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十九話 引き返せない線の上

「……僕は、お前の兄じゃないぞ」

「……うん」

「……寝ぼけているのか?」


 なぜだろう。嫌な予感がする。

 どこかで、誰かが「はやく気付け!」と泣きわめいている。

 どこかで、何かが「黙っていろ」と首を振る。


「お前、兄がいるのか?」

「……いないよぉ」


 まだ眠りの中にいるのか、リリィは舌足らずな口調でこたえる。


「じゃあ、なんだ、おにいちゃんって」


 笑ったつもりなのに、顔の筋肉が上手く動かない。

 喉がカラカラに渇いているのは、悪夢のせいか嫌な予感のせいか。


「だって、カラールは、そうだから」

「…………」


 勇者の、細い指がカラールの頬に伸びてきて、触れた。


「……だから、……おにいちゃん……」


 そういえば、リリィもあの子と同じ、銀色の髪に紫色の瞳をしていると、今更気が付いた。

 そして、先ほど額で確認したときの体温は低い方だったのに、触れてくる指先はやけどしそうなほど熱を持っていた。


「……リリィ」

「なぁに、カラール?」


 無邪気に笑う、勇者の少女。


「――……リィ、なのか?」

「――」


 頬を撫でていた指が離れ、するりと両腕がカラールの首に回された。

 自ら身を寄せてきたリリィは、唇が触れそうなほどの距離まで近付くと、とろんとした目のままで、艶のある笑みを浮かべた。


「やっと気付いてくれたの、カラールおにいちゃん? ……リィ、約束通り、会いに来たよ」


 そして重なる唇を、カラールは拒めない。

 リリィの目は閉じられること無く、唇が重なる間もカラールを見つめている。

 紫色の双眸に映るのは、強張った顔をした男だ。

 それなのに、リリィは溶けたような笑みを浮かべて、場違いな愛を口にした。


「嬉しい、大好き、愛してる、もう本当の本当に離さない。ねぇ、結婚してくれるよね? 約束、したもんね……? ね? ね?」


 くらりと、めまいがするのは状況について行けないからなのか、受け入れがたい事実だからか。


「わたしのカラール。貴方がやさしいおにいちゃんの頃から大好きだったの、愛していたの。愛し続けてるの。貴方のためなら、何だろうが殺してみせるわ」


 さぁ、言って。

 とリリィは、甘くささやきかけてくる。


「誰を殺して欲しい? あの森を荒らした兵士達? それとも、おじさまとおばさまに酷い事をしたお父様? 貴方が望むなら、どの化け物でも見つけて追い詰めて、必ず殺すわ」

「――…………っ」

「それとも、カラールおにいちゃん。一番殺したいのは、やっぱり化け物達を森に招き入れた元凶かな?」


 甘い声が、「さぁ選んで」と突きつけた選択肢は、どれもこれもが酷い。

 まともな神経ならば、躊躇するものばかりだ。

 それなのに、リリィは期待に満ちた目でカラールを見つめてくる。


「…………お前…………」


 やっぱり、目の前にいる少女はまともではなかった。

 つん、とカラールの目の奥が痛くなる。


「……え? カラール……?」


 呆然としたような声が、リリィの口からこぼれた。


「どうしたの……!? なんで泣くの……!? どこか、痛いの!? 苦しいの!?」


 急に取り乱すリリィに、今度はカラールから手を伸ばして抱きしめた。


「なんだよお前。……なんで、こんな風になってるんだよ……!」

「カラール……?」

「……なんで、こんな風になっちゃったんだよ……!」


 人の命をなんとも思わない、壊れた少女。

 それが、森で出会った小さなリィと重なった途端、カラールは無性に悲しくなった。

 優しい思い出の中にいたあの子の笑顔がぼやけて、終いには砕け散る。


「……わたしのせいで泣いてるの?」


 リリィの手が、おずおずと背中にまわされた。

 

「泣かないで、カラール。ごめんなさい、謝るから、なんでもするから、どうか泣かないで?」

「……僕は、お前がリィだなんて……! 知ってたら、知っていたら、僕は……!」


 きっと、関わり合いになろうとは思わなかった。


 なぜあの森に、あれほどまでに装備の整った兵が押しかけてきたのか。

 どうしてあの日、両親を殺した兵士達の最前列にリィがいたのか。

 成長するにつれ、カラールは理由に気付く。

 

