四話 過去夢はだいたいフラグ
木漏れ日降り注ぐ森の中、くすんくすんとすすり泣く小さな子供。
『迷子か?』
『…………ふぇ』
自分よりも幾分か年下の子供が泣いているのを見てみぬふりは出来ない。そう考えた幼いカラールが声をかけると、その子は紫色の目に溜めていた涙を、ぼろりとこぼした。
『来い。僕が出口まで連れてってやる』
『リィ、かーしゃまをさがしてるの』
慌てて涙をぬぐった子供は、舌足らずな声で懸命に訴えてきた。
『あたらしい、おかあしゃまが、リィのかーしゃまはもりにいるっておしえてくれたから』
リィのかーしゃま、みなかった?
たどたどしく問いかけられて、カラールは幼さの残る顔を、ぐっとしかめた。
『……いない』
とたん、女の子の大きな目からはぽろぽろと涙が溢れだし、とうとう声をあげて泣き出した。
『ま、待て、勘違いするな! あのな、この森には、いないんだ。ここには、いない』
『……ここじゃないの?』
『あぁ、ここじゃない。……うんと、遠い森なんだ。僕やお前のような子供の足では、到底届かない、遠い遠い森だ』
だから、大きくなって強くならないと行けないんだと、カラールはもっともらしく語った。
自分より少しだけ年下だろう女の子が、あっさりと信じ込んで涙をぬぐった事に、カラールはほっとする。
きっと、この子は継母に意地悪をされたのだ。外の人間とか関わらないように暮らしているカラールにも、そのくらいの事は理解できた。
だけど、この小さい女の子は、まだそんな悪意を理解できてない。きっと、実母の死も理解していないのだ。
『おおきくなれば、リィもいけるかな』
『ただ大きくなるだけじゃダメだ。強くないと。強くて賢くて、大事なものを守れる大人にならないと』
『リィ、がんばる』
きっと、その頃には母親の死も、継母の悪意も、きちんと理解できるようになっているだろう。
『がんばれ』
頭を撫でると、女の子はうれしそうに目元をやわらげた。
『おにいちゃんは、ここでなにをしていたの?』
『僕か? 僕は、薬草つみだ。父さんが薬を作っているから、手伝いをしてる』
『そうなの。リィもおれいに、おてつだい、する』
『いらない』
小さな子が、その辺をぴょんぴょん動き回っていたら気が散る。危ないだろう、と年上らしい注意をすると、女の子はしおれた花のように元気をなくす。
泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、くるくると表情が変わる子だ。見ていて飽きない。
『そ、それじゃ、もうあいにくるのも、だめ?』
大きな紫の目が、訴えかけるように自分を見上げてくる。
くすぐったい気持ちを覚えたカラールは、首を横に振った。
『いいよ。でも、一つ約束しろ。……僕とこの森で会った事は、誰にも言うな』
『うん、いわない!』
『約束だぞ』
『やくそく、やくそく!』
うさぎのようにぴょんぴょんと跳ねて、喜びをあらわにする女の子に、カラールも笑った。
年の近い友人などいなかったカラールにとって、その女の子は初めてできた友達だった。
同時に、悲劇の引き金でもあった。
この出会いから、ひと月も経たないうちに、カラールは両親と家を失くした。
武装した大人たちが、両親を槍で突き刺し家に火を放ちながら、狂ったように叫んだ言葉は――異端。
屈託なく笑えた子供時代は、その時終わった。
◆ ◆ ◆
最低の夢だったと、カラールは寝台の上で身を起こした。
昨日は精神的に打ちのめされるような事ばかりだったからだと、カラールは最悪な目覚めに舌打ちする。
両親がまだ健在だったころ。
森に隠れ住んでいた意味を、本当の意味で理解できていなかった幼い頃の自分。
思い出すたびに、カラールは自分の愚かさに打ちのめされる。夢を見る度に、お前は馬鹿だと突きつけられたような気分になる。
あの時、あの女の子に声をかけたりしなければ……――そんな風に、後悔してしまう自分も嫌だった。
森で迷子になった子供を助けなければ良かったなどと、育ての親が聞けばなんと思うだろうか。
(最低だな、僕は)
他者の顔色を窺う癖がついたのは、両親を亡くした後からだ。
失望と拒絶を恐れるのも、輪からはみ出すことを忌避するのも、そうだ。
もう、失敗したくないからだ。
もう、なくしたくないからだ。
カラールは、人としての居場所を自分の失敗でもって奪われた。
だからせめて、魔族としての居場所だけは、なんとしてでも守り抜きたい。
――そのためには、勇者が邪魔だ。
魔王を、魔族を……グラマツェーヌを害するだろう勇者一味は、目障りでしかない。
ただ……と、カラールは身を震わせた。
(昨日のアレは……怖かった……!)
