一話 くっころ男と求愛勇者
「くっ――! ……殺せ」
とある村の外れにある洞窟の最深にて、黒いローブをまとった男が膝をつき、自分を取り囲む者達を下から睨め付けた。
男の名前はカラール。痩身で、色白を通り越し青白い肌に黒髪の、不健康そうな青年だ。太陽の光を浴びた瞬間、灰になりそうな雰囲気を持っている。
カラールは、たった今負けた。
勇者一味に、完膚なきまでに叩き潰され、ボロ負けしたのだ。
魔王軍四天王が一人、獣面のグラマツェーヌの配下である事を、何よりも誇りに思っていたカラールは、敗北してもなお無様な姿をさらす事を嫌い、命乞いなどしなかった。
カラールを取り囲んでいた勇者一味は、仲間内で視線を交わす。
どうする? と、カラールの処遇に悩んでいるようだった。
どうやら勇者一味、性善説を支持する者たちの集まりらしく、魔王討伐そっちのけで、あちらこちら寄り道しては、悪人に改心を促していた。
だが、それはあくまで人間同士の話だ。
カラールは、見た目こそ人間共に近いが、魔族に属している。見た目が自分たちに似ているから、殺せないなどという世迷い言は勘弁して欲しかったので「さっさとしろ」と勇者一味を睨み付ける。気圧されたように一歩下がる面々。さんざん獣種は殺しておいて、似た姿だと駄目なのかと突っ込みたい。
カラールが失望を覚え、こうなったら自刃しかないかと考え始めたとき、戸惑う一味の中で微動だにしない存在に気が付いた。
白銀の髪に、紫の瞳。旅をしているとは思えない、くすみ一つ無い白い肌。
いつも、なにかを思案するように伏し目がちな、美しい少女。
――カラールの敵である、勇者だった。
「勇者……」
唸るように呼び名を口にすれば、勇者である少女は一歩、前に出た。
どうやら、殺してくれる気になったらしいと、カラールはホッとする。
これだけ盛大な敗北を喫して、敬愛するグラマツェーヌの元へ戻るなど出来なかったから、心底ホッとした。
(きっと、あの方は泣いてくれるだろう)
情の厚い彼の存在を思い、カラールは覚悟を決めて目を閉じた。
「……やっと、捕まえた」
ぽつり、と声が降ってくる。
(捕まえた? あぁ、そういえば、こいつら、行く先々で邪魔をしてくれたからな。……目障りだったのは、お互い様か)
魔王の指示の元、あの村に行け、今度はあの町が臭う、あそこの山にひそむ山賊を蹴散らせ、森に逃げ込んだ奴隷商をぼこぼこにしろ――様々な命を受けたカラールは、いつだって寄り道ばかりの勇者一味と鉢合わせした。
カラールが、任務の邪魔をする遠足気分集団と一味を毛嫌いしていたのと同様、向こうもつけ回しているのかと思うくらい遭遇率が高い魔王軍のなんとか――と思っていてもおかしい事では無い。
だから、勇者の言葉は、この悪縁を終わりに出来る事への喜びだと思っていた。
――思っていた、のだが。
「――え?」
いつまでたっても、痛みはなかった。意識がなくなることも無い。
かわりに、ぎゅっと何か暖かい物がくっついてきて、カラールは思わず目を開けてしまった。
「な、何してるんだ貴様は!」
ぎょっとして叫んだのも無理は無い。
カラールは、なぜだか勇者に抱きつかれていた。いや、頭を胸に引き寄せられ、ぎゅうぎゅうされているのだから、抱きしめられている――と言う方がより正確かもしれない。
二つの柔らかい感触が、カラールの顔に遠慮無く、ふにゅふにゅと押しつけられる。
「は、離せ!」
「嫌。やっと捕まえたんだから、もう絶対離さない」
「はぁ!? 意味が分からん! もう、やる事は済んだだろう! さっさと殺せ!」
「そんな――! わたしは、まだ何もヤってない……!」
「あぁ!?」
なんだか変だ。カラールは、美少女に抱きしめられるという美味しい状況に流される事なく、違和感を察知した。
殺り合った上で、決着は付いたのだからさっさと殺せ。
カラールはそういう意味で言ったのだが、常に伏し目がちだった勇者は、なぜか頬を赤くし、うるうるした紫の目でカラールを凝視している。
薄紅色の唇の隙間から、ちろりと赤い舌がのぞき、ペロリと唇を湿らせる。
なんて事は無い仕草の筈なのに、見てはいけないものを見たような気になるのは何故だろう。
カラールが、そろっと視線をはずそうとすると、体の拘束が緩んだ代わりに顔をがっちりと捕まれた。
潤んだ瞳は、カラールだけを見つめている。
あのね……と、秘密を告白するような小さな掠れ声が、カラールの耳朶を打つ。
「あのね、色々ヤるのは、これから……」
熱っぽい囁きに、寒気がするのは何故だろう。
敗北が決まった瞬間、生き恥をさらすよりはここで潰える事を望んだはずなのに、舌の根も乾かぬうちに撤回して、速攻で逃げ出したいという気持ちが際限なく膨らんでいくのはどうしてだろう。
「ねぇ……」
「っ」
勇者の顔が近付いてくる。
突き飛ばして逃げ出したいのに、金縛りにあってしまったかのように、身動き一つとれない。
「……一目見た時から、決めてたの」
ぺろり、と勇者の舌が、カラールの頬に滲んでいた血を舐め取った。
「――わたしと、結婚して下さい……!」
そして、ダメ押しとばかりに、唇と唇が重なる。
勢いが強すぎたせいか、ぶつかって痛いくらいだ。
けれど、おかげでカラールは我に返る事が出来た。
油断していたのか、すっかり緩んだ手を振り払い、ずざざざと尻餅をついたまま後ろへ逃げる。
