二十二話 不吉な任務
このまま穏やかな時間が過ぎていくのか。
そんな錯覚を覚え始めたある日のこと、カラールは魔王に呼び出された。
リリィの体を調べた調査結果の報告と、ある命令のためだった。
「……ビュティア王国へ潜入、ですか?」
「うむ。これは、わらわから直々に下す命令じゃ」
玉座にふんぞりかえる幼女、もとい魔王は、跪くカラールに対し繰り返した。
「ビュティア王国へ潜入し、禁忌の研究を全て破壊してこい。跡形も残すな」
「…………」
たしかに、カラールが得意とする魔術を用いればたやすい。破壊活動だけを目的にするならば、造作も無い事だ。
しかし、ビュティア王国は、カラールの生まれ育った国だった。それはすなわち、リリィの故郷でもあり、……禁忌の研究というのは、リリィの父がしている事に違いない。
造作も無い仕事ならば、カラールでなければならない理由はない。逆に、因縁を理由に冷静さを欠くからと遠ざけられてもおかしくない。
魔王はカラールの胸中を見通したのか、愛らしい幼女の仮面を外した。
「ビュティアは、我らが同胞を狩りと称して虐殺してきた。時には、同胞と心を通わせた人族ですらも、だ」
あの国の苛烈さは、自身が一番知っているだろう。暗に問われていると気付いたカラールは、肩を強張らせ拳を握る。
「奴らは“異端”という罪状を作り上げ、狩りをした。――禁忌の研究に使うための、材料欲しさにな」
私利私欲のためだけに、同胞は犠牲になった。
その中に、カラールの両親も含まれている。
魔族だった母と、人間だった父。
最後に見た、二人の濁った瞳を思い出す。
先ほど魔王に教えられた研究の内容は、吐き気を催すほどおぞましい。呪い石を、人に投与するだけでも恐ろしいのに、身ごもった女に――魔族の体の一部まで……。
リリィは、自分の母親がされた事を知っているのだろうか。
自分の出自を、きちんと理解しているのだろうか。
出来れば、こんな事実知らないままでいて欲しかった。
けれど、今カラールが魔王から聞いた事は全て、リリィによってもたらされた情報だ。
「リリィは、その研究の唯一の成功じゃ。きけば、量産は今のところ難しいと言う。ならば、魔導兵器などと馬鹿げた事をほざく連中が、調子にのる前に、すべてなかったことにしろ――これ以上、同胞を冒涜する真似を許してはならぬ」
険のある魔王の声。
魔界と呼ばれる領域を束ねる王は、静かに怒りを燃やしていた。
カラールは、心得たと頭を垂れる。
人型魔導兵器。
泣き虫だったリィに、そんな重い業を背負わせた男。
狂った妄執のせいで、たくさんの魔族や混血が犠牲になった。
もしもグラマツェーヌに助けられなければ、カラール自身も幼少時に狩られていただろう。
(異端を免罪符にして、抵抗出来ない者をなぶり殺す……その上、自分の娘にまで……! くそっ!)
