十三話 理不尽な板挟み
自分にごろごろと甘える勇者の頭を、猫みたいだと思いながら撫で続けていたカラールは、視界が僅かに揺れた事に気が付いた。
見れば、自分と勇者を囲むように陣が展開されている。
(あれ、これ……)
二人を囲む陣は、魔王軍で使用されている転移用の魔法陣だった。
術者として適正の高い者が主に使っているので、もちろんカラールも何度も世話になったものだ。
だが、あらかじめ各地に設置されている魔法陣は悪用を防ぐため、軍より支給された血晶という特殊な認識アイテムを介し力を送り込む事で作動するようになっている。
しかし、ここは城の一室。移動に便利な魔法陣は、城の内部には設置されていない。
現に、カラールが腕輪として支給されている血晶は、通常利用時ならば僅かに熱を帯びるはずなのに、なんの反応も示していなかった。
転移の陣が、勝手に展開されている――つまり、誰かがカラールたちを呼び寄せようとしている。
そして、離れた場所にいる存在を自らの元へ一瞬のうちに転移させることが出来る。そんな事が出来るのは、魔王たった一人だ。
「わらわの城で! ハレンチな真似は! 絶対、絶対、許さんぞ!」
幼げな少女の金切り声とともに、カラールの視界は真っ白に染まった。
◇◆◇◆
心構えのない状態での転移……いわゆる、強制転移なるものは、魔王の気まぐれにより度々行われる。
標的は無差別という訳では無く、一応ある程度魔王が信を置いている部下達になる。例えば、グラマツェーヌなどだ。
カラールは特に重役についているわけではないが、四天王であるグラマツェーヌの養い子という事で度々目通りの機会に恵まれ、以降遊び相手として度々呼ばれるようになった。カラールが、正式にグラマツェーヌの部下になってからは、その機会も減ったのだが……。
(久しぶりだからか……、クラクラする)
ようやく視界が景色を取り戻し、めまいがおさまってくる中、カツンと靴音が響いた。
「お主達は、い、一体なにをやっておるのじゃ!」
可愛らしい少女の声が、いやに古めかしい口調で言葉を紡ぐ。
「……何って……」
勇者の声が、やけに近くで聞こえる。腹の辺りに重みと温かさ。
すりすりと何かが胸元にすり寄ってきて――その何かを無意識に撫でた所で、カラールは我に返った。
自分は今、床に寝転がっている。自分の上には、勇者が乗っかっていて、頭を擦り付けてきてはクンカクンカと、なぜか嬉しそうに匂いを嗅いでいた。
そして、憤慨したような顔で自分たちを見下ろしている、幼さを残した少女――金髪の巻き毛に、くりっとした大きな青色の目。赤いドレスがよく似合う、可愛らしい容姿だが、彼女の頭には二つの立派な角が生えている――と状況を認識した途端、ぶわっと羞恥心が一気に襲ってきて、口からは思わず叫び声がついてでた。
「ぎゃああああああっ!!!!」
「カラール、どうしたの? あのチビッコに、なにか意地悪されたの?」
普通ならば、うるさいだの耳が痛いだの、文句を吐く場面だろうに、勇者はまたしても不思議な着眼点でカラールの身を心配した。
「違う馬鹿、離れろ!」
「え? 鼻水つけてないから、いいでしょう?」
「よくないよくないよくない!」
「……カラール、嘘はだめ。つけないなら、していいって、さっき言った」
「だから! そんな場合じゃ無いんだ! 見られてるだろ!」
勇者はカラールの言葉を受けて、ちらりと憤慨している少女を一瞥した。(心底嫌そうだった)
そして、煩わしそうにため息を一つ吐き出すと、事も無げに問うた。
「貴方が魔王?」
「――様を付けろ、勇者」
金髪の少女は、幼げな外見には不釣り合いな威圧的な物言いとともに、カツンと苛立たしげに靴音を高く響かせる。
だが、勇者は相手が何者なのか理解した上で、いけしゃあしゃあと肩をすくめてみせた。
「あいにく、わたしは貴方を敬ってはいないから」
「そうか。わらわも、勇者などというもの、少しも恐れてはおらぬ」
「ああ、そう。別にどうでも良いわ」
「――恐れてなどおらぬから、グラマツェーヌの顔を立てるため、お主と会うことを承知した。……だがな、わらわの城で、ふ、不純な行為に及ぶことは、一切許可しておらん! いつまでもくっついていないで、さっさと離れぬか! ふしだらだ!」
頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして激怒する少女……彼女こそ、正真正銘の魔王である。
たとえ、地団駄を踏む姿が子供っぽく見えようと、その年齢はカラールよりも上だ。なにせ、出会った頃から姿がまるで変わっていない。
「いますぐ! カラから離れろ!」
「……は?」
ただ煩わしいという風だった勇者は、魔王の最後の一言を聞いた途端目をつり上げた。
「…………カラ? カラールの事? なんでそんな風に呼ぶの? カラールは、カラールでしょう?」
「む? ――ふふん」
怒っていた魔王は、勇者が噛み付く素振りを見せた途端、急に勝ち誇ったような顔をして胸をはった。
「なんじゃ、お主、友達とか今までいなかったクチかぁ~? こういうのは、愛称呼びというんじゃ、愛称。特別仲のい~い二人が、特別に呼び合うものなんじゃ」
「わたしはカラールだけがいれば良いから、有象無象は必要ない」
「ほうほう、……勇者は寂しい奴なんじゃな。愛称で呼び合う友達もいないとか。――わらわとカラとは、大違いじゃ。なぁ、カラ?」
「……カラール、あんなチビッコの見え見えの媚び売りに、返事したりしないよね?」
愛くるしいという表現がぴったり似合う笑顔を向けてくる魔王。
しかし、カラールの腹の上には、目から光の消えた勇者がいる。その手が、カラールの首にかかっているのは、錯覚では無いだろう。
いつでも絞め殺してやる、という脅しに他なるまい。
「カ~ラ?」
「カラールっていう最高かつ絶対的な四文字すら満足に覚えられず、発音も出来ない、あらゆる意味で貴方を冒涜しているあんなチビッコに、よもや返事しようなんて思っていたり……しないよね? ねぇ?」
何故呼び方一つでこんな恐ろしい状況になるのだと、カラールは唾を飲み込んだ。
魔王に呼びかけられていて返事をしないなんて、不敬だ。グラマツェーヌから鉄拳制裁を食らってもまだ足りないほどに。
だが、迂闊に答えてしまえば、自分の行動など簡単に押さえ込めるだろう勇者が、どういう行動に出るか分からない。
板挟みになったカラールは、内心で理不尽だと悲鳴を上げた。