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白銀の国 ―極北のクヌート―  作者: 生吹
2.トロール
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反撃

 オーロラが躍る空の下で、三体のトロールがうろついていた。人間の体長を優に越える大きさで、地鳴りのような呻き声を上げながら二足歩行している。手足は棒のように長く、指先には黄ばんだ長い爪が生えていた。この腕を遠心力に任せて振るうのだ。そこまで若くないのか、どのトロールも全身緑掛かった茶色をしており、所々苔が生えていた。もうすでに村の誰かが犠牲になったらしく、口の周りを赤い液体で汚している。

「開けて! 中に入れて!」

 逃げてきた人々がクヌートの出てきた扉にすがり付く。しかし扉はもう一ミリたりとも開かれることはなかった。その様子に気が付いた一頭のトロールが、白い鼻息を吹き出しながらこちらに寄ってきた。

 当たり前のようにクヌートはトロールの腱目掛けて斧を振るった。自分はそうしなければならない。今までもそうだったように。そんなことを一瞬だけ考えた。

 彼の倍以上あるトロールは、突然の攻撃に驚きびくりと飛び上がった。しかし、その程度で怯むほどか弱くはなかった。遠心力に任せて振り回された腕は、風を切ってクヌートの方へ迫った。間一髪でそれを躱すと、腕は近くにあった家の壁に激突した。幸い中には誰もいなかったようだが、暖炉の火が他の家具に燃え移り、やがて家全体を包み込んだ。家を焼く炎が、辺りを明るく照らし出す。

 その瞬間、クヌートの頭の中に懐かしい感覚が雪崩れ込んだ。燃え上がる家を見て、焼ける臭いを嗅いで、頭の中で何かが動き出す。


 この光景は前にも見たことがある。だが、思い出してはいけない気がする。


 トロールの腕から頭の方によじ登り、ポケットから塩の入った瓶を取り出すと、中身をトロールの大きな眼の中に振り掛けた。この塩はモヴィ族にあげた塩の残りだった。いつもはトナカイの機嫌を取るために使うので、こうしてポケットに入れて持っているのだ。

 トロールは塩が目に染みたのか野太い声で唸ると、クヌートを振り落とそうともがいた。クヌートは振り落とされる前に急いでトロールの首を斧で殴った。切れ味があまり良くないため、綺麗に切り落とすことができない。もはや鈍器だ。

 頸動脈を切断されたトロールは赤黒い鮮血を吹き出しながらのたうちまわった。クヌートは一瞬の隙をついてなんとか民家の屋根に飛び移った。

 トロールは音を立ててそのまま地面に倒れ、心臓が脈打つたびに首から血を噴き出した。まだ意識がありもぞもぞとうごめいているが、このまま放っておけば死ぬことだろう。

 クヌートは屋根の上からあたりを見回した。あと二体トロールが残っている。一体は葬儀中の人々が立て籠もっている石造りの建物の周りをぐるぐる回っている。もう一体は見当たらない。どこかでたくさんの犬が吠えている。

 ふと屋根の下に目をやると、一頭のトナカイがこちらを見つめていた。ノーチェがモヴィ族から買ったトナカイだ。クヌートと目が合うと、アレクシの家の方へ走り出した。それはまるで着いて来いと言っているように見えた。

 村中から逃げ惑う人々の叫び声や泣き声がする。それらはすべてたった二頭のトロールに向けられていた。

 石でできたあの建物はしばらくは持つだろう。問題はもう一頭の方だ。

 クヌートはアレクシの家へ向かった。途中、何匹もの犬たちとすれ違った。ノーチェがアレクシの犬たちの縄を解いていたのだ。

「無事かクヌート! これからどうすればいい? どこか立て籠れる場所ないか?」

 ノーチェは犬の尻を叩きながら、帰ってきたクヌートに怒鳴った。その隣ではハンナが彼女の外套の裾を握りしめて立っていた。まだここにトロールは来ていない。

「ない」

「葬儀はどうなった?」

「皆、立て籠った。もうその中には入れない」

 クヌートは落ち着いてそう告げた。

「……やれそうか? 殺せそうなのか? トロールは」

 ノーチェはすでに弓を背負っていた。

「さっき一頭殺した」

「殺した? そんなに簡単にやれるもんか? 前々から思ってたけどお前、実は記憶が戻ってるんじゃねえだろうな」

 ノーチェがそう言った直後、村のどこかから悲痛な悲鳴が響き渡った。

「娘が攫われたわ! 誰か追いかけて」

 見ると、今まで姿の見当たらなかったトロールが村の囲いを破壊して森の方へ逃げていくのが見えた。その後を追うように一人の女がよろよろと走っている。村の人々はそんな彼女を横目でちらちらと見るものの、皆一様に自分の身の安全を確保しようと闇雲に逃げ回っている。

「追うか?」

 ノーチェはクヌートに尋ねた。彼は、ただ無言で頷いた。そしてたった一人で闇の中に消えていった。



 クヌートはアレクシの家から持ち出した鉈を持って逃げたトロールを追った。ノーチェはハンナの保護と、石の斎場を破壊しようとしているトロールを何とかