襲撃
スロの家までやってきたクヌートたちが玄関の扉を開けると、家の中は変わり果てた状態になっていた。
家具が至る所に散乱し、料理の入った鍋はひっくり返され、暖炉の火は消えていた。そしてハンナとヴァンの姿がなく、大声で嘆くカレンをスロがなだめていた。
「何があった」
ノーチェが問うと、スロが説明した。
「私が隣の家に行っている間、どこで何を聞いたのか町の住人たちがここに踏み込み、ハンナを奪っていった。ヴァンはそのあとを追ったそうだ。カールもさっき一度家を出てからというもの、一向に戻ってこない。彼もこの町に来て間もなかったから、疑われてしまったのかもしれない」
「たった今なのよ。お願い助けてあげて。あの子――ハンナはとても抵抗できないし、ヴァンの方も殴られて……私のせいよ」
カレンは嗚咽しながらなんとか声を絞り出している。その顔にも殴られたような痕があった。
「一足、遅かったか」
ノーチェの額を冷汗が伝う。ヴァンを危険から遠ざけるために取った行動が返って裏目に出てしまった。
「ほう、そこにいるのはもしや……」
一方スロはノーチェの後ろにいるクヌートの姿を見ると、驚いた様子で目を見開いた。
「君は……なるほど。随分大きくなったな。ビョルン、私は母と隣の家の住人を診なきゃならない。代わりに行ってくれるか」
「スヴェン先生……奴らはどっちへ?」
「おそらく町の広場だろう。ヴァンもそこに向かったはずなんだが、怪我人である彼一人に任せるのはとても危険だ」
クヌートは無言で頷くと再び外に出た。その後にノーチェとレオンも続く。
しかし彼はノーチェを連れていくことに不安があった。
「ノーチェ、お前は住人たちに目を付けられている。一緒に来るのはやめた方がいい」
「いや、私はヴァンを探す。大丈夫だ。絶対に迷惑は掛けない」
彼女はそう言って空を見上げた。真っ赤な空には真っ白なフクロウが旋回している。
「ただ、ちょっとだけあれを借りるぞ」
広場には人が集まり始めていた。皆身体の不調や不満を訴え、何とも言えない負の空気が充満している。広場の中心に置かれた台の上にハンナの姿はあった。全身に回った痣が災いし、案の定彼女はこの異常事態を呼び寄せた者として扱われている様だった。
「奴ら、いったいあの子に何する気だ」
ヴァンは屋根の上からそれを見ていた。
本来ならハンナを守らねばならなかった。押し入ってきた住人たちは真っ先にヴァンやカレンを殴り付け、ハンナを担ぎ上げた。カレンを何とか裏口から外に逃がしたが、同時に自らの頭にも強い衝撃を受け、軽い脳震盪を起こしてしまった。意識がはっきりした時には、もうそこにハンナの姿はなかった。
――これでもしハンナに何かあったら、ノーチェに殺されちまう。それにこの重苦しい空気はなんだ? まるで全身を圧迫されているみたいだ。
必死に追いかけて来たは良いが、彼は何の策も練っていなかった。今この状況の中に飛び出していけば、確実に袋叩きにされるだろう。スロの家から咄嗟に持ち出してきた弓もきっと役には立たない。殴られた頭もまだズキズキと痛んでいる。傷口の血も固まってはいたが、激しく動けばまた流れ出しそうだった。
屋根の上でヴァンは頭を抱えた。
「クヌート来てくれねぇかな。いや、ノーチェに弓を射ってもらうか……いや、そもそもあいつは無事なのか?」
「無事だよ。お前と違ってな」
ふいに背後から左肩を掴まれ、思わず悲鳴を上げそうになった。
振り向くと、呆れ顔のノーチェがじっとりとした視線をこちらに向けていた。
「心配しなくても、クヌートとハンナの兄も来てるぞ」
「本当か! だから言ったろ? あいつは生きてるって!」
「馬鹿、でかい声出すな。まったく、なんで町で一番高い屋根の上なんかにいるんだ?」
「ここくらいしか思いつかなかったんだよ。下は酷い人混みだろ」
「そういうことじゃなくて、ああ、もう。……とにかく、この距離でお前にそれが使えるのか? 私にだって難しいぞ」
ノーチェはヴァンが持っている弓を見て言った。
「やっぱ無理?」
「別に無理とは言ってない。難しいと言ったんだ。貸しな!」
ノーチェはヴァンから弓をもぎ取ると、高台に向けて狙いを定めた。
「……それにしても」
ノーチェは深い溜め息をついた。
「こんなこと前にもあったな。あの時はトロール相手だったからまだマシだった。今度は得体の知れない悪霊と、倍の数の人間だ。ハンナだってもう自力じゃ逃げられない。この人混みじゃトナカイで救出もできない。町の人間がお互いを潰しあってる状態だ。人質を取ったところできっと何の意味もない。頼れるのはクヌートたちとアウロラだけだ」
「アウロラって?」
「上を見てみな」
ノーチェはそう言って上を指さした。ヴァンが見上げると、そこには真っ白なフクロウが静かに旋回している。
「うわっ、なんだあのでかいの。あれも魔獣なのか?」
「私もよく知らない。あれが場を混乱させて、その隙にクヌートかレオンがハンナを奪還する作戦ではあるけど、うまくいくかどうか。私が弓を射るのは、誰かを殺す必要が出た時だ。できることなら、やりたくないけどな」
ノーチェは眉間にしわを寄せ、広場に集まった人間を鋭い眼光で睨みつけていた。




