二十一話 少女は語る
幸せな朝食を終えたリリィは、今日も魔王城で、寝返る際に提示された条件をこなしている。
あのとき、魔王が言った、勇者が自分に協力すること……という、あれだ。
約束だから、今日もリリィは魔王に協力している。同じお城にカラールがいると思えば、退屈な時間も特別に思える。
(終わったら、迎えにいこう。うふふ、どんな顔するかな……笑った顔もいいけど、照れた顔も好き、怒った顔はゾクゾクする……うん、全部好き……!)
しかし、協力と言うものの、リリィが積極的に何かする必要はない。ただ大人しくしていれば、あっという間に終わる。
魔王は、リリィから少しの血を採取したり、目の具合を見たりと体を調べていた。昔からされていた事なので、特に気にもならなかったが、やっている張本人である魔王の方がいつもつらそうだった。
そんな空気の中で、今日に限って珍しく、魔王はぽつりとリリィに尋ねたのだ。
――なぜ、こんな事を?
父の事だろうかと、リリィは目を瞬く。
いつだったか、自分を鞭打ちながら「これでは足りない!」と化け物がわめき散らしていた事を思い返す。
「お父様は、わたしみたいな、魔導兵器を沢山作ろうとしているみたい。それには、魔族の血とか心臓とかがいっぱい欲しいんだって」
だからお父様達は“魔狩り”をするの。
リリィは、魔王と向かい合いながら淡々と話をした。
「……なるほどな」
「でも、母体が足りないから、出来ないみたい」
「優れた魔力を内包した、古き血を持つ者など、そうそうおらぬじゃろうな。……そなたの母は、必要な条件を兼ね備えていた、理想の母体だった訳か……――気の毒に」
魔王は悲痛な面持ちで呟いたが、リリィの表情は変わらない。
父は、優れた術士だった。
しかし、魔族が使う“本物の魔術”には叶わない。人間は触媒となる物を利用しなければいけないが、魔族はそんなもの必要としない。――その事を、リリィの父はずっと歯がゆく思っていた。
奴らに人間が劣るはずがない。秘密は、きっと呪い石にある。
そう思い、研究するうちに、呪い石が人にもたらす効果に気が付いたのだ。
理性を奪うが、尋常ではない力を与える。
中毒症状になれば、人の言葉すら理解できなくなり、廃人と化す。
――けれど、魔族はこの呪い石の影響を受けない。
過去の様々な文献を読み込み、リリィの父は最後に恐ろしい領域にたどり着いたのだ。
呪い石に耐性のある人間を作れば良い。
不幸にも、過去に禁忌とされた研究に関する資料が残っていた。リリィの父は、それを読める立場にいた。
――古くから続く血筋には、優れた魔力が眠っている。だから、そういった人間に、呪い石を埋め込むと最強の戦士になるのではないか?
これが、禁じられた研究の内容だったが、リリィの父はもっと邪悪な事を考えついた。
母体に呪い石を与え続ければ、腹にいる胎児には耐性がつくのではないか?
