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白銀の国 ―極北のクヌート―  作者: 生吹
5.ビョルン
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アウロラ

 突如、バリバリと何か巨大な生物が屋根をひっかくような音がした。音は屋根の上を暫く走り回ってからこの世のものとは思えないようなおぞましい鳴き声を上げ、クヌートのいた台所の天井を力いっぱい引き剝がした。天井には大きな穴が開き、吹雪が家の中に吹き込んできた。

「なんだいあれは!」

 ドアの向こう側からカールの母親が叫んだ。天井の穴から巨大な琥珀色の目玉がぎょろりとこちらを睨んでいたのだ。

「ば、化け物だ……!」

 床で伸びていたカールも目を覚まし、母親と一緒にドアの穴から台所の天井を見ている。化け物は物凄い力で家の屋根の半分を引き剥がすと、強引に穴から中に入り込んできた。

 化け物の正体は巨大なシロフクロウだった。シロフクロウは台所にいたクヌートを鋭い爪の生えた足でがっちりと鷲掴み、そのまま宙に舞った。羽ばたく度に風が起こり、床に降り積もった雪や埃が舞い上がる。

「殺せ! そのまま殺しちまえ!」

「ま、待て! そいつは俺の獲物だ! 俺が王都で金を貰うんだよ!」

 ぼろぼろのドアの向こうから聞こえてくる二つの声を無視し、シロフクロウはいとも簡単にクヌートを強奪した。



 そのまま暫く飛び続けると、吹雪は嘘のように止み、日の光が差し込んできた。シロフクロウは森の中にある巨大な洞窟の中へ静かに入っていった。

「さて、着きましたよ」

 シロフクロウはクヌートを乾草の敷き詰められた床に降ろすと、男とも女ともにつかない中性的な声でそう告げた。

「お前は、何だ?」

「私はアウロラという者です。ブランカの元使い魔ですよ。あなたのこともよく知っています。まあ、そのブランカは亡くなったので、先程までは自由の身でしたが」

「さきほどまでは……?」

「それは不用意に吹いてはいけないものです」

 アウロラはクヌートの首に掛かっている例の笛を見て言った。

「吹けば、私と契約を交わしたことになります。私はてっきり、その笛はブランカがハンナに渡したものと思っていたのですが、あなたが持っていましたか」

「ああ、そうだったな。これは俺のじゃない」

 クヌートはハンナから笛を奪った時のことを思い出した。もしあの時自分の手元に笛が渡らなかったら、一体どうなっていたのか。

「それで、その無惨な足は何があったのです?」

 アウロラは淡々と続けた。クヌートの足は先程にも増して腫れ上がっているように見えた。だが痛みはほとんど感じない。

「痛いですか?」

「いいや」

 心配そうに覗き込むアウロラをよそに、クヌートは淡々としていた。

「昔は確かに感じた痛みが、今はほとんどわからない」

 クヌートは夢の中で聞いた二人の男の会話を思い出していた。


 いつの日からか、彼の身体からは痛みという感覚が取り除かれていた。軍に入ってからということは思い出していたが、詳細なことがはっきりと思い出せない。思い出そうとすると、変に脈拍が上がり始める。腹の底から、得体の知れない毒のようなものが沸いてくるのだ。それ以上は駄目だと。

「忘れていた記憶が大方戻ってきた。俺は脱走兵だ。俺はあそこにいたとき、頭がどうかしていた。あの場所で何かがあった」 

 クヌートは独り言のようにぽつり、ぽつりとつぶやいた。過去にあった様々な瞬間が、頭の中に現れては消えていく。

「……あそこに戻れば、もし戻れば、そのすべてがわかるかもしれない」

「何を言い出すかと思いきや。大丈夫ですか?」

 アウロラが呆れたようにため息をつく。

「今までも、何度か記憶が戻りかけたことはあった。遊牧民に助けられて各地を転々としていた時も、ハンナと出会って、ブランカのところで暮らしているときも、ノーチェやダグと知り合って何不自由なく暮らしていた時も、盗賊やトロールを殺した時も。それでも、完全に思い出そうとはしなかった。思い出さない方が都合が良いと頭のどこかで理解していたからだ。なるべく何も考えないようにして生きてきた。それでも記憶の蓋は日を追うごとに脆くなる。俺は何もかも全部自覚していた。ある一点を除いては」

 話せば話すほど頭が混乱する気がした。自分でも驚くほど口が回る。

「……故意でなかったとはいえ、脱走兵の罪は重いものです。今戻れば、あなたは今度こそ本当に死にます。あなたは軍法会議ごっこに付き合わされた挙句、見せしめに他の兵士たちの前で殺されるでしょう。目に浮かびますよ。手足を捥がれ、まるで血抜きをする肉のように木の枝に吊るされているあなたが」

 クヌートの独白に対し、アウロラは突き放すように冷静だった。

「そんな状態でも苦痛はないものなんだろうか」

 クヌートも同じ調子で言い返した。

「あなたはどうしたいのです? 王国に自らの罪を罰して貰いたいのですか?」

「違う。もしそうなら、同じように逃げて来たヴァンに対しても嫌悪感を持ったはずだ。でもそんな感情は微塵もない」

「ではどうして? 私はどうもあなたが酷く混乱しているようにしか思えないのですが」

「俺はまだ全部を思い出してはいない。そのどうしても思い出せない部分に何かがある。思い出そうとすると動悸がするくらいだ。俺は何かろくでもないことをやらかしているか、奴らに何かされている」

 何かが確実にクヌートの裾を引っ張っていた。

「それを確かめに行きたいと? 確かめてどうなるんです? ブランカとの約束は?」

「勿論、約束は果たす。ハンナを北へ連れていく。それが済んだら、すべてが終わったら……」

 思わず言葉に詰まる。


 少しの沈黙の後、彼はすべてを打ち消すように声を絞り出した。

「ーーとにかく、今はレフの村に戻ることだ。そこまで運んでくれ」


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