両親の死を思い出す。
あんな事が、いまだに行われているなどと、考えるだけで怖気が走った。
「では、すぐにでも。……あの、任務中の監視役は、誰が……?」
カラールの現任務はリリィの監視。――最近はもう、ただの同居と化しているが、名目上は監視役なのだ。
自分がいない間は、別の誰かの頼まなくてはいけないだろうと、そう思ったのだが、魔王は呆れた顔で鼻を鳴らした。
「ふん。あんな面倒な小娘、誰が好んで世話をする? カラ、首輪役を全うしろ」
「…………は?」
「幸い、あの小娘は、そなたに忠実だ。……いささか欲望が先行しすぎる場合もあるが、ま、まぁ、そなたの盾にはなるだろう。戦力的に申し分ない。――我らが同胞、そして人族たちにも、勇者の意思をしらしめる良い機会だ。連れて行け」
「お待ち下さい。……リリィにとって、あの国は故郷です。連れて行くには、あまりにも」
あまりにも、意地が悪いのではないか。むしろ、残酷すぎる。
カラールの、そんな甘さのにじみ出た言葉は、かぶせられた魔王の声により立ち消えた。
「カラ、知っておったか? あの娘、人族は化け物にしか見えぬのじゃと」
「――え?」
戸惑った声が、無意識にこぼれた。
「生まれる前から、散々にいじり回された結果かもしれぬなぁ」
「ま、待って下さい。あいつ、僕にはそんな事一言も」
「そうじゃな。カラの事は、普通にあるがままの姿で見えているじゃろ」
「…………」
人族だ、と魔王は繰り返した。
「……呪い石の影響は受けないが、後遺症は出たようじゃな。――人に忠実な兵器にさせるはずが、あの娘はなにかしらが原因で人に嫌悪感を持った。結果、石の力に多少なれど汚染された人族が、化け物に見えるようになった」
「本人が、そう言ったのですか?」
「いいや。推測じゃ。――じゃが、わらわは魔王じゃ。この世界を見定め、均衡を保つための存在であるからして……推測は、ほぼ当たりじゃろう」
冗談めかした口調だが、その目は真剣で揶揄がない。
「だ、だったら、なんで諾々と従って勇者なんて……」
「人族が意識したか偶然かはわからぬが、嫌悪感を抱いたのと同じくして楔が打ち込まれたんじゃ。――逆らうだけ無駄だ、逆らっても仕方がない、逆らう必要が無い、そんな風に、状況を諦め受け入れるだけの何かが、娘の身に起こった」
カラールは、ふと思い出した。
両親を失ったあの日。グラマツェーヌに救われた自分が最後に見た、馬上の少女。
真っ青で、いつもの生き生きとした表情が消え失せ、ただひたすら虚ろだったリィの姿を思い浮かべ、まさか……という声がこぼれた。
彼女はあの瞬間に、全てを諦めたのかと。
「何か思い当たるようじゃな……。あえて聞く事はせぬが、それが正解じゃろう」
自分と再会するまで、ずっとあんな状態で“勇者”なんてものをやらされていたのか。
考えただけで、喉の奥がヒリついた。
あんなに泣き虫で、よく笑って、無邪気に飛び跳ねる子だったのに……と頭を殴られたような衝撃を覚える。
(なんで……! そんな大事な事、なんで僕に言わないんだ……!)
カラールに関しては、どんなに些細な事でも一喜一憂するくせに、どうして自分の事にはこんなにも無関心なのか。
今すぐリリィの所に行って、大声で言ってやりたかった。
(まず、自分を大事にしろよ!)
きっとリリィは、子供のように首をかしげてから、笑うのだろう。力の抜けた、無邪気な顔で。
『わかった。カラールが嬉しいなら、そうするね』
なんて言って。
本当の意味では、伝わらない。彼女は自分の身など、歯牙にもかけていないから。
それが分かるからこそ、カラールは配下となって以降は常に従うだけだった命令に、異を唱えた。
「魔王様――そのような状況であれば、余計にリリィを連れていくわけには……!」
守護者であり支配者でもある幼女は、甘い答えを見越していたように一笑に付した。
「ならぬ。なんのための勇者の肩書きじゃ」
そんなもの、リリィが望んで欲したものでは無い。
危うく叫びそうになり、カラールは堪えた。
カラールとて、分かっている。
魔王に情が無いわけでも、リリィが人族に持ち上げられた勇者だからと冷遇しているわけでも無い、これが必要な事なのだと頭では理解出来ているのだ。
「勇者は魔王に与する。そう、はっきりと意思表示するための、絶好の舞台じゃ」
「――っ」
けれど、冷静に聞けない。
どうしても、リリィの泣き顔がチラついてしまう。
項垂れたカラールに魔王から、険のとれた声が投げかけられる。
「カラ、娘の手綱をしっかり握れ。あの娘は、勇者。もともと、わらわと対峙し死ぬためだけに作られた兵器じゃ。……そなたがしっかり、導いてやれ」
「魔王様……?」
「人族の勇者は、どうかこの境遇から助けてくれと、救いを求めて来たのでは無い」
魔王は、庇護を求める者を拒まない。
けれど、リリィは違った。
彼女は、魔王に庇護を求めたわけではない。
「あの娘は、カラ……そなたの傍で戦うために、ここに来た」
言われて、カラールは思い出した。
リリィが繰り返した、守るという言葉を。
「そなたのためだけに戦いたいと、ここに来たのじゃ」
自分に向けられた感情の深さが、どれほどのものなのか――カラールは改めて痛感した。