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雪炎の中で

 暫くの間、全員その場から動くことができなかった。ただひたすらに外の声に耳を傾け、眉間に皺を寄せて身構えていた。誰もが現状に頭を悩ませる中、突如その声は飛び込んできた。

「火事だ! 皆逃げろ!」

 窓の外からそんな叫び声が聞こえ、家の中に響いていたすすり泣きはぴたりと止んだ。

「……火事? まさか、取り憑かれた誰かが町に火を放ったのか?」

 ノーチェが咄嗟にドアに手を掛ける。少しだけドアを開き、外の様子を窺っている。クヌートはそんな彼女の後姿をただぼんやりと眺めていた。頭の中で何かが引っかかっている。それがいったい何なのかはわからない。記憶を取り戻してからというもの奇妙な胸騒ぎが続いていたが、それがここへきて一層強烈なものになっていた。

「なんだこれ。大雪じゃないか。何も見えない」

 ノーチェの声にはっと我に返る。外はいつの間にか大雪になっており、殆ど何も見えなくなっていると言うのだ。どうやら視界を完全に奪われた人々は、ただひたすらに「火事」という単語を復唱しているだけのようだった。

「これは酷い吹雪だな。でもこんな中火事? まさか。燃えるものも燃えないんじゃ……」

 後から向かったへルマンがノーチェの肩にそっと手を置く。しかし、同時に彼はあることに気がついた。

「いや、でも町の臭いが……これは、何かが燃える臭いだ」


「燃えてるぞ! 町の出口まで走れ!」

「火事だ! 皆に伝えてくれ!」

「魔女が町に火を放った!」


 声は絶えず聞こえてくる。

「ヘルマン、とりあえず何が起きているかわからない以上、外に出るのは危険よ。ここにいた方が良い」

 エルが子供たちをなだめながらへルマンに言う。その間も外の声は町中に響き渡っている。

「いや、でも外が焦げ臭いんだぞ。何かが燃える音までするんだ」

「今外に出ても出口まで辿り着けるわけないじゃない。子供たちもいるのに、もしはぐれてしまったら――」

「ここにいて炎に呑まれたらどうするんだ。もし魔女が起こした炎なら、こんな吹雪の中だってすべてを焼き尽くすかもしれない。いや、そもそもこんな雪解けの時期に吹雪くだなんて、それこそ魔女のせいだ。赤いオーロラもこの猛吹雪も火事も、すべて町の人間を滅ぼすための――」

「おい落ち着け!」

 ノーチェがへルマン肩を激しく叩き、ぴしゃりとドアを閉めた。

「とりあえず、今は様子を見るんだ。下手に動いて炎に近づいたらもともこもない。その代わりいつでも動けるように準備しておくんだ。吹雪が弱まり次第移動する」

 彼女がそう言うとへルマンは冷静さを取り戻したのか、「すまない」と静かに呟き、部屋の奥にある椅子に腰掛けた。


 クヌートはそんな彼と入れ替わるようにノーチェの元に歩いていくと、もう一度部屋のドアを開けた。


 外は火事の気配どころか、吹雪いてすらいなかった。微かに粉雪のちらつく夜の町を、狼狽した人々が滅茶苦茶な動きで走り回っているだけの、何とも異様な光景だった。

「ノーチェ、どういうことだ?」

「何がだよ?」

「火事どころか、吹雪いてすらいない」

「はぁ?」

 ノーチェは本気で不思議そうに首を傾げている。悪戯というわけではなさそうだ。そもそも、彼女はそんな人間ではない。それはヘルマンにしても同じはずだ。

「お前、この大雪が見えてないのか?」

 クヌートはもう一度外に目を向けた。やはり何も見えない。降っているのは微かな霙だけだった。ふと、悪霊の薄ら笑いがよみがえった。

「……ノーチェ、誰もこの家から出すな。外を見てくる」

「無茶言うなよ! だって外は――」

「俺には何も見えない。大丈夫だ」

 クヌートはそう言うと、ノーチェを押し退ける様にして外に出た。付いてこようとする彼女を力任せに家の中に押し込み、勢い良くドアを閉めると、何かに急かされるようにして駆け出した。


 空は相変わらず赤黒いが、それは火事の炎によるものではない。道行く人々は前屈みになりよたよたと手探りで歩いているか、酷く動揺した様子で出鱈目に走り回っては、壁や木に激突している。

 クヌートはひとまず町の出口の方へ向かって走った。しかしその途中、奇妙な人物を目にした。その人物はハンナを助けた広場の近く――ちょうどヴァンとノーチェの登っていた屋根の上に悠然と立っていた。一瞬、この混乱の中でおかしくなってしまったのかとクヌートは思ったが、どうもそうではないようだった。

 ――あいつか。

 そう確信したクヌートは、引き寄せられるように屋根の男の元へ向かった。


「待っていたよ。やっぱり君は騙されなかったんだね。他の皆は門の方へ行ってしまった。でもこの町の長は魔女側の人間なんだ。だから、決して門を開けることはない。選ばれた人間だけが生き残ると信じている。私が確かな器を手に入れて、全員殺してしまうだなんて想像もしていないらしい」

 クヌートが屋根によじ登ると、男は全く驚く様子もなく、まるで彼を待っていたかのように言った。彼はノーチェたちを村へ入れた門番の姿をしていたが、今はその役目を放棄していた。もちろん、クヌートは彼の事を知らない。金色の髪に無精髭を生やした背の高い男だった。

「君、確かビョルンといったね? 君も気の毒なやつだ。あの女……カレンを殺してしまったのは少し悪かったと思っている。しかしあのまま生かしておけば、彼女はせっかく用意した舞台装置を壊しかねなかったんだ。ご覧。もう少しで彼らは町ごとこの世から消え去るんだ。過去の忌々しい記憶や、くだらない対立と共に。君も見届けるといい。君と前の()()()は少しばかり似ているからね。そういう人間にしか、この町の本当の姿は見えないのさ。この大雪が見える人間は、ある意味幸せなのさ」

 そこまで言うと男はクヌートに背を向け、小さくあくびをした。

「お前が悪霊か。その男を使って何をするつもりだ」

「君も私を悪霊と呼ぶか。呑気なものだ。悪霊なんてそんなもの、人間の意識が作り出したものに過ぎない。いつの日からか人間の内側に住み着き、成長していく。むしろ人間がいなければ私などはなから存在しない。君ならよく知っているはずだろう」

「全員殺す気か。顔も知らない町の人間を、復讐という名目で」

「君は、私を止めるかい? 止したまえそんな愚行。彼らがいったい君に何をしてくれたというんだ。自分等の安心と保身のために、目についた同族を手当たり次第に痛め付け、挙げ句の果てに何の罪もない子供にまで手を掛けた。助ける意味などない。彼らは自分たちで勝手に問題を作り出し、勝手に大きくしているだけだ。あの時から何一つ変わっていない」

「勘違いするな」

 クヌートは言った。

「俺は町の人間を助けたいわけじゃない。そんな善人に、今更俺ごときがなれるはずない。俺が助けたいのはノーチェと、幼い日の自分だけだ。それ以外はどうでもいい。ハンナももうこの町にはいない。焼かれようが、赤の他人が何人死のうが構わない。好きにするといい。……ただし、一つだけ条件がある」

「何かな?」

 悪霊は期待のこもった眼差しをクヌートに向けた。彼は何の迷いもなくこう切り出した。

「器がいるんだろう。なら俺がなる。この町の外に、殺さなきゃならない人間が山ほどいる。そのためにはお前の力が必要だ」



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