二十四話 魔王と炎花
振り下ろされた刃が、自分の体に突き刺さる――それがカラールが覚えていられた、最後の感覚だった。
冷たく暗い、沈んだ意識の中、自分はこのまま死ぬのだろうかとぼんやりと考えていた。
よりにもよって、好きだと自覚し告白した途端、惚れた女の手にかかって死ぬなんて。自分は本当に運がないと自嘲し、ぐずぐずと意識が溶けるのにまかせていたのだが……。
「こら! 誰が眠るのを許したか!」
不意に響いた、少女の高い声に、意識は無理矢理引っ張り上げられた。
「カラ! えぇい、しっかりせぬか、カラ!」
ガクガクと揺さぶられ、大きな声で名前を叫ばれる。
パッと目を開ければ、刺すような光が飛び込んできた。
「……魔王様……?」
徐々に光に目が慣れてくると、自分の肩を掴んで乱暴に揺さぶっていた人物の輪郭が浮かび上がってくる。
確認するようにカラールが呼びかけると、愛らしい幼女の姿をした支配者は、安堵したように息を吐いた。
「……気が付いたか」
「ここは……」
「わらわの城じゃ」
いつの間に自分は戻ってきたのだろう、とカラールは首をかしげた。
そしてなぜ、床に寝転がっているのだろうと体を起こそうとして、ぎょっとした。
腹の辺りが、汚れていた。
見れば自分の手も、床も、赤く汚れている。
「は……? 一体、これは……」
「覚えておらぬのか?」
「覚えて……?」
「カラは血を流した状態で、いきなりこの部屋に現れのじゃ。……転移じゃろうな。術者は……あの娘じゃろう」
しゃがみ込んだ魔王は、ぐっとカラールに顔を近づけた。
「何があった、カラ」
「何が……って……」
無意識に、腹の辺りに手が伸びる。
――彼女が刺した場所へ。
「腹の傷ならば、わらわが治した。流した分の血は補えぬが、傷口程度ならばどうとでもなる。……それで?」
「…………」
「言えぬのか?」
言えない、というよりも……どう説明していいか分からなかった。
カラールは、顔を歪め押し黙る。
魔王は、ふぅと息を吐くと、そのままコツンと額をぶつけてきた。
「さぁカラ。わらわの目を見ろ」
愛らしい声に命じられる。
記憶を読まれている。新しい記憶ならば、こうして目を合わせただけで感じ取れる。魔王が、言葉を介さない同胞達から情報を受け取る際によく使用する手だった。
「――あぁ、なるほどな」
幼げな外見に似つかわしくない、皮肉めいた笑みを浮かべた魔王は、数秒後カラールから離れて立ち上がる。
「あの娘、裏切ったか」
「――違います!」
冷ややかな一言に、カラールはとっさに反論してしまった。
「リリィは……裏切ったわけでは」
「お父様の所には行かせない……。あの娘は、そう言ったのじゃろう? 繋がっていた事を暗示する言葉じゃと思わぬか?」
ぎりっとカラールは奥歯を噛みしめる。
リリィの“お父様”。
カラールにとって、この世で一番憎い人間。けれど、この世でもっとも愛しい少女の親でもある男。
――万が一顔を合わせれば、あの男はこの手で殺すと決めている。いや、己が気負わずとも、今回の任務が、ビュティア王国の……あの男の、研究成果の破棄任務ならば、必ず顔を合わせるだろう。
つまり、殺し合いは避けられない。
だから、リリィを連れて行きたくなかった。
甘ったるい感情に酔って、自分は判断を誤ったのかとカラールは顔をゆがめる。
――お父様の所には行かせない。
――穢れる。
自分に向けられた言葉を反すうする。
あれが、リリィの本心だったのだろうか。――初めから、“こう”するつもりだったのならば……自分はとんだ道化だと、乾いた笑みがカラールの口元に浮かぶ。
リリィには、嘘など無い。そう思っていた。
しかし、今まで見てきた彼女の姿が偽りだったというのなら、もうカラールは他人なんて信じられない気がした。
「……愚か者めっ」
苛立ちを含んだ声が、カラールを責める。
「だから、言ったじゃろう。……あれは、“戦うため”に来たのじゃと」
「…………え?」
「カラ。そなたのために、そなたのそばで戦う。それが、あの娘の存在理由じゃ。それを、取り上げてどうする」
「……僕、は……あいつに、父親を手にかける瞬間なんて、見せたくなくて……だから……」
「“だから”? だから、なんじゃ? あの娘のために置いていこうとしたと、そう続けるつもりか? ……くだらんな」
魔王は鼻で笑うと、カラールの顎を掴み上を向かせた。
「戦う以外能の無い娘から、理由を取り上げれば、あとは暴走するだけじゃ。そうならないために、わざわざ枷をつけたのに…………。カラ、そなたは本当に、女子に甘すぎる」
「…………っ」
「じゃが、案ずるな。一度の失敗で部下を責め立てる気は無い。……我の忠実な配下たる”炎花”よ。新たなる命を下そう。全て、壊してこい。――ビュティア王国が犯した“禁忌”も、歯向かう者も、誰だろうが何だろうが、あらゆるものに容赦せず、そなたの炎で焼き尽くせ」
出来るだろう、と笑う魔王。
訝しむカラールに向かって、もはや愛らしい少女という擬態を脱ぎ捨てた魔族の王は、艶然と微笑んだ。
「よいな? “全て”じゃぞ?」
「全て……ですか……?」
背中を、嫌な汗が伝った。
耳を塞げれば、どれだけよかったか分からない。
けれど、実際のカラールは棒のように動けない。
「無論じゃ。何一つ、取りこぼしは許さぬ。――我らを謀ったあの兵器も、きちんと片付けてこい。……そなたは、情に溺れて目を曇らせた。よいか? 一度は許そう。じゃが、再度の失敗には、相応の報いがあると覚悟せよ」
「……魔王様、待って下さい、リリィは……」
「くどい。――そもそもじゃ、カラ。……親の仇を討ちたいというのは、かねての願いじゃろう? それが、ようやっと叶うのじゃぞ、もっと喜べ、笑え」
そして、全てを壊し、燃やし尽くせ。
それが、魔王軍の“炎花”であるカラールに下された、王の命令だった。
“全て”の中に、自分を刺した少女が含まれている事は明白だったが、カラールはその命令に異を唱えることは出来なかった。