――リリィの母は、没落貴族の娘だった。血筋だけは立派な彼女は、おぞましい研究の実験体として目を付けられ、妻とは名ばかりの扱いを受けた。
呪い石から抽出した液状化成分や、粉末にした呪い石と狩った魔族の生き肝をすりあわせた物を薬と称し投与され続けた。
魔族の生き肝――中でも、とくに“合いの子”の生き肝は重宝した。
人と魔族の間に生まれたそれには、間違いなく呪い石への耐性があったから、上等な薬になった。
そして、実験は成功し、リリィが生まれた。
誤算は、一度の出産で母体が壊れたことだ。量産は難しい、ということになった。
――不幸中の幸いで、そのおぞましい実験は停止した。
別に隠しておくことではない。
知りたいと思うならば、リリィはためらいなく魔王軍に情報を提供する。
けれど、話を聞いていた魔王の表情は厳しいものだった。
「……そなたは、父を恨んでいないのか?」
「お父様を?」
問われて、考える。
「あんな化け物、どうでもいいけど」
「……化け物?」
「あぁ、でも…………カラールにした事は許せない。カラールにしようとした事も許せない。……あの化け物は……あの、この世で一番醜い化け物は、絶対に殺さないと……」
カラールの世界に、相応しくないもの。
リリィはそう、独りごちた。――毒々しい笑みを浮かべながら。
「――……リリィ」
「なに? もう終わった? カラールを迎えに行きたいんだけど」
「……そなた、カラと付き合いは長いのか?」
リリィは、いちど椅子から浮かせた腰を、再び戻した。
「どうして?」
物騒な笑みを打ち消して、けれどもカラールに向けるときほどは熱がこもらない目と声を、魔王に向ける。
「再会だと言っていたじゃろう」
「あぁ……そうだった。……そうなの、ふふ、運命なの」
思い出すように、リリィの口元がほんのりと緩む。
けれども、魔王の表情は少しも動かない。
「――どこで会った? もしも、わらわが治めるこの地にて、察知できない事が起こっていたならば、早急に対処せねばならない」
魔王の言葉は、自分の力不足を悔いているように聞こえた。しかし、そんなものは建前で、リリィの事を探っていたのだ。
けれど、大半のことに興味が無いリリィは、気にすることなくあっさりと思惑に乗った。
「違う。ここじゃない。カラールとは、森で会ったんだもの」
「森?」
「そう。カラールは、森に家族と住んでいたの」
「……そうか」
一瞬、魔王は表情を打ち消した。
リリィはちらりとその様子を一瞥したが、気にとめない。
たとえ、魔王の手が何かに耐えるように、ぐっと握りしめられていても、リリィの感情は動かない。
「ねぇ、もう行ってもいい?」
カラールだけにしか、動かない。
「リリィ」
そんな歪な少女を前に、魔王は言った。
「人が禁忌を犯して作ったそなたに、この世界はどう見えている?」
「…………」
ほんの少しだけ呆気にとられたように目を大きくしたリリィは、ついと首をかしげて笑った。
「ここは、綺麗ね。化け物がいないもの」
「……人族の国は違ったか?」
「あそこは、もう駄目よ。とてもとても汚いの。とてもとても醜いの」
「お前は、他人がどう見えている?」
「貴方は、角の生えたちびっこに見えるわ」
魔王は、そうかと一つ頷いた。
「なら、人族はどう見えている?」
「……どうしてそんな事を聞くの?」
「そなたの発言には、ところどころ引っかかるものがある。――父親の事を聞いたときも、そうじゃ。化け物と、そう言ったな?」
「だって事実、そうだもの」
ふぅ、と魔王はため息をつく。
「そなたの目には、人族が歪んだ形で映るようじゃな。……これも、人族がしでかした事のツケか」
「ねぇ、もう本当に終わった?」
「そなたの父は、殺さねばならぬ。そなたの生まれた国も、滅ぼさねばならぬ。……それでも、勇者リリィよ、我らにつくか?」
リリィは笑った。
今度こそ、声を上げて大声で笑った。
今この瞬間に、気が触れたのかと思うほど、高い声でケタケタと笑い続けた。
「おかしいか?」
「おかしいわ、だって、真面目な顔で何を聞くかと思えば……!」
今更だと、笑いをおさめたリリィは言う。
「わたしはいつだって、カラールのそばにいる。カラールと一緒にいられるなら、なんでもする。カラールが望むなら、なんでもする。……だって、ねぇ」
にたりと、唇が三日月の形につり上がった。
「カラールを不快にさせるものなんて、この世界に必要ないと思わない?」
「それは遠回しな承諾と見なすぞ」
「ふふふ。……この手で、あの化け物を消し去れる日が待ち遠しい」
罪悪感など欠片もなく、リリィは遠くないうちに訪れるだろう争いの予感に、喜びの声を上げた。
魔王は、その顔をじっと見つめていたのだった。