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出会い 前編

 夏が過ぎ去り、森の木々が赤や黄色に色付き始めた。

 ブランカの家に来て間もないクヌートは、彼女の元であらゆる手伝いをこなしていたが、どこかぼんやりと日々を過ごしていた。

 遊牧民のテントで目覚めてからというもの、ずっと頭の中に霞が掛かっている。自分が誰なのかわからないばかりか、言葉を話すことすらままならない。

 せり上がってくる感情を何とか言葉にしようと試みてはみるのだが、どうもうまくいかない。時折ふと何かを思い出しそうになっても、すぐに忘れてしまうのだった。


 ある晴れた日の午後、ブランカに頼まれたハーブを取りに、クヌートは外へ出た。

 澄みわたる青空をぼんやりと眺めながら、ハーブの生えている森を目指して独り歩く。

 初めてブランカと一緒に来た時はハーブと雑草の区別がつかずにかなり苦戦したが、何度か同行する内にいつの間にか見分けがつくようになっていた。

 クヌートがハーブに手を伸ばすと、それと同時に背後から小枝を踏むような乾いた音が聞こえた。

 ――誰かいる。

 そう思った時には既に手遅れだった。背後の茂みから三人の少年達が飛び出してきたかと思うと、乱暴にクヌートの体を掴み、そのまま地面に押さえ付けたのだ。

 事態が飲み込めず、ただ呆然と地面に横たわる事しかできないクヌートをよそに、少年達はゲラゲラと笑った。

「うまくいったぜ。まさか本当に捕まるなんて、図体の割にトロいヤツだな!」

「俺こいつ知ってるぞ。ブランカの家に出入りしてるって噂の変なヤツだ。話しかけても一言も言葉を返さねぇんだと」

「気持ち悪いヤツだな。おい、こっち見ろよ間抜け」

 少年達は口々にそう言い、地面に突っ伏したクヌートの首根っ子掴むと、強引に顔を上げた。

 ――殺される……!

 そう思ったクヌートは、咄嗟に自分の口の近くあった手に噛みついた。

「痛ぇ! てめぇ何しやがる!」

 噛まれた少年は大袈裟に絶叫すると急いで手を引っ込めた。大きな体、凶悪な顔付き。彼がこのグループのボスであることは一目でわかった。一番怒らせてはいけない人物に噛みついてしまったことを、クヌートは深く後悔した。

「ロイ、トール。コイツをしっかり押さえとけ」

「了解グスタフ。ボコボコにしてやれ」

 噛みついた少年の名前はグスタフというらしく、完全に火が点いた彼はクヌートを容赦なく殴り始めた。必死で抵抗を試みるが、病み上がりの身体は思うように動いてはくれず、強烈なパンチを顎に食らった。

 頭がビリビリと痺れるようだった。奥の方で耳鳴りのような音が鳴り響き、思わず意識を飛ばしそうになる。しかしその瞬間、どこか懐かしいような、奇妙な感覚に襲われた。

 薄れる意識に何とかしがみつきながら、クヌートは衝動的に右手を振るった。右手は誰かの左頬にめり込んだ。

 そこから先は無我夢中だった。殴り殴られ、もうどれが誰の腕なのか、それすらわからなくなっていた。


「グスタフ! そこで何やってる!」

 四人でもみくちゃになっていると、突然誰かの怒鳴り声が聞こえ、一本の矢が勢い良く飛んで来た。矢は近くにあった白樺の幹に深々と突き刺さった。四人とも同時に動きを止め、声の主の方を向いた。

 少年のような出で立ちをした少女が弓を構えていた。短く切られた黒髪が冷たい風にそよいでいる。ギラギラと光る琥珀色の鋭い目は、少年達をじっと睨み付けていた。

「うわ、ノーチェかよ。最悪だ」

 グスタフが言った。

「おい、飲んだくれクソ親父の娘がこんな所に何の用だ?」

「帰れよブス! 帰って女々しい弟のケツでも拭いてやがれ」

 相当嫌っているのか、このノーチェと呼ばれる少女に対し、少年達は一斉にヤジを飛ばし始めた。しかし当の本人は全く気にしていないらしく、彼らの言葉を完全に無視してクヌートの方へ歩み寄って来た。

「大丈夫か? 血が出てるし、顔色も悪いぞ」

 伸ばされた手がクヌートの頬に触れ、垂れ流されていた血が拭い取られた。

「最近ブランカの所に来たクヌートだな。帰りが遅いって婆さんが心配してたぞ」

 どうやら彼女はブランカに頼まれてクヌートを探しに来たようだった。

「帰ろう。夜になっちまう」

 ノーチェは腹這いになっていたクヌートの腕を掴んで強引に起き上がらせると、そのまま手を引いてもと来た道を戻ろうとした。

「待てよクソアマ」

 グスタフが怒鳴り、ノーチェに石を投げた。石は見事に彼女の頭に当たり、ゴツンと鈍い音を立てた。その場の空気が凍り付く。

「……こっちが大人しくしてれば、調子に乗りやがって」

 ノーチェは握っていたクヌートの手を離すと、グスタフの方に向き直った。

「ぶち殺してやる!!」

 彼女はそう叫んでグスタフに殴りかかろうとした。しかしすんでのところで何かに気付いたように「あっ」と声を上げ、その手を止めてしまった。

「どうした? 怖くなったか?」

「賢いな。どうせお前じゃグスタフには敵わねぇよ。だって――」

 取り巻きの二人も茶化そうとしたが、ノーチェ同様すぐに動きを止めた。

「……何か聞こえる」

 ノーチェが言った。その場にいた全員が息を殺し、耳をすます。

 森の奥から微かに聞こえてくる、枝や落ち葉を踏む音。荒い息使い。そして、頭上から獣の鳴き声が降ってきた。

 全員が恐る恐る顔を上げると、木のてっぺんに幼い子熊がくっついていた。

「嘘だろ……全然気が付かなかった」

 ノーチェの顔が一気に青ざめる。

「へっ、あんな赤ん坊の何が怖いんだよ」

 グスタフが鼻を鳴らした。

「わからないのか。私らは子熊のいる木の真下で騒いでたんだぞ。ってことは――」

 五人の背後で低い唸り声が聞こえた。









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