狙う者
そこにあったのは、全く面識のない青年の姿だった。さらに青年は一人だけでなく全部で三人いた。彼らは全員若く、明らかにクヌートより歳下だった。
「お前、脱走兵の一人か?」
逃げてきた青年はそう言ってナイフを取り出し、クヌートの方に歩み寄った。
「――え」
突然のわけのわからない問にクヌートは無意識に声を漏らした。
「おいおい嘘だろ。まさか俺の見当違いか? そんな訳ないよなぁ」
「……最近のことしか記憶にない。どうしてそう思う」
「俺の記憶違いでなければ、お前の名前はビョルンだ。雪崩に巻き込まれて消息を断った『兵士』の一人。王都の罪人の壁に似顔絵付で貼ってあるぜ。お前は脱走兵扱いだから、捕まえて王都に引き渡せば金が貰えるらしいじゃないか。ここにいるって聞いてきたんだよ。色の薄い髪、長身……うん、該当するな。あとは左手の中指が欠けているはずだ。見せやがれ」
「凍傷で指が無くなることはよくある。人違いだ。どうやってこの場所を知った。王都から来たのか。それとも今朝殺した盗賊の仲間か?」
「話を逸らすんじゃねえ。手袋を取って見せやがれ」
青年はクヌートの質問には答える気がないらしく、強引にナイフをクヌートの喉元まで持ってきた。ただ、身長が足りないので思い切り腕を伸ばさなければならなかった。つま先が少し震えている。
「おい。今、なにを殺したって……?」
仲間のうちの一人が小声でつぶやいた。
「ハッタリだ! こいつらは頭が悪いわりにすぐに嘘をつく。腰抜け脱走兵にそんなことができるわけがない。こいつが脱走したのはかなり前の話だ。きっともう戦い方も忘れちまったさ。今までコソコソ生きてきたわけだからな」
ナイフを突きつけながら青年が怯える仲間に言う。
「でもよォ……」
「金が欲しくないのかよ? 情報漏らした馬鹿オヤジだって言ってただろ。王都に引き渡せばそれなりに金になるって」
「他人から聞いた話か」
クヌートは青年たちの会話に口を挟むと、ナイフを突きつけていた青年の腕を力任せにねじった。不意を突かれた青年はナイフを取り落とし、痛みに耐えかねてダンゴムシのように地面に転がった。そのまま腕をまわして首を締め上げると、じきに白目を向いて意識を失った。
「誰から聞いた?」
クヌートは腰の引けている仲間の青年二人に尋ねた。
「……知らねえよ」
「俺も知らねえ」
二人は目を泳がせながら言った。しかしクヌート気絶した青年の首にもう一度おもむろに手を掛けると、焦った様子でその口を割った。
「王都から来たって男だよ。賞金稼ぎだって言ってたけど。あんたがどこにいるのかも教えてもらった。たぶんずっと後を付けてたんだろうさ。俺らが知ってるのはそれだけだ」
「だから勘弁してくれ。俺たちもう帰るし、もう二度とこんなことしないからさ」
二人は交互にそう言って倒れている仲間を返してほしいと言い出したが、クヌートはこういう時どう対処するべきなのかよくわかっていなかった。青年の首をなんとなく掴んだまま、どうするべきか考え込んでいると、タイミング良く背後から声がした。
「離してやれ。ただし、その王都から来たって男に私らを会わせろ」
いつからいたのかわからないが、ノーチェが少し離れた木の陰からひょっこり顔を出した。
「いつ金貰う約束してたんだ?」
彼女は青年たちに尋ねた。青年は「明日の夕方、ここから少し南に歩いたところにある村で」と小さな声で言った。
その日、青年たちはモヴィ族のテントで強制的に一夜を明かすこととなった。
次の日の午後、テントを出発したクヌートたちは両手を拘束した三人の青年を連れて次の村へと向かった。ノーチェはモヴィ族から雄のトナカイを一頭買い、背中に荷物を乗せた。
「ねえ。クヌート、これだーれ……?」
ハンナは何度も青年たちの方を不思議そうな顔をして振り返っていた。クヌートは「後でわかる」と言っただけだった。
目的地の村は湖からそう遠くない場所にあった。かなり小さな村で、山に食い込むように何件か民家があるだけだった。村にはつきものである堀や柵も存在しない。そればかりか、人の姿すら見あたらない。
「おい、ここって……廃村じゃないのか?」
ノーチェが問うと青年たちは黙ってうなずいた。よく見てみれば、民家には所々燃えたような跡があった。火事で人がいなくなったのだろうか。
「確かに廃村だけど、俺たちはここに来るように言われたんだよ」
青年がそう言った瞬間、どこからか一本の矢が青年目掛けて飛んできた。矢はそのまま青年の肩に突き刺さった。クヌート、ノーチェ、ハンナはその場に伏せたが、青年二人とトナカイは一目散にその場から逃げて行ってしまった。
「おい、今度は何だ。説明しろ馬鹿! まさか私らを嵌めたか!」
ノーチェは地面に伏せながら矢を受けた青年の方を睨んだ。青年は口から泡を吹いて死んでいた。
毒矢だ。
「クソ。何がどうなってる」
「わからない。でもここにいたら、そのうち死ぬ」
クヌートは慌てることなくハンナを自分の下に隠した。
「それくらいわかる。見てみろこいつ。可哀想に。即効性の毒だ。こんなもん使うんだからろくな奴じゃない。少なくとも猟師なら使わないはずだ」
ノーチェは死んだ青年を指さして言った。その時、逃げていった青年の断末魔が聞こえてきた。
「もう一人もやられたか。敵は何人いるんだ」
クヌートはノーチェの質問には答えず、隣の民家の陰に移った。辺りを警戒し、慎重に足を進めていく。
しかし、それから矢は一本も飛んではこなかった。しばらくクヌートが辺りを見回ったが、男のものと思われる足跡がいくつか残っているだけだった。
次回より新章に入ります。