不幸な再会
突如目の前が真っ白になった。視界の隅で何かがゆらゆらと揺れているが、ぼやけていてよくわからない。クヌートはぼんやりした頭で考えた。
一体ここはどこなのか。冷たい水に沈んでから何が起きたのか。よく思い出せない。その代わりに、彼の頭の中には幼少期から雪崩に呑まれるまでの記憶、つまり彼がビョルンであった頃の記憶が戻ってきていた。しかし、まだ何かを忘れている気もする。
――思い出すな。
無意識にそう思った。
意識が徐々にはっきりし始め、視界の隅で揺れているのは暖炉の炎であることがわかった。
――それよりここはどこだ? あれからどうなった……?
クヌートは起き上がろうとしたが、ふと手足の違和感に気がついた。
右の足首が変色し、パンパンに腫れている。どうやら骨折しているようだ。だがそれ以上に気になるのは……
何故両手首をトナカイの腱でぐるぐる巻きにされているのか。クヌートは静かに混乱しつつ、辺りを見回した。
丸太で造られたおんぼろ小屋だ。冷たい隙間風が悲鳴のような音をたてて部屋に入り込んでくる。あちこちに物が散乱し、居住者のだらしのなさを物語っている。壁にはぼろぼろになった王国の地図と、獣を解体するための刃物が吊るされていた。あまり手入れが行き届いていないのか、所々錆び付いている。それともこびりついた血なのだろうか。とにかく、ここがレフの村ではないことは明らかだった。
――嫌な予感しかしないな。
彼は今にも底が抜けそうな台の上にいた。これをベッドと呼ぶには少々無理がある。そんなことを考えていると、勢い良く入り口の扉が開き、頭に雪を乗せた男と女が入ってきた。男の方はクヌートより少し歳が上で、女の方はもはや老婆だった。
「ひぇっ。ちょっとお前、男が起きたよ!」
老婆がクヌートを指差して言った。
「母さんでかい声を出さないでくれ! 奴が襲ってきたらどうする。俺はこの目で見たんだよ。こいつが仲間と盗賊を殺すところをよぉ」
男はそう言ってクヌートの方に近づいてきた。その顔には見覚えがあった。
『……おい、お前たちこの辺でトロール見なかったか?』
男の台詞が甦った。間違いない。ハンナとブランカの家を出た日、柏の木の下で話しかけてきた男だ。
「……それで、トロールは見つかったのか?」
クヌートはスカした態度で男に尋ねた。今この状況で舐められるのは不利だ。相手が何者であれ、動揺を見抜かれてはならない。
「なんだ。覚えてたのかお前」
男はそう言うと懐からナイフを取り出し、クヌートの方に向けた。
「動くんじゃねえぞ。それ以上怪我したくなきゃな」
お前を怪我人にしてやろうかと思いながらも、クヌートは平静を装い、なに食わぬ顔で頷いて見せた。頭の中は酷く混乱していた。
「まず一つ目だ。お前は数年前に軍のトロール部隊から脱走したビョルンという男で間違いないな?」
以前のクヌートならこれを否定できただろう。しかし、不幸なことに、彼はたった今記憶を取り戻したばかりだ。知らない情報なら白状のしようがないが、知っている情報ならそうもいくまい。相手は斟酌などしてくれないだろう。面倒だ。
「人違いだ」
だが、クヌートは言い切った。
「いいや。お前はビョルンだ。感謝しろよ。俺はお前を王都まで連れていく。死人が多く出て南の森の伐採作業が遅れているばかりか、森の中にいるトロールが外に逃げ出しているらしい。軍は無能で、おまけに何か隠していやがるなんて噂もある。長いこと逃げ続けた脱走兵を生け捕りにしたとなりゃあ、それなりに報酬を頂戴できるだろうよ」
男は無精髭の生えた口元をニヤニヤさせながらナイフの先端を弄んでいた。しかし力加減を間違えたのか、ナイフの先端で指の先を切ってしまい、クヌートは思わず失笑しそうになった。
「イテッ……」
相手は案外ドジなのかもしれない。
しかしだ。クヌートは今自分がいる場所から王都までどれだけの距離があるのかまるでわからなかった。ただ一つわかっているのは、王都に行けば自分は死刑にされ、軍の敷地内に生える白樺の木に吊り下げられるということだけだった。ずっと前に『私は自らの使命を放棄し、多大な迷惑をかけました』と書かれた木の板を首にぶら下げた死体を見たことがあった。
――嫌なことを思い出させるな。
「……変なガキを三人、湖にいる俺たちの所へ送ったのもお前か? その後弓で射って殺したのも。一体何のために?」
できるだけ話を逸らそうと、クヌートは質問を返した。
「ううん、それは、だな……」
男は渋い顔をして口籠った。
「カール! 言っちまいなよ! 酒の飲みすぎてげろっちまったって」
男の母親である老婆が突然大声で口を挟んできた。
「やっ、やめろ。それ以上言うな母さん!」
カールという名前らしい男は露骨に慌て出した。
「仕方がないからそのついでにガキどもをビョルン殺しに利用しようとしたけど失敗したんだよ! あんたが盗賊を殺すのを見てひよっちまったのさ」
「今すぐ説明をやめろよババア! 息子が恥をかく姿がそんなに見たいのか!?」
カールと呼ばれた男はヒステリックに叫んだ。
「他人に標的を何とかして貰おうだなんて甘いんだよ! 男ならね、拳一つで殴り込みに行くくらいでいないと成り立たないよ! それができないってんならまともな職を探しな!」
「い、今はそれ関係ないだろ!」
唐突に始まった親子喧嘩を尻目に、クヌートは自分の手首に巻かれた紐を静かにほどき始めた。
みてみんの方にイメージイラストをアップしました。
飽くまでおおざっぱなイメージですので本編には載せないでおきます。
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