十四話 勇者と魔王の鍔迫り合い
刺激しないように、極力注意を払いつつ、カラールは自分の首に手をかけている勇者の目を見て、しっかりと話しかけた。
「……勇者、お前は争いに来たわけじゃないんだろう? だったら、そんな態度は無いんじゃないか?」
「…………」
勇者の片眉がぴくりと跳ねる。少しは冷静になったのか、それとも苛立ったのか、判断が出来ない。
だが、自分の首に添えてある手に力が込められなかったため、紙一重で大丈夫だろうと予想したカラールは、そっと勇者の手に自身の手を重ねる。
「か、カラール?」
僅かに、勇者が動揺した。
上擦った声が、その事実を表している。
気付かれないよう、自分の首にまわっていた手をそっと外しながら、カラールは言った。
「僕と離れたくないんだろう? あの言葉が嘘ではないなら、……きちんと話してくれ」
「嘘じゃ無いよ! わたし、カラールに嘘はつかない!」
「それなら、わかるな?」
勢い込む勇者の手を、今度は両手で包むように握りしめ、カラールは念押しした。
――真っ赤になった勇者は、コクコクと必死に首を上下に振る。
(なぜこれくらいで真っ赤になる……! 僕に、これ以上の事を仕掛けてきておいて……!)
あやうく、つられそうになり、カラールは慌てて雑念を振り払った。
ひとまず、勇者はこれでいい。
勇者が自分の上からどいてくれれば、厄介な状況は打破出来たと言っていい。
腕組みをしている金髪の少女――魔王には、勇者と話し合う用意があるようだから。
「――で? つまらぬ茶番は終わりか?」
「大変失礼いたしました、魔王様」
勇者が立ち上がり、自由になったカラールは、すぐに片膝をつき自分の王に謝罪する。
魔王は、ふんと鼻を鳴らすと用意されていた豪奢な椅子に腰掛けた。
「本当に失礼だ。……まぁ、いい。わらわは、部下をいじめて遊ぶような趣味の悪さは持ち合わせていないからな。…………話は、すでにグラマツェーヌから聞いている。二人とも、椅子にかけろ」
悠然と腰掛けたまま、卓を挟んで向かい側にある椅子を指し示した魔王に、カラールはぎょっとした。
子供の頃は、一緒におやつを食べようと誘われたりする事があり、向かい合って椅子に座った事もある。
だが、魔王軍に入ってからは、けじめとしてそんな馴れ馴れしい事は一切していない。
すでにカラールは遊び相手ではなく、魔王軍の一部になったのだから、当然のことだった。立場が変わった以上、守らなければならない距離感というものがあった。
「はやく座れ。……話をするのに、カラが一人だけ立っていては、気が散る。王を煩わせないのも、配下の務めだぞ」
「…………で、では、失礼します」
そう言われてしまっては、返す言葉も無い。
カラールが素直に座ると、魔王は一度満足そうに深く頷いた。
「――さて。……勇者よ」
「なに」
「魔王軍に入りたい……と言うのは、まことか?」
「カラールと一緒にいるためなら」
「ふむ。だが、そなたは人族の勇者として祭り上げられている身だろう? 人間のことは、どうするつもりだ?」
「いらない」
迷いも無く言い切った勇者を、魔王はじっと見つめた。
「…………勇者、そなた、呪い石に触れる事が出来たそうじゃな」
「あの石? ――出来る」
「普通、人族は呪い石に触れる事が出来ぬ。……心身に、悪影響を及ぼすからだ」
「そうなの」
「だから、カラはそなたを、自分と同じではないかと考えた。グラマツェーヌも、同様じゃ。…………ただの人族ならば、ここまで性急にわらわに会わせようとしなかったじゃろうな。そなたを庇護せねばと思ったから、急いだ。人族の勇者として、半ば無理矢理戦わされているのならば、その環境から助け出さねばと、お人好しな親子は考えたのじゃ」
魔王と勇者、二人の視線が交わった。
互いに瞬き一つせず、じっと睨み合っている。
誰もが動かず、息遣い一つ聞こえない、痛いほどの沈黙が場を支配した。
時間にすれば、ほんの僅かだったはず。
静寂を破ったのは、魔王だった。
「――だが、それは大きな間違いだったようじゃな」
幼さを残した愛くるしい少女の顔が、支配者のそれへと変わる。
「勇者。そなたは一体、“何”じゃ?」
ねじ伏せるような威圧感を伴った鋭い眼光を勇者に向け、魔王は厳しい口調で問いただした。
「それ教えたら、ここに置いてくれる?」
「…………」
「なにか勘違いしているみたいだから、言っておくけど……わたしは人族とか、どうでもいいの。わたし自身にくっついている肩書きだって、どうでもいい。わたしはね、カラールさえいてくれれば、それでいいの」
にっこりと、邪気を全く感じさせない笑みを浮かべ勇者は言った。
歌うように紡がれた言葉に、魔王は目を細めた。
「なぜ、カラにそこまで執着する?」
「だって……――運命だもの」
臆面も無く断言する勇者に、カラールはおろか、魔王すらも一瞬言葉を失った。
「……そう、運命。運命だったの。――この再会は、運命だったのよ、ねぇそうでしょう、カラール?」
