繋がる運命
「追っていたものって?」
スロの言葉にノーチェは顔をしかめた。
スロは一呼吸置き、何かを決心したかのように話始めた。長い長い話だった。
「私は軍の医務室にいた人間で、ヴァンと同じようにあの日の騒ぎに乗じて逃げ出したんだ。ヴァン、君はあの時何が起こったか知っているかい?」
「いや。俺はシラミのせいで別の棟にいたんだ。正確なことはよく知らない。誰かが妙な伝染病で死んだってことくらいだな」
「なるほど。信じがたいだろうが、あれは伝染病なんかじゃない。悪霊の呪いだ」
スロは絞り出すようにそう言った。
「悪霊ィ?」
三人が首を傾げる。
「きっかけは一人の兵士だった。ある時、私は南の森から帰って来た兵士のうち一人の様子がおかしいことに気がついた。まるで、別の人格が乗り移ったかのようだった。私は、彼に声を掛けたよ。彼は至って冷静な態度で『すぐに良くなる』と答えたが、その言葉にもどこか違和感があったんだ。だから、定期的に様子を見ることにしていた。だが彼は――ハンスという名前だったが、ついに狂ってしまった。突然発狂したかと思いきや、叫びながら自分の周りにいる人間を手当たり次第に殺し始めたんだ。その殺し方というのがまた異常で、なんと形容したら良いか……まるで呪いそのものだ。真っ黒な文字のようなものが、彼の全身から虫の大群のように這い出たかと思いきや、あっという間に周りの人間に取り付いて痣のように染み入った。そうして、じわじわと殺していく。恐ろしかった」
スロは思い出すのも辛いといった様子だった。だが、ノーチェにはその正体が何であるのか完全に理解していた。彼女は隣に座っているハンナと顔を見合わせた。ハンナの目に不安の色が見てとれたので、ノーチェは自分の膝の上に座らせてやった。
スロは更に続けた。
「ハンナ、君には確か呪いで受けた痣があるとさっきヴァンが言っていたが、それは、こんな感じの痣じゃないのかい?」
スロは自分の袖を捲り腕の痣を露にした。
「それは……!」
ノーチェが思わず顔をひきつらせる。彼の腕には、ハンナのそれとよく似た痣があった。
「私は運よくこの程度で済んだが、死んだ人間はこれの比ではなかった。私のこれも未だに疼くことがある。ここ最近は特にね。まるで、何か危険を知らせるように。もちろん、街の人間には黙っている。ここでの生活は何かとやりやすいからね」
スロは俯いたままため息を漏らした。
「確かに、それはハンナと同じ痣だ。でもその兵士、男なんだろ? ハンナは魔女に呪われた。あんたは確か、悪霊とか言ってたけど」
「『魔女』とは本来、精霊と魂の取引をした存在だ。本来の意味では男も女もない。だが悪霊と取引してしまう者も少なくないと聞く。ノーチェ、あれは器から器に乗り移るぞ。奴は、もとは別の人物と取引した悪霊だったのかもしれない。しかしその人物の器が消えて無くなってしまえば、悪霊はどこへでも好きなところへ行ってしまうんだ。私の思うに、悪霊は南の森でハンスに乗り移った。遺体が消えなかったから、魂の取引はしていないはずだ。あの日、私は確かに見た。ハンスをこの手で殺したその瞬間、彼の口からどす黒い煙のようなものが吹き出すのを」
スロはそう言って頭を抱えた。
「殺した? 何故? どうやって?」
ヴァンが食って掛かった。
「持っていた短剣で刺した。無我夢中だったよ。あれに侵食されると身動きが取れなくなるほどの激痛が全身に走る。私も危うく殺されるところだったんだが、必死で彼の名前を呼び続けると、一瞬だけ動きが止まった。正気に戻ったようだった。その隙をついて殺したんだ。そうするしか方法がなかった。あの時のことは、今でも夢に見る。きっと、死ぬまで忘れないだろう」
ヴァンは彼が医務室で負傷した兵士の治療に当たっている様子を思い浮かべた。本来他人の命を救うはずの人間が、自らの意思で人を殺したのだ。その苦痛は相当なものだったことだろう。
「その後私は、騒ぎに乗じて脱走した。ハンスの中から逃げ出した、あの忌々しい悪霊を追うつもりで。手掛かりもないのに闇雲に追ったのがいけなかった。きっと私も動揺していたんだ。道中、運悪く狼の群れに襲われてしまってね。全身を引き裂かれて瀕死の状態でいたところを、偶然通りかかった猟師に助けてもらったよ。傷が癒えてからは悪霊を追う気も起きず、十年間ほったらかしにしていた母のところへ戻ってしまった」
スロはそう言って一息ついた。
「二度も運よく命拾いか。俺もクヌートも強運な方だけど、なんか生かされてるよな」
ヴァンがそう言ったのとほぼ同時に、ちょうどカレンが奥の部屋から戻ってきた。
「あらやだ。どうしたの。みんな怖い顔して。もうスープできるわよ」
テーブルに座っていた四人は互いに顔を見合わせ、この話はここまでにしようということで落ち着いた。
暖かいスープの匂いが部屋中に立ち込めていた。
以前の第40話「南の森」は37話に移動しました。
2019年1月12日




