ……眉間の皺は、カラールが考え事をしているときの癖だ。――カラール、物思いにふけるのも構わないが、私の後ろでしろ」
ぽいっと後ろに放られたカラールは、着地を決めた。
だが、勇者の顔にはさらに色濃い怒りが浮かぶ。
「カラールを投げ飛ばすなんて……!」
「私とカラールの仲だ。私がどう動くかなんて、いちいち説明しなくてもこの子は理解している」
「わ、私とカラールの、仲……?」
ぎりぎりぎり――勇者が歯を食いしばり、充血した目でグラマツェーヌを睨み付けぶるぶると体を震わせた。
「…………許さない」
呻くような声とともに、勇者はそれまで固執していた鎖を投げ捨てた。
かわりに、その手に剣を握る。
「この泥棒馬……!」
「なに?」
「わたしのカラールを、よくも……! ――殺してやる」
端々に怒りが滲む勇者の声。だが、最後の言葉だけは、空恐ろしいほど冷たく響いた――。