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 明け方、奇妙な気配を感じてクヌートは目を覚ました。雪洞の中を見回すと、見張りをしていたはずのアレクシの姿が消えている。焚火はすっかり消えており、鉈もなくなっている。外はまだ薄暗く、雪は降っていなかった。

 雪洞の入り口から顔を出すと、アレクシのものと思われる足跡が続いていた。クヌートは穴から這い出ると、一人でその足跡を追った。

 斜面を登り切ると、足跡は途中で途切れ、ちょうどその場所に鉈が落ちていた。さらに雪の上には血が飛び散っており、その先に何かを引きずったような跡と、巨大な獣の足跡があった。

 クヌートは鉈を拾い上げ、その巨大な足跡を追った。足跡は森の中まで続いていた。奥に進むに連れ、妙な臭いが強くなる。どこかで嗅いだことがあるような臭いだ。しかし思い出せない。     

 そのまましばらく歩みを進めると、雪の上に何かがあった。それはまるで人の衣服のような、皮膚のような、頭髪のような……

 ――見つけた。

 そこにあったのはアレクシの亡骸だった。

 体のほとんどは雪に埋められていた。辺りを警戒しながら近づき、遺体の様子を調べてみると、アレクシは首を噛まれて即死したらしかった。歯形と言うよりは、もはや穴に近かった。

 ――熊なのか?

 可能性としてまず考えられるのは熊だった。この時期はまだ、どの熊も大抵は冬眠しているはずだが、極まれに冬眠せずに冬を越す熊がわずかながら存在する。

 クヌートは一端雪洞に戻り、このことをノーチェに伝えようともと来た道を戻り始めた。しかし、その直後に荒い獣の息遣いが聞こえ、直ちにその場に伏せた。辺りはまだ薄暗く、獣の姿をはっきり確認することができない。低い唸り声と吐き出す息の音が、静かな森に不穏な影を落とす。

 やがて、相手の正体がわかった。灰色がかった毛並み、分厚い脂肪に覆われ、ずんぐりとした体。人間の皮膚など簡単に引き裂けそうな太く鋭い爪。

 やはり熊だったかと、この時クヌートは思った。

 熊はクヌートの目の前までやって来た。アレクシの血の臭いを嗅いでいる。よく見てみると、熊の足には大きな傷があり、まだ完全には癒えていないようだった。アレクシにやられたものにしては、どうも古い傷のように思えた。どこか別の場所で負った傷である可能性が高い。

 熊はクヌートの存在に気が付くと、牙を剥き出して威嚇した。明らかに獲物を横取りしに来たと思われている。気が立っているのか、「カフッ」という音をたてながら全身の毛を逆立て、いつクヌート目掛けて飛び掛かってきてもおかしくない。いずれにせよ、殺しす必要があるとクヌートは判断した。熊と鉈一本で戦ったことはなかったが、トロールを自分一人で始末できたことから、変に自信がついていた。

 だがその考えは少々甘かった。熊はトロールよりずっと動きが機敏で、頭も良かったのだ。


 熊はクヌートの方へ真っ直ぐに突進してきた。平常心を保ち、冷静に鉈を構えるが、熊は想像していたよりずっと早く彼との距離を詰めてきた。呼吸を整える暇もない。

 大きく振りかぶって、鉈を熊の右前脚に力いっぱいぶつける。「グオオ」と熊が鳴き、前足の一部が飛んで行った。しかしそんなことでは止められるはずもなく、もう片方の足でクヌートの頭を叩き割ろうとした。それを力ずくで振り払い、顎目掛けて鉈を振るう。それがちょうど下顎に当たり、めきりと嫌な音がした。

 これを倒さなければ雪洞には戻れない。もしこのまま雪洞へ逃げ帰れば、皆で仲良く熊の餌食になることは避けられない。

 クヌートは雪洞とは反対方向に走った。熊は両足を怪我していたが、よろけながらもかなりの速度で追いかけてくる。獣の生命力は人間を超越した凄まじいものであることを、クヌートは改めて実感させられた。

 走りながら、熊を殺すには眉間や心臓を狙うのが一番だろうと思った。毒矢で殺すのが一番手っ取り早いが、生憎今使えるのは鉈一本と己の腕っぷしだけである。

 ――どうする。

 やがて森が開け、切り立った崖が姿を現した。崖の下は真っ白な雪で覆われているが、おそらく川が流れているのだろう。

 それはいつか見た光景に似ていた。頭の中に、あの時の感覚が甦った。あの時背後から迫っていたのは熊ではなかったが。

 なんとかして、この熊もここから落とせないだろうか。あるいは、腹の下に潜り込んで心臓を鉈で貫けないだろうか。

 クヌートは崖の斜面に両足を掛け、熊の真下から攻撃しようとした。ゼエゼエと荒い息使いの熊が近づいてくる。熊の息が自分の真上にまで迫り、クヌートは鉈を振り上げた。しかし――

 ヒュッ、という空気を切るような鋭い音が頭上を走っていった。その直後、熊の呻き声が聞こえ、獣臭い巨体が雪煙を巻き上げながら崖下に転がっていった。

 クヌートは反対側の崖を見た。弓を構えた誰かがこちらを見ていた。一瞬、ノーチェかと思った。しかしノーチェが今あんな所にいるはずがない。

「おーい! 怪我ないかー!」

「度胸だけは褒めてやるぞぉー!」

 崖を這い上がるクヌートの背中に、若い男と老人の声が交互に飛んできた。

「そこで待て! 今そっちへ行くからな!」

 若い方がそう言うと、老人と共に慣れた足取りで崖を下り始めた。


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