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犠牲者たち

 クヌートはノーチェと共に外に出た。赤黒い天蓋から降る雪は勢いを増し、人々の視界を曇らせている。

「奴は誰に取り憑いてるかわからないんだろ? それなのにどうやって殺すつもりだ? いや、そもそも殺すのか?」

 ノーチェが尋ねる。

「呪いを解く方法も、奴を殺す方法も探している暇がない。町を空にするか、奴を町の外へ連れていくかだ」

「さっきも言った通り、門なら通れないぞ」

「何故?」

「カレンが言ってた。この街には古くから魔女を信仰する人間が一定多数いる。で、そうじゃない人間と未だに派閥があるみたいだ。たぶん門を閉めているのは前者だ。お前が来る前に一応行くには行ってみたけど、人だらけで道そのものが詰まってた」

 選別の日。魔女を信仰する者達の間では密かにそう呼ばれていたことをクヌートは思い出した。しかし彼はやる気でいた。

「何とかして奴を誘いだしたい。例えば、俺に取り憑かせることでなんとかなるかもしれない。もし奴の意識を抑えたままこの街を出ていくことができれば……」

「はぁ?」

 クヌートの突飛な思いつきにノーチェは頓狂な声を上げた。

「お前、私と離れてる間に自己犠牲癖にでも目覚めたのか? そんな無謀なことして、失敗したらどうするつもりだ」

「ノーチェ。ここに来る前レオンも言ってたが、アレは取り憑いた器を苦痛で押さえ付けている。マルタの様子を見ていてもわかった。だから――」

「だから自分には耐えられると? 確かにスロも似たような話はしてたぞ。でも、仮に耐えられたとして、それからどうするつもりだよ」

 ノーチェが鼻を鳴らすと、それと同時に家の陰から少女が一人飛び出してきて、クヌートと勢い良くぶつかった。

 少女はクヌートの顔を見るなり心底怯えきった様子で「逃げて」と叫んだ。彼女は広場でハンナやカールと一緒に逃がした少女だった。

「何してるの? こんな所にいちゃ駄目だよ。あなたを探してる人、いっぱいいるんだから!」

「広場にいた子か」

「町の門は閉まっていて出られないの。だから隠れて! 隠れるの!」

 少女は必死に叫ぶ。今までもそうやって様々な人に叫んできたであろうその声は、渇れ果てて聞き取るのがやっとだった。

 すると彼女が飛び出してきた曲がり角から、今度は若い女が姿を現した。女の持ったナイフが少女の肩口に突き刺さったのはほんの一瞬の出来事だった。「あっ」という短い悲鳴が、女の金切り声に掻き消される。

 少女はクヌート方に前のめりになって倒れた。それを何とか抱え上げると、女との距離をとった。幼い頃の記憶がふと甦る。あの時目の前で殺されたのは従兄だった。

「見つけた。お父さん、早く来て! この魔女、やっぱり仲間を探してたわ!」

 金切り声が冷えきった薄暗い街にこだまする。激昂したノーチェが女の顎目掛けて拳をぶつけると、女はくぐもった短い呻きを上げて地面に崩れ落ちた。

「クヌート、一旦どこかに隠れるぞ。その子を連れてこい」

 ノーチェの抑揚のない声と共に、クヌートの袖が引っ張られた。冷めきった口調とは裏腹に、その力はクヌートをよろめかせるほど力強かった。

「クヌート。こんなこと言いたくないし、考えるべきでもない。でも私は……もうこの町の人間を救いたいと思えなくなってきたよ。一段落したら、もういっそ町ごと燃やしたいくらいだ。そうなる前に、手を打たなきゃな」



 女が大声叫んだおかげで、クヌート達は暫く町の人間に追い回される羽目になった。しかしとある入り組んだ路地で行き止まりに差し掛かった時、腐りかけのドアが三人の背後で音を立てて開き、一人の男がひょっこり顔を出した。

 男は周囲に誰もいないことを確認すると、手招きしながら囁いた。

「こっちに入れ」

 男は真剣な眼差しで言った。

「お前があいつらの仲間じゃない証拠はあるのか?」

 クヌートが尋ねると、男は一瞬目を泳がせたが、その後きっぱりと言った。

「ない。でも信じてくれ。僕も君達を信じる。後悔はさせないさ」

 クヌートはノーチェと顔を見合わせた。その時ちょうど複数人の足音がこちらに近づいてくるのがわかり、その場にいる全員の額に冷や汗が滲んだ。

「早く……!」

 クヌートは男の力強い言葉と、切迫した表情を信じて中に入った。


 追手に見つかる間一髪の所で三人は家の中に入った。家の中はおんぼろで薄暗く、暖炉の火も消えていた。男は手に持った蝋燭の炎を頼りに家の奥へと歩いていく。

「なんだここ。まるで廃墟だな」

 ノーチェが怪しむように言うと、男はため息混じりに事情を説明し出した。

「貧しくてね。僕の名前はヘルマン。それよりほら、ちゃんと彼らのことも見てくれ」

「彼ら?」

 男が蝋燭を部屋の奥に向けると、そこには数人の子供と一人の赤毛の女が小さくまとまるようにして座っている。

「皆、怯えて逃げてきたんだ。親や兄弟を殺された子たちもいる。この家、前の路地が行き止まりだろう? だからよく子供や道をよく知らない人が迷い込むんだ」

「そこの大人は?」

「彼女はエル。彼女もまた、この路地に迷い込んだんだ」

 ヘルマンが言うと、エルという女は立ち上がってクヌートの抱える少女の元へ歩み寄ってきた。

「怪我してるじゃない。貸して」

 クヌートは少女をエルの腕の中に渡した。止血はしていたが、泣き疲れた少女は死んだようにぐったりしており、ぴくりとも動かない。

「この街は変。皆どうしてしまったの? こんな子供を殺そうとするなんて。逃げれば逃げるほど怪しまれるの。普段はみんな悪い人達じゃないのに。むしろすごく親切な人達。私も何度も助けてもらった。食べ物を分けてもらったし、迷子になったら家まで送ってもらったりした」

 エルは名も知れない少女を抱き締めながら涙ぐんでいる。まだまともな感覚を持ち合わせた人間がいたことに、クヌートとノーチェはほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、外には相変わらず人々の怒号や悲鳴が飛び交っている。子供のうち何人かは必死に耳を防いでいた。その光景を見たクヌートは、一瞬自分が古びた馬車の中にいるような感覚に襲われ、思わず目を背けたくなった。何度不快な記憶が甦ろうとも見なければならないという漠然とした思いが、逃げようとする意思を押し潰すのだ。今までに味わったことのない奇妙な感覚が意識の奥から雪崩のように押し寄せてくる。

「嫌だよ。もう無理だよ」

 すすり泣く声に混ざり、ぽつりと誰かが呟き、その言葉が頭の中で反響した。

 盗賊に殺され、自分もまた盗賊を殺し、人に殴られ人を殴り、仲間や家族が死に、何も知らない子供は振り回される。どんなにもがけども深く埋まる一方で、どこにも逃げられない。世の中とは雪崩のように気まぐれで、冷たく残酷なものだ。

 だが、残酷なだけが世の中ではないこともクヌートは知っていた。生まれ育った村と、ブランカや遊牧民との生活がそれを証明してくれた。その世界が存在する限り、諦めたくはなかった。


 ――もう、やられてばかりは御免だ。


 幼い日の自分の声が聞こえた気がした。




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