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山麓の村

「来た……!?」

 ヴァンが飛び上がり、慌ただしく弓を構える。

「いや、違う。あれは――」

 クヌートには、すぐにそれが獣の足音ではないとわかった。これは、彼のよく知る人間のものだ。

「熊じゃない。ただのノーチェだ」

 やがて、木々の間からノーチェが姿を現した。

「クヌート、黙って出るなって言っただろ。ハンナを待たせてるんだぞ。探すこっちの身にもなってく……れ……」

 彼女の声は段々と小さくなっていった。見慣れぬ男二人と、アレクシの存在に気が付いたからだ。

「何だこれ。何があったアレクシ!」

 ノーチェはアレクシの遺体に駆け寄った。

「あまり大きな声を出さん方がいい。まだ獣が近くにいるかもわからない」

 レフが動揺するノーチェをたしなめるように言った。彼の言葉に、ノーチェの耳がぴくりと反応する。

「……誰だお前たち」

 レフはそう言うノーチェの背中に、弓と矢筒があることに気が付いた。

「すまない。わしはレフだ。この近くの村で猟師をしとる。後ろにいる腰抜けは弟子のヴァン。こいつはお前さんの連れとかつてお仲間だったそうだ」

「クヌートの仲間? じゃあ、こいつの過去を知ってるのか?」

 ノーチェはクヌートを指差しながらヴァンの方を見た。クヌートとそう歳は変わらないが、彼よりやや小柄な青年は、腰が引けたような構えで弓を持っている。

「うーん? 何かの冗談だよな」

 ノーチェは冷静にクヌートの顔を見上げる。クヌートは静かに首を傾げて見せる。

「いや、本当だって!」

 ヴァンは弓を投げ捨てた。

「本当にこいつはビョルンで、俺たちはトロール狩りを強いる王都から命からがら逃げた脱走兵なんだよ!」

「こら。もうよせ、ヴァン。場所を移すぞ」

 レフがヴァンの頭を叩き、話を中断させた。そしてノーチェとクヌートに真剣な面持ちで言った。

「残念だがこのご遺体は持ち出せん。向こうの崖下にさっき殺した熊がいる。この老人を殺したのとは、もしかしたら別物かもしれん。それだけ持って、村へ行こう。途中で血抜きもする」

 一行は、一度雪洞に戻り、ハンナとトナカイのニナを連れてレフとヴァンの住む村へ向かうことになり、仕留めたばかりの熊を四人と一頭掛かりで引き摺っていった。        

 熊を殺した地点から離れたところで血抜きをした。その間、ノーチェはレフとヴァンにハンナの呪いや旅の目的について話していた。隠しておくべきか迷ったが、後々ばれた時に大変なことになると思ったのだ。ここで説得して理解を得ておけば、何とかなるかもしれないと。

 しかし、意外にも二人は事の理解が早かった。ノーチェの話を当たり前のように聞き入れたのだ。

「ねえ、アレクシおじいちゃんはどこ?」

 何も知らないハンナはしきりにアレクシの姿を探した。しかし肝心の大人たちはちょうどいい伝え方が見つけられず、互いに目配せをした。

「アレクシは昨夜――」

「村に着いたら話そうな、ハンナ」

 クヌートが言いかけたのを、ノーチェが強引に遮った。


 一行がやっとの思いで村にたどり着いた時には、もうすっかり日が昇っていた。村はだいぶ活気を失っており、どこかどんよりとした空気が漂っていた。

「熊を捕ったぞー!」

 レフが大声でそう叫ぶと、そんな村の空気は一変し、村人たちがわらわらと集まってきた。

「熊だ、熊だ!」

「うわあ、こいつはでけえや!」

「いいや。普通こんなもんだろ。でかいやつはもっとでかいんだぞ」

「さすがレフ爺だな。心臓を一発だ!」

「やーい、ヴァンにはまだできないだろ!」

 一番にやって来たのは村の少年たちだ。好奇心旺盛な彼らは、いかにも興味津々といった様子で瞳を輝かせ、熊の体を眺めたり棒でつついたりし始めた。そしてそのついでとでもいうように、ヴァンの脇腹もつつきまわした。

「レフ爺さん。この熊どうすんだ?」

 ノーチェが尋ねると、レフは慣れた様子で、「すぐに捌く」と言った。

「村長に知らせなくていいのか?」

「ふふ、知らせるも何も、わしが村長だ」

 そう言うとレフは自分の胸を力強く叩いた。そして集まってきた村人たちに真剣な顔で呼びかけた。

「皆、聞いてくれ。この熊をやれたのは、山で勇敢な男に出会ったからだ。彼らはここにいるハンナという少女の呪いを解くために、この国の最北を目指す旅をしている。少しの間だが、よろしく頼むぞ。わしの亡き妻のためにも」

 どうやらレフはノーチェの話をきちんと聞いていたようだ。彼がハンナの呪いについて話した時、ノーチェは一瞬背筋が凍りついたが、以外にも村人たちは嫌な顔一つせずに笑顔で拍手し始めた。

「村長。その熊は今まで村人を襲ってきたヤツなのか?」

 一人の男が熊を指さして言った。

「それは腹を切ってみなければわからん。手伝ってくれ」


 レフは熊を仰向けに地面に寝かせると、ナイフで尻のあたりからあごの下にかけて切れ込みを入れ始めた。内臓を傷つけないように気を付けながら、丁寧に、だが手際よく裂いていく。

「速いな」

 ノーチェはレフの素早さに感心した様子で見入っていた。毛皮を肉から切り離すシャッ、シャッ、という音が心地よい。同時進行で前足と後ろ足の先も切り落とし、まとめて雪の上に置く。腹部を切り開き、丁寧に内臓を取り出す。胃の中を見てみると、ほとんど何も入っていなかった。

「くそう」

 レフはため息をついた。

「こいつは村人を喰っとらん。すっからかんだ」

「何もないってことは、こいつ冬眠明けか?」

 ヴァンが胃袋を指先で摘まみながら言った。

「だろうな。どうやら早く起き過ぎたらしい。残念だ」

「えー、違うのー?」

 見物人の子供たちも残念そうに声を上げる。ノーチェもその横で小さくため息をついた。

 この国のほとんどの村には、村人を喰った熊はその村の人間が殺し、肉は村人全員で食べるという風習があるのだ。一見残酷なようだが、そうやって人々は死んだ村人と熊の魂を生きる力に変えてきた。今回仕留めた熊は、クヌート以外は襲っていない可能性が高かった。

「だが、こいつ、たっぷり脂が乗っていて旨いはずだ」

 レフはそう言って熊から切り取った分厚い脂を雪の上に放った。冬眠から明けたばかりの熊は脂が乗っており、臭みも少ないためとても旨い。主に秋に取れたキノコなどと一緒にスープにして食べられる。

 解体が終わってしまうと、村の女たちが切り取られた肉の入った籠を下げて家の中へと入っていった。後には熊の毛皮一枚だけが残った。

「ハンナ。村に着いたら話すって言ったよな。アレクシがどうなったのか」

 ノーチェは思い出したようにハンナに投げかけた。

「うん」

 ハンナはノーチェの顔を見上げた。もうなんとなくわかっているのか、覚悟を決めたような目をしている。しかし、どこか不安そうだ。

「……アレクシ、しんじゃったんでしょ?」

 ノーチェが口を開く前に彼女はそう言った。



次回は5月15日の更新です。

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