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白銀の国 ―極北のクヌート―  作者: 生吹
2.トロール
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脱出

「この痣は人々に禍を招く呪いだ。ガキだからと言って騙されるな」

 先ほどまでの口調とは打って変わり、息子は乱暴な口調でまくし立てた。

「このおかげで……こいつが原因で、大勢が殺されたんだぞ」

 かと思えば、今度は目に涙を浮かべ、すがる様な目で訴えかけた。誰かが人ごみの中から「殺せ」と言った。

「誰だ! 今ふざけたことを言ったのは」

 ノーチェは歯をむき出して怒鳴った。腰からナイフを取り出そうとしたが、ナイフはトロールに使ってしまったせいで持っておらず、右手は空しく腰を掠めただけだった。

「そうだ。もう一人、もう一人白い服の男がいたよな。あいつはどこに行ったんだ?」

 ノーチェの言葉を無視するように、村人の一人がそんな事をつぶやいた。

「俺は見たぞ。あいつが一人でトロールを殺すところを」

「あんなのを一人で? あなた夢でも見ていたんじゃないの?」

「いや。夢じゃない。あんな状況の中で、全く動揺していなかった。まるですべてをあらかじめ知っていたように」

「いや、まさかそんな……」

 また広場が騒めき始めた。確実に何か勘違いされている。

「そうか、わかったぞ。お前たちグルなんだろ」

 息子が舞台の上からノーチェを指さし、叫んだ。

「この子供を使ってトロールを呼び寄せ、お前やあの男がそれを倒す。そうやって金を稼ぐ気だ」

「『わかったぞ』じゃねえよ。そんな面倒くさいこと誰がやるか! 頼むから恥の上塗りはもうやめて、ハンナをこっちに返せ。寒がってるだろ!」

 ノーチェは舞台の下から怒鳴った。腕をむき出しにされたハンナは恐怖と寒さで今にも泣きそうな顔をしている。


「まあ待て。息子よ」

 ノーチェが力ずくでハンナを取り返そうか迷っていると、ようやく広場にたどり着いた村長がよたよたと歩いてきた。しかし、もう遅すぎた。村人たちはかなりの興奮状態に陥っていた。

 ――今更よちよち出てこられても遅えぞ村長。

 ノーチェは頭の中で毒づいた。

「もう殺しちまえ」

 また誰かが言った。さっきとは違う声だった。

 しかしそんな悪魔の囁きと同時に別の声もした。幼い少女の声だ。

「お母さん!」

「うそでしょう、アンナ……!」

 一人の女が驚いた様子で少女に駆け寄った。それは娘をトロールに攫われたと叫んでいたあの女だった。人々の目線は一斉にそちらに向けられた。

「あの女の子がいる……? じゃあ、クヌートは――」

 ノーチェはあたりを見回した。すると頭上から呻き声があがった。村長の息子の腕に何かが刺さっている。よく見ると、それは食事をするときに使うナイフのようだった。

 息子はハンナを掴んでいた手を放し、その場にうずくまった。

「こっちに飛べ、ハンナ!」

 ノーチェはハンナに向かって怒鳴ると、懐から笛を取り出し、思い切り吹いた。人々の間を縫うように勢い良くトナカイが走って来た。

「早く飛べ、ハンナ」

「やだやだ! こわい」

 ノーチェが急かすが、ハンナは怖がって尻込みしている。見かねたアレクシがハンナの背中を押し、ノーチェの腕の中へ突き落した。

 ノーチェはハンナをトナカイの背中に乗せ、尻を蹴って走らせた。

「門から外に出ろ。後で追いつく」

 ハンナを乗せたトナカイは軽やかに走り出し、闇の中へと姿を消した。

 ノーチェは舞台に上るとアレクシの縄を解き、それを止めに走り寄ってきた男を殴り倒して広場から出ようとした。

「頼む! そいつらを逃がさないでくれ!」

 舞台から怒鳴り声が響き渡る。それとほぼ同時に何者かが舞台の上に飛び乗り、喚いていた息子の喉元に鉈を押し付けた。耳元で何か言っているが、聞き取れない。

「クヌート! まさか殺す気じゃないだろうな……」

 ノーチェの額に冷や汗が滲む。どこからやってきたのか知らないが、クヌートは舞台の上にいる男を人質に取ることにしたらしい。彼は人質の首に鉈を押し当てたままノーチェとアレクシの方へやって来た。人々はその様子を固唾を飲んで見つめていた。

「頼りなさげな奴だと思ったが、随分思い切りがいいな」

 アレクシは感心したように言うと、「これでわしもこの村にはいられなくなったわけだ」と苦笑した。


 門の外まで出ていくと、クヌートは村人に門を閉めるように言った。そしてそこから少し離れた丘の上にトナカイとハンナの姿を見つけると、人質を解放し、五百数えるまでその場に留まるように指示した。その様子は気味が悪いほど落ち着いていた。

「一、二、三、四……畜生。お前たちのせいだ。でなければおかしいじゃないか。説明がつかない。トロールが出るのは南の森だ。お前たちが連れてきたんだ」

 村長の息子は恨みの籠った目でクヌートやハンナを睨みつけていた。

「本当に私らは何もしちゃいないんだよ。お前は信じないだろうけど」

 去り際、ノーチェはそう言ったが、息子は相変わらずぶつぶつと恨み言を言うだけだった。


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