「馬鹿か貴様! さっきの戦闘で、頭でも打ったか!?」
「心配してくれるの……? でも、大丈夫。怪我なんてしてないから」
「なら、気でも狂ったか!」
「ずっと貴方に狂ってる……きゃっ! 言っちゃった!」
ぽっと赤らむ頬を抑え、もじもじする勇者。
上手い事を言ったと思っているようだが、全然上手くないとカラールは首を左右に振った。
「おい、貴様ら! 何を呆けてみている! この乱心勇者を、なんとかしろ!」
とうとう、傍観者と化していた一味を怒鳴りつければ、彼らは生ぬるい笑みを浮かべたり、困ったように視線をそらしたりして反応はまちまちだが――いずれも助ける気は無く。
「わたしがいるのに、他の人を見ないで」
錯乱しているとしか思えない勇者は、頭が沸いているセリフを口にする始末だ。
「茶番は、いい加減にしろ!」
「ううん。本気」
「なお悪い!」
口調は強気なカラールだが、座り込んだまま立てない。さっきの尻もち後退で、最後の体力、気力を使い切ってしまったらしい。
それなのに、勇者はひたひたと近付いてくる。両手を前に出し、わきわきと何かを揉むような仕草をしている所が、なんというか……かなり気持ち悪い。
外見は、目も覚めるような美少女であるのに、怖気を感じるのは行動の端々に滲む、“なんかダメな感じ”のせいだろう。
「うふふふふ、捕まえた、ちゅーもした、もう結婚しかない、ハッピーエンド万歳……」
「うわぁああっ! 来るなぁぁっ!」
「幸せになろうね、わたしのカラール……。窓に鉄格子とお部屋の扉は外側からしか開かない、特殊構造のお家もようやく完成したんだよ」
「監禁する気満々じゃないか! なんなんだ、ホントに!」
ハッピーエンド要素など、どこにもない。
それなのに、幸せそう……というか、脳みそが溶けてそうなだらしない笑みを浮かべている勇者は、はっきりいって危ない人だ。
カラールは今日まで、伏し目がちな儚げ美少女と思っていた自分を殴り飛ばしたい気分だった。
「好き、好き、大好き、初めてなのこんな気持ち、貴方にだけなのこんな気持ち、愛してる、ずっと一緒にいたいの、独占したいわ、カラールカラール、あぁカラール! 鎖で繋いで、ずっと一緒に、ね?」
――恍惚の笑みを浮かべ迫り来る美少女勇者は、言い表しがたいほど恐ろしかった。
「ぎゃぁぁぁっ! くるなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
それはまさに、好色爺に迫られる生娘の図。膨張し続けた逃避本能が、とうとうパーンと破裂して、火事場の馬鹿力を発揮した。
精も根も尽き果てたはずのカラールは、悲鳴と共に転移魔術を発動させたのだ。
◆ ◆ ◆
「うわぁぁ! 来るな来るな来るなぁ!」
べちゃっと冷たい床に着地しても、カラールは自分が無事魔の手から逃げおおせたと気付かなかった。
「カラール! 落ち着け、何があったんだ!」
「――っ!」
力強く肩を揺さぶられ、ハッとする。
そこは、見慣れた場所であり。見知った人がそばにいた。
「ぐ、グラマツェーヌ様……!」
敬愛する、四天王。カラールの命の恩人にして、育ての親。
上半身は人、下半身は馬という特徴を持つ彼女はケンタウルス族だ。大柄で、時にたくましささえ感じるグラマツェーヌは、母性が強い。なにせ、家を焼かれ家族も殺され泣いているだけだった子供を拾って、一人前になるまで育ててくれたほどだ。
今も、心配そうにカラールを見下ろしている。
「そうだ。私だ。……お前がここまで取り乱すなんて、一体何があった? 洞窟に封じられていた呪い石は、回収されてきたのに、お前はいつまでも戻らないから、心配したんだぞ」
「す、すみません。勇者一味と鉢合わせまして……」
「なに?」
グラマツェーヌは、そのきつい目尻をますますつり上げ、ぎりぎりと歯噛みした。
「また奴らか……! 魔王様が、この世界のためをおもい尽力しているというのに、その邪魔をするとは――!」
「……申し訳ありません。僕では、奴らを止めることが出来ませんでした」
自分の敗北を告白する事は、とても恥ずかしい事だった。相手が、慕って止まないグラマツェーヌ相手ならばなおさらだ。
けれど、嘘偽りは魔王軍になんの益ももたらさない。そして、グラマツェーヌにも、だ。
カラールは悔しげな顔で、もう一度「申し訳ありません」と繰り返した。
「何を言う。お前は呪い石の回収という任を、完遂したではないか。見事な手際だったと、魔王様も褒めておられた」
「…………」
「無事に帰ってきてくれて、よかったよ。疲れただろう? 少し休むと良い」
小さな子供にするように頭を撫でられ、労るような言葉をかけられる。
はい……と、小さな声で返事をしたカラールは、重い体に力をこめて、なんとか立ち上がる。
「カラール、運んで行ってやろうか?」
「いいえ、大丈夫です。失礼します」
本音は、歩くのも億劫だったが、四天王の一角であるグラマツェーヌの部屋に転がっているわけにも、ましてや彼女自身に運んで貰うわけにもいかない。カラールは神妙な顔で頭を下げると、のろのろと部屋を出た。
――グラマツェーヌは、欠片もカラールを責めていない。無事を喜び、仕事ぶりを褒めてくれた。
まるで、親が子の成長を喜ぶように。
それが、たまらなく惨めで情けないなんて、口が裂けても言えなかった。