助け船
「おおっと、勝手な真似するんじゃねぇ」
クヌートの様子に気が付いた男がまた改めてナイフを突きつける。冷たい感触を首元に感じながら、クヌートはカールに尋ねた。
「本気でできると思うのか? 俺を王都まで引っ張っていくことが。人違いなら罪に問われるのはお前の方だ」
クヌートの言葉にカールは気色悪い笑みを浮かべた。その表情はどこか得意気だった。
「ひとつ教えといてやるよ小僧。やけに冷静な人間ってのはな、大抵クロなんだよ。シロの人間は大抵の場合怒りだしたり、暴れたりする。だがクロの人間は、泣き出すか、やけに冷静なんだよ。ま、大分見辛いが、似顔絵付きの貼り紙もあるしな。確信してんだ。お前なんてソリに乗っけて、トナカイで引っ張ればすぐだ。生憎、今はそれができる天気じゃないけどな」
吹雪の吹きすさぶ音が聞こえている。南の森の話が少し気になることろだが、さすがにそんな質問をするわけにもいかない。
「途中で俺が逃げたらどうするつもりだ」
「馬鹿言え。足を折った人間が自力で逃げられるもんか。お空でも飛ばない限り無理だね」
「じゃあその前にここを出ていく」
「はんっ。自分勝手な屑野郎め。連れ戻される覚悟がないなら、はじめっから逃げ出さないこったな」
カールはニタニタと笑いながらクヌートの手首に巻かれた紐をもう一度きつく締め、母親と一緒に隣の部屋へ入っていった。少しして、中から言い争いのような声が聞こえてきた。
――よし。逃げよう。
クヌートの決断は早かった。記憶が戻った時、王都が今どうなっているのか気にはなった。だが、こんな形で連行されるのは御免である。どうせ行くなら自分の足で行くべきなのだ。
クヌートは手首に巻かれている紐に糸切り歯を立てた。思い切り噛みしめて、左右に揺すっていると、天井裏で物音がした。何か小さな動物が爪を立てるような音と、鳥の羽ばたきのような音がする。
クヌートの頭上から一枚の黒い羽根がひらひらと舞ってきた。それに続いて、真っ黒な毛の塊が勢いよく腹の上に落ちてきた。
「――うっ」
思わず声が漏れた。それとほぼ同時に手首の紐も音を立ててちぎれる。
腹の上に落ちてきたのはブランカがかつて手紙を飛ばすのに使っていた雌のワタリガラスだった。クヌートはハンナと家を出る前に彼女の兄であるレオンの元に手紙を飛ばしていた。どういうわけか、このワタリガラスはクヌートがどこにいても大抵見つけ出してしまうのだ。
ワタリガラスはその真っ黒な嘴にぼろぼろの羊皮紙を挟んでいた。受け取って開いてみると、汚い文字で何か書かれている。『北 スーヴァ村へ 魔女 レオン』という部分しか読み取れない。クヌートが文字を読むのがあまり得意でなかったこともあるが、それ以上にまず字が汚い。
「レオンが書いたのか?」
クヌートはワタリガラスに尋ねたが、彼女は自分がここまで手紙を持ってきたことを褒めてもらいたいらしく、しつこく頭を突き出して撫でろと要求してくる。仕方なく頭を撫でてやると、今度は調子に乗ったのかクヌートの頭の上に飛び乗って髪の毛を引っ張り始めた。
「やめろ。遊んでる場合じゃない。手紙を運んできたことがバレたら殺される。戻れ」
クヌートはワタリガラスを両手で掴むと、しっかり目を合わせて命令した。ワタリガラスの黒い目がじっとこちらを見据える。二回ほどまばたきした。どうやら理解したようだ。
彼女は屋根裏の方へ羽ばたくと、またガサガサと音をたてながら外へ出ていった。一体どこにワタリガラス一羽通り抜けられる隙間があるのかと、クヌートは不思議に思った。
とにかく、思いがけない助け船のおかげで両手の自由と今後の目的は得ることができた。問題はこの小屋からどうやって外に脱出するかである。
クヌートは自分の左足を見た。相変わらず腫れ上がっている。一体いつこんなことになったのか、魔獣を仕留める時、足の骨が折れるような動きをしただろうか。
クヌートは左足を触った。これまでに彼は何度か骨折をしたことがあったが、今回はなんとなく折れ方が特殊であるように思えた。まるで、誰かにわざと折られたような……
ーーまさか折られたか? あの男に。




