馬車の中
訳もわからぬまま、ビョルンは暫く馬車に揺られていた。隣に座っている小柄な少年はヴァンというらしく、他の子供たちが押し黙ったり泣いたりしている中、ひっきりなしに話しかけてきた。
「おい。これから先、どうなるか知ってるか?」
ヴァンは言った。
「知らないよ。どうなるんだ? 王都に連れていくって、王都には一体何があるんだ?」
ビョルンが問うと、ヴァンは小さな声で耳打ちした。
「聞いたことないか? 王都には子供を売るヤツらがいるんだよ。盗賊と子供を欲してるヤツらの橋渡し役だ。貧しい村に行って、村の娘を金で買ってるヤツらと同じだ。たぶん、おれたちは今からそいつの所に送られる。そこからは、みんなばらばらだろうな。男だったら軍隊とか、鉱山とか。女だったら……想像もしたくないね」
「軍? それってある意味恵まれてるんじゃないのか? 別に、この国はどことも戦争してないだろう?」
「……まあ、極端に貧しい村で育った子供なら、そう錯覚するかもな」
ヴァンの言葉にビョルンは少しムッとした。
「なあ、トロールを見たことがあるか?」
ヴァンはおもむろにそんなことを口にした。
「トロール? 北にいる小さいやつなら、昔父さんとーー」
「そうじゃなくて、人を喰うヤツらだよ。滅茶苦茶でかくて、南の森の洞窟に住んでるらしい。地位の低い人間や流刑された人間は、そこへ飛ばされるんだってよ。つまり底辺の仕事だ。死者が多くでるから、死んでも困らないような、いらないヤツがやらなきゃならないんだ。鉱山だってそうだ。あそこに行って無事に戻ってきたヤツはいない」
「なんでそんなに詳しいんだ?」
「大人の話を盗み聞きするのが趣味だからさ」
ヴァンはそう言って目を伏せ、自分の膝を抱え込んだ。
「なんでそこのトロールを殺さなきゃならないんだよ? ほっといたらいいのに」
ビョルンは尋ねた。ヴァンは小さく溜め息をつき、肩をすくめて見せた。
「さあ? そこまではおれにもわからないよ。あの森に化け物がいると都合が悪いんだろ」
「でも、どっちにしたってここを出ないといけないじゃないか」
ビョルンはまた立ち上がろうとした。しかしそれと同時に馬車が大きく揺れ、バランスを崩して床に倒れこんだ。
「痛っ!」
「なあ、頼む。今は無茶なことしないでくれ。さっきもそうやって暴れて一人殺されてるんだよ。おれの兄がな」
ヴァンが声を荒げた。さっき治まったと思った他の子供たちの啜り泣く声が、また少し大きくなった気がした。
「じゃあこのまま大人しく連れていかれちゃうのか?」
ビョルンは段々泣きたくなってきた。自分のこれからも不安で仕方がなかったが、それ以上に村に残してきた家族のことが気掛かりだった。逃げる途中ではぐれた母親はどうしただろうか? そう考えると、嫌でも殺された従兄弟の姿が目に浮かぶ。まさか母親もああなったのではあるまいか。
ビョルンは声を殺して他の子供と同じように泣き始めた。当然ながら、彼は死の重圧に耐えうるほどの強かさは持ち合わせていなかった。
その後、ヴァンの言ったことは見事に的中した。
埃臭い建物に押し込められると、今度は見知らぬ大男が数人やって来て、子供たちは散り散りに別れて連れていかれた。だが幸運なことに、ビョルンとヴァンの行き先は同じだった。
突然場面は切り替わり、冷えきった目をした二人の大人の顔が目の前に現れた。意識は朦朧としており、視界も霞んでいる。
「彼がビョルンです」
「随分と元気がなさそうだが、この子は優秀なのか?」
「体格、健康状態は他と比べて良いと思います。腕っぷしも申し分ない。怪我の治りも他より早い。ただ、何度も脱走を図りましてね。ついこの間連れ戻したばかりです。反抗心が強いのは問題ですから、それをへし折る為にもこの実験はうってつけかと」
「……まあ、一応手は尽くすが、死ぬ可能性は高いぞ。前の三人はどれも最後の最後で耐えかねて自殺してしまったからな」
「承知の上です。しかし成功すればトロール退治やこれから先起こりうる戦争に大いに役に立ちます。交配までの道のりはまだまだだとしても、今後の実験に何らかの形で役立つでしょう。それに、彼自身も――」
頭の中で二つの声が反響している。ビョルンは何か声を出そうとしたが、どんどん意識は遠退き、やがて何も聞こえなくなった。まだ思い出すべき記憶があるように思えたが、これ以上は何も見たくない。思い出したくない。そんな意識がすべてを雪のように覆い尽くしてしまった。
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次回の更新は7月10日(火)の夜です。