 リィにそのつもりは一切無かったとしても、幼い子供だ。誰かの前で森に住む一家のことを口にしてもおかしくはない。

 身なりは良いところのお嬢さんだった。もしかしたら、心配してあとをつける大人がいたのかもしれない。


 ――リィとの関わりを絶たなかった時点で、自分が両親を死に追いやる切っ掛けを作ったも同然だと感じたカラールは、昔のことを思い出す事を避けるようになった。

 夢に見る事もあったが、それがどれだけ楽しかった思い出でも、自分のしでかしたことを突きつけられているようで、決まってカラールを憂鬱にさせた。


 けれど、カラールはどうしてもリィを恨むことが出来なかった。


 いっそ、アイツのせいだと憎悪出来ればよかったのに、出来なかった。

 だから、二度と会わない事を願った。

 心をぐちゃぐちゃに踏み荒らす存在であろうリィとは、二度と会うつもりなんてなかったのに――。


 変わり果てた彼女が今、腕の中にいる。


「お前となんて、二度と会いたくなかった」

「…………」

「憎い人間だって、そう思えたらよかったのに、……どうしても、出来ないから、二度と会いたくなかった」

「……カラール……?」

「なんで、僕の前に現れるんだよ。なんで、思い出させるんだよ。……――僕はもう、……どう頑張っても、お前を殺せないじゃないか……!」


 勇者は敵。

 勇者は監視対象。

 手のひらを返したら、即刻報告して排除。

 

 ――もう、全部無理だ。


 カラールにとって、リィは思い出の中の女の子。勇者は憎たらしい人間代表。そしてリリィは、複雑な生い立ちで邪険に出来ない存在だ。

 それが全て入り交じってしまえば、情がありすぎて手出し出来ない。

 きっと、グラマツェーヌの命令であっても、躊躇してしまう。


「泣かないで、カラール」

「……泣いてない。誰が泣くか、ふざけるな」

「泣かないでよ」

「泣き虫なお前と一緒にするな」

「泣かないで」


 しつこいぞ、という悪態は口の中で消えた。

 リリィが突然、カラールの頭を胸に抱き込んだのだ。


「泣かないで、カラール。泣いちゃやだよ、カラールが悲しいのは、やだ」

「…………なんだ、その声。泣いているのは、お前の方じゃないか」

 

 そう言いながらも、カラールの声も震えていた。


「わたしのせいで悲しいの? わたしのせいで苦しいの? わたし、いなくなれば、カラールは泣かない? だったらわたし、今すぐ死――」

「僕の前で、二度とふざけた事言うな……!」


 何を言うか察したカラールは、ばっと顔を上げて怒鳴った。


「誰がそんな事言ったんだ! お前のせいだなんて、思い上がるな!」

「だって、……わたしのせいだもの。わたしが、カラールと会うのをやめなかったから、お父様に気付かれたんだもの。わたしが、おじさまとおばさまを――」


 あぁ、やっぱり。

 カラールは、幼い頃見た光景を思い出す。

 

「償う機会をくれたと思ったの。あの時は、わたしが弱かったからダメだったけど、強くなった今なら、なんでもできる。……だからカラールは、わたしに会いに来てくれたと思ったの……――運命だって、思ったの」

「――なんだそれは」

「貴方のためなら、なんでもできる。何だって殺せる。……貴方にとっての仇である兵士達も、お父様も、……わたしだって、例外じゃない。何だって殺せるの、本当よ?」

「ふざけるな、馬鹿女」


 リリィは普通ではない。

 リリィはどこか壊れている。

 そもそも、自身を兵器と軽く言える少女だ。――お父様が、そう言っていたと、平然と。


 気が狂ってる、頭がおかしい、会話が成立しない、時々目から光が無くなる、どれだけ言葉を並べても、言い足りないほどの迷惑を被っているが、一つだけ好ましい点がある。


 リリィは、嘘をつかない。


 語る言葉は全て重い。当然だ、その一つ一つには、本気の思いが詰まっている。


 だから、カラールも本気で少女と向き合うことにした。


「生きろ」

「……え?」

「僕に償うだなんだと言うのなら、生きろ。勝手に死ぬな。自分を軽く扱うな」

「…………いいの?」

「僕のためなら、なんだってするんだろう?」


 ごしごしと目をこすったリリィは、何度も首を縦に振る。


「――だったら、もうたくさんってくらいに生きて、僕を幸せにしろ」

「……カラールを幸せに?」

「出来ないのか?」

「わ、わたしが、生きてて、このままそばにいて、カラール、いいの?」

「散々人に付きまとっておいて、いざとなれば尻込みか? お前の言葉は、口だけか? ――僕の望みを叶えろ」


 くしゃりとリリィは顔を涙で歪ませた。

 

「かなえるっ!」

「よし」

 

 カラールは、リリィを抱きしめた。

 二人はそれきり何も言わず、しばらくそのままでいた。

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