儚げ美少女が見せた、スケベ親父のごとき手の動き。そして、監禁宣言したときの恍惚とした表情。
カラールは、これまで厄介な奴としか思っていなかった勇者の認識を改める。
(あれは、とんでもなくヤバイ人族だ……!)
しかし、だからと言って、いつまでも寝台の上で震えてはいられない。自身にカツを入れ、身支度を整える。
「……さて、仕事するか」
今日も、各地に散った呪い石を集める作業だ。
遠い昔、人も魔族も関係無く仲良く暮らしていた頃、平和な世に飽いた神がいた。争いを好んだその神が、ほんの悪戯心でばらまいたと言われている石こそ、呪い石だ。
人の心を蝕み、土地を弱らせ、生きとし生けるものを攻撃する、悪い力が込められた恐ろしい石は、自ら魔力を生み出し術を使える魔族には効果が薄かった。
だが、弱っていく自分たちとは反対に、ピンピンしている魔族をみた人族達は、魔族が自分たちを排除し、豊かな土地を独占しようとしているのだと勘違いした。
そして、呪い石を取り除くために来ていた魔族を、背後から刺し殺したという。
――とても古い話だが、これが今日まで続く魔族と人族の争いの発端だ。
カラールが呪い石の探索に向かうのも、外見が人に近く、目立たないため、いたずらに人族の心を刺激しないから。
たまに、騒動を起こすのは、呪い石にやられた人間から石を引き剥がし中毒症状緩和のためだ。
けれど、その度にあの忌ま忌ましい勇者一味が現れては、町を蹂躙しただの。
(ちゃんと人間が暴れても良いように、町の人間は避難させていた! 言いかがりも甚だしい!)
守り神の社を占領し生贄を要求しただの。
(守り神? 呪い石だ馬鹿者! あんなもの奉ってたら土地が汚染されて作物も育たないぞ!)
お前達の脳内どうなってるの、と突っ込みたくなるような見当外れの文句を垂れて挑んでくる。
極力やり合うなと言われていたが、勇者一味は毎度毎度魔王や四天王を貶めてくる。
鬱憤は、カラールだってたまっていた。
それが爆発したのが、昨日だったのだ。
(連中め、グラマツェーヌ様の悪口を言いやがって!)
だから、本気で仕留めてやろうと思った。
お供三人だけならば問題無かっただろうが、あの勇者がいたのだ。
常に伏し目がちで、物静かなあの勇者は、仲間を守るためなのか前に立ち塞がり、壁のような役割をして一歩も引かなかった。
結局、カラールは勇者一人に押し負けた。(後ろの三人は、本当にただ後ろにいただけだ)
そして、死ぬ覚悟をしたのに、……したのに……。
うっかり思い出してしまい、ぶるっとカラールは身震いした。
また呪い石の回収場にて、勇者と鉢合わせるかもしれない。
ならば、今度こそこの手で……なんて言う、武者震いではない。
(あの勇者が出てきたら、どうする!? どうすればいい!?)
力では敵わない。
情けないが、昨日の拘束を振りほどけなかった時点で察しが付く。
(魔術をぶつけるか? でも、あいつ……)
くっ殺せ、などと格好付けて言う前の戦闘時。何発も爆発系魔術をぶっ放したが……。
(あの勇者……けろりとしていたような……むしろ、必死になっていた僕を見て、うっすら笑っていたような……)
――そこまで思い出して、さらにぞぞっと寒気が背筋を駆け抜けた。
「……やめよう。あの勇者の事を考えるのは、精神衛生上よくない」
仕事だ仕事と、カラールは今度こそ意識を切り替えた。
ひたひたと迫る、重苦しい執着愛の気配。カラールは自分がもう逃げ切れない事に、気付かない。気付いていたら、きっと卒倒していただろう。
魔王軍所属の術師、炎花のカラールなんて格好よさげな二つ名を持つ彼は、自身がすでに運命の赤い糸でがんじがらめに縛られているなどと、露ほども考えていないのだった――。