もう一つの目的
ノーチェ一行が足止めを食らう少し前、クヌートはワタリガラスに彼女宛の手紙を託して飛ばしていた。力強い羽ばたきが、青く澄んだ空の彼方に消える。
彼はシロフクロウのアウロラの手を借り、レフの村まで戻ってきた。ノーチェとハンナがヴァンを連れて出発したことを聞き、少なくとも足手まといになることは免れたと、ある意味安堵することができた。
足の回復は驚くほど順調だった。しかし皮膚の色はまだ少しおかしかった。痛みに頼ることができないので見た目で判断するよりない。痛みがわからないというのは不便なものだと、クヌートは改めて感じた。自分がどの程度の怪我を負っているのか、またどの程度治り掛けているのか、感覚だけではまるでわからないのだ。下手に動くと回復に遅れが出てしまう。
骨が折れるということ自体、これまでに何度もあった。痛みを感じなくなる前に一度、まだ彼が軍の施設に連れて来られて間もないころに、流刑されて来たガラの悪い兵士たちの喧嘩に巻き込まれて脛の骨を負傷したことがあったが、悶絶するほどのひどい痛みだった。医務室で治療を受け、後は自分で何とかした。ヴァンや他の仲間たちが外から布に包んだ雪を持って来て患部を冷やしてくれたことをクヌートはぼんやりと思い出した。
もう二度とこんな目に合うのは御免だと思ったのに、今はその感覚がほとんどなくなってしまったことにうっすらと寂しさを感じる。少なくとも怪我の程度はある程度実感できたからだ。
そこまで考えたところで、ふとクヌートは自分が痛みを手放したのはいつだったかはっきり覚えていないことに気が付いた。
「まあ、手紙は出したんだ。気を揉む必要もないだろう。ヴァンはちいと頼りないが、悪い奴じゃない。臆病だが前向き思考の良い奴だ。何とかなるさ。……それにしてもお前さん、なかなか怪我の治りが早いな」
クヌートの怪我の具合を見ながらレフが関心したように頷いた。
「ヴァンはな、この近くの森で雪面の割れ目に落ちとったんだよ。阿保だからなあ。ここで死ぬんだと思って一人でめそめそ泣いとったわ。わしが通り掛らなければ本当に死んどるとこだ。仲間数人掛かりで引っ張り出して、村まで連れて帰ってやった。思い出すなあ。こんな風にこの部屋で療養しとったのを。お前と違ってなかなか怪我の治りが遅くてな。このままじわじわ死んでいくんじゃないかと思ったくらいだ」
「ヴァンは、一人だったのか? 他に仲間は?」
「いや一人だ。他に仲間はいないと言ってたからな。確か軍の施設で大きな騒ぎが起きて、その騒ぎに乗じて逃げてきたらしい」
「大きな騒ぎ?」
「なんでも、兵士数人が原因不明の病に倒れたことがきっかけで暴動が起こったらしい。あいつはその時ちょうど大量のシラミに悩まされていたせいで施設の外にいた。だからその病がどんなものなのかよくわからなかったんだと。ただわかっているのは、前日に南の方角に珍しく赤いオーロラが出ていたことと、死人が出たということだけだ。どこからが本当でどこからが嘘なのかわからずに、かなり混乱したようだ」
原因不明の病という言葉が引っ掛かる。
「病……シラミが原因の伝染病か? いや、そんなことで暴動が起こるなら、とっくに起こっていたはずだ」
「まあ、シラミやダニが原因で熱が出て死ぬこともあるだろうがな。ヴァンの話を聞いた感じ、どうも違うようだったぞ。まあ、どちらにしろ奴らは必至で揉み消すだろうがな」
「そうか……」
「どうした? 何か引っかかることでもあったか?」
「いや、わからない」
クヌートはそう言って足の添え木をいじり始めた。それをすぐにレフが止めに掛かる。
「よせよせ、いじるな。ちょっとは痛いだろう」
「いいや。もう歩けそうだ」
「歩けるったって、お前さんこれからどうするつもりだ? ノーチェたちを追うのか?」
「いずれは追い付ける。でもその前に会わなきゃならない奴がいる。ハンナの兄だ。少し前にスーヴァ村から手紙が来た」
クヌートはワタリガラスから受け取った手紙を懐から引っ張り出した。
「おい、スーヴァ村ってったら、西側の山をひとつ越えなきゃならないんだぞ。そんなことしてたら死ぬほど時間がかかっちまう。その足じゃあなおさら――」
「平気だ。ちゃんと考えてある」
クヌートは断言した。
「アウロラを使う。空路を使えば多少寄り道してもノーチェ達に追いつけるはずだ」




