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白銀の国 ―極北のクヌート―  作者: 生吹
6.それぞれの旅路
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スロ

「やっぱり、間違いない。君、『逃げのヴァン』だろう」

 男はヴァンに近寄り、確信したように言った。

「……おいヴァン、知り合いか?」

 ノーチェが眉間にしわを寄せてヴァンの方を見る。

「知らん。向こうは俺のこと知ってるみたいだけど。おいあんた! どうして俺のことを知ってるんだ」

 ヴァンは目の前にいる全く身に覚えのない男の方に向き直った。すると男は残念そうに苦笑し、肩をすくめてこう名乗った。

「そうか。私は一度見た顔は決して忘れないんだが、君とは直接会ったことはないものな。私はスロだ。まあ、あの場所にいた時はスヴェンという名だったがな」

「ええ……まさか、脱走兵だなんて言うつもりじゃないだろうな?」

「聞いて驚くなよ。そのまさかだ」

 ヴァンの問いに、スロはにやりと笑って頷いた。

「おいヴァン。脱走兵っていったい何人いるんだよ? 二人目見つけた時点で凄い偶然だと思ったのに、実はその辺にうようよいるんじゃないだろうな」

 ノーチェが怪訝な顔でヴァンの方を見た。しかし当の本人はスヴェンという名前を思い出すことで精一杯のようだった。

「ちょ、ちょっと待て。思い出した! スヴェンって名前……聞き覚えがあるぞ。確かクヌートが……いや、ビョルンがそんな名前の奴に世話になったって言ってたような気がする。確か、医務室で治療を受けたとかなんとか――」

 ヴァンは更に興奮した様子で続けた。すると、予想外の返事が返ってきた。

「ビョルン? 君、彼を知っているのか! なあ、教えてくれ! 彼はあれから……『実験部屋』を出てから、どうなったんだい?」

「えっ……?」

 聞き覚えのある言葉にヴァンもノーチェも同時に反応した。

「あの部屋のこと、何か知ってるのか?」

 ノーチェが尋ねる。

「ああ。よく知っているとも。それより彼は、ビョルンは今――」

 スロがそう言いかけた時、そばで聞いていたハンナが悲鳴を上げた。

 三人が彼女の方に目をやると、頭の上に黒光りしたワタリガラスが乗っていた。クヌートが手紙を託したワタリガラスがようやく一行の元にたどり着いたのであった。

「もう、びっくりさせないでよ!」

 ハンナはワタリガラスの口から畳まれた手紙を取って広げた。しかし自分には読めないとわかると、すぐにノーチェに渡してしまった。

「誰からだ? なんて書いてあるんだ?」

 ヴァンが尋ねると、ノーチェは震える口で「クヌートからだ」と答えた。

「あいつは生きてる。少し寄り道してからこっちへ向かうそうだ……」

「良かったなおっさん! ビョルンは無事だぜ」




 スロは数年前からヨルンに住んでいるらしく、門番とも親しくしていた為、彼が事情を話すと一行は特別に中へ入れてもらうことを許された。厳重な扉の向こうには雪解け水の流れる小川があり、簡素な橋が架かっていた。

「ところでヴァン、一体なぜ最北へなんて行くんだい?」

 スロはノーチェとヴァンのやりとりを聞いていたらしく、彼の家につくまでの間に色々と尋ねてきた。

「ああ、初めから話すと明日の朝になっちまうから、掻い摘んで言わせてもらうと、そこのハンナのためなんだ。悪い魔女に呪いを貰っちまってな。これを治せるのが最北の村にいる魔女だけらしい。途中まではビョルンも一緒にいたんだけど、訳あって今は別行動だ」

「魔女……呪い……それは、いつごろの話かな?」

「この子がほんの赤ん坊のころ――つまり、俺があそこから逃げ出した後になるのかな」

「暴動が起きた後か……なるほど」

 ヴァンがそう言うと、スロはぐっと眉間にシワを寄せたが、それ以上は何も聞いてはこなかった。

 彼の家は門をくぐってほどなくしたところにあった。家の前では一人の恰幅の良い老婆が彼の帰りを待っていた。

「すぐ戻るって言ったくせに随分かかったじゃないのさ」

 老婆はスロの後ろに見知らぬ一行がいることに気が付くと、折れ曲がった腰をまっすぐに伸ばして目をこすった。

「誰だいその人たちは?」

「ああ、母さん。この人たちは、なんというか、昔の友人なんだ。さっき外で偶然再会したんだよ。ヨルンから最北へ行く犬ゾリに乗りたいらしいんだけど、明日の昼まで出ないだろ? だから一晩泊めてあげようと思ってさ。ちょっと狭くなるけど、三人くらいなら大丈夫だろう?」

「あら、それは構わないけど、なんだか申し訳ないわねえ。何のおもてなしもできなくて……」

 スロはあらかじめ考えていたかのように母親と思わしき人物に説明しだした。

「ヴァン、ノーチェ。こっちは私の母親のカレンだ」

「母親だとぉ?」

 ヴァンは思わず眉間に深いしわを寄せた。軍の元から脱走してきた人間が故郷に戻り、母親と暮らしていることが彼には信じられなかった。

「そんなわかりやすい見た目してんのに大丈夫なのか? 顔のど真ん中にざっくり爪痕ついてるぞ。いくら髭生やしても隠せないだろ」

 ヴァンはスロの鼻筋にある引っ掻き傷を指さした。

「ああ、この傷は逃げ出した道中で付いたものだ。それにここは故郷じゃないんだ。わざわざ逃げてきたんだよ。そう言う君こそ、ヴァンという名前を未だに使っていたんだな。大丈夫なのかい?」

「それは、だな……」

「ちょっとねえ? 外で立ち話もなんでしょ。狭くて悪いけど、中へ入ってちょうだいよ」

 ヴァンがスロに何か言う前にカレンから声が掛かった。



 部屋の中は暖かく、暖炉にぶら下がった大きな鍋からはスープの香りが漂っている。海沿いの町なだけあり、アザラシやシロクマの毛皮がそこかしこにある。

「凍った鱒がいくつかあったかしらねえ」

 カレンはそうつぶやきながら奥の部屋へ消えた。

「ああ、そうだ。何か手伝おう」

 カレンの後について行こうとしたヴァンの腕をスロが思い切り引っ張った。

「いや、必要ない。君たちには話があるんだ」

「話ぃ?」

「そうだ。ノーチェも聞いてくれ。ハンナにはちょっと難しい話かもしれないが」

 スロは三人をテーブルに座らせると、神妙な面持ちで切り出した。

「いいかい? 私は今、あるものを追っているんだが、それとハンナを呪ったものが同じものかもしれないんだ」





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