「…………再会?」
どういう事だと魔王から視線を向けられ、カラールは首を横に振った。
行く先々で鉢合わせた事ならあるが……――それをわざわざ“再会”と言い表したわけではなさそうだった。
「今度こそ、わたしはカラールを守るの。そのためには、魔王軍に入って、ずっとずっとカラールと一緒にいないといけないの。だから、石をとってきたの。不足だって言うなら、まだまだ沢山取ってくる。石を全部持ってきても足りないっていうなら、人族の首を持ってくる。……だから、はやく、望みのものを言うといい、魔王」
「…………なるほど」
ため息とともに、魔王は席を立った。
「カラ。そなたら親子の見立ては、外れじゃ。……勇者は、混血では無い」
その目からは、威圧感が消えている。
かわりに、哀れみが浮かんでいた。ためらうような素振りを見せる魔王に対し、勇者はクスクスと小鳥のさえずりのような笑い声をこぼす。
「わたしが、“何”かって聞いてきたのは、貴方でしょう? わかったのなら、気にしないで言えばいいのに。……答え合わせが、必要でしょ?」
これまで、決して勇者からそらすことが無かった魔王の視線が、初めて外れた。
痛ましいものを見てしまったというように、ひどく沈痛な面持ちで、魔王は勇者から目をそらし、言った。
「……言うなれば、その娘は純度の高い呪い石。――人の手により作られた、新たな呪い石じゃ」
「お父様は、人型魔導兵器って言ってたよ」
勇者は、自分の事が話題になっているのに他人事のような口ぶりで、魔王の言葉を補足した。
「カラ。その娘の世話は、そなたに任せる。……娘、望み通り、我が軍に置いてやろう。そのかわり、わらわに協力しろ」
「うん、わかった」
「…………まだ、何も言っておらん」
「なんでもいい。カラールと一緒にいられるなら、わたしはなんだってする」
「…………」
呆れたように魔王がため息をついた。
ちらり、とカラールに視線が向けられる。
――わかっているな? と、念を押すように。
(あくまで、協力。……信用はしていない、様子見って事か)
カラールは、勇者の監視という仕事が長引く事を悟った。
横を見れば、勇者は他者の思惑などどうでもいいのか、しまりの無い表情を浮かべ、うふうふと笑い声をもらしていた。
見ている方も、肩の力が抜けるような笑い方だ。
カラールの緩みかけた気を引き締めたのは、突然頭の中に響いた声だった。
《よいな、カラ。その娘を、人族の元へは決して戻すな》
「――っ」
魔王の声だ。
再び、愛らしい少女の顔に戻った魔王は、勇者に何をさせようかとわざとらしく腕を組み考え込んでいる。
《人族は、越えてはいけない線を踏み越えた。これは、決して許されない事じゃ》
しかし、カラールの頭の中に直接響く声は、威厳に満ちた魔王の声音。
――その命令を受け取ったカラールは、頭を僅かに下げた。
《頼んだぞ》
そして、通話は一方的に終わる。
だが、カラールには考え込む暇などなかった。
すぐに隣にいた勇者が、椅子を倒す勢いで抱きついてきたからだ。
「カラール、今日からずっと一緒ね!」
「はぁ!?」
「おはようからおやすみまで、ずっとずっと一緒――! ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、夜寝るのも、何から何までずっと一緒! 四六時中カラールと同じ空気を吸えるなんて……!」
早口でまくし立てつつ、ぐりぐりと腹部に頭をこすりつけてくる勇者。それを手で押さえつつ、カラールは青筋を浮かべた。
「馬鹿か! そんな、何から何まで一緒なわけがないだろう!」
「おい娘! わらわの元へ留まるからには、節度を守った行動をせよ! ……ずっと一緒とか……なんじゃそれ、うらやまし……ごほんっ――風紀を乱すような行いは許さぬ!」
二人から責められた勇者は、不思議そうに首をかしげた。
「だってわたし、住むところないもの。魔王軍に、知り合いなんていないし」
だからカラールと一緒にいるのが、自然でしょう。
至極当然そうに続けられて、カラールと魔王は顔を見合わせた。
たしかに、監視という名目上、理に適った提案だ。好都合といっても良い。
言い出したのが、勇者で無ければ。
「……まぁ、今の状態で城におくのは、不安が大きい。……致し方ない、カラ頼む」
「本気ですか!?」
そうは言ったものの、カラール自身も勇者を放置していいとは思っていない。
城の一室に住まわせた方が監視としてはやりやすいだろうが、勇者に向けられる視線は好意的なものではないだろう。
結局、魔王は優しさからカラールに勇者の身を預けたのだ。
(……この変人に、魔王様の気持ちがどれくらい伝わっているかはわからないけどな)
目が合うと、嬉しそうに目尻を下げる勇者。
「魔王様の配慮に、感謝しろよ勇者」
「うん! 魔王様、ありがとう!」
「そなた、カラには素直だな!?」
なんでこんなに懐かれたと思いつつ、カラールは彼女の頭に無意識に手を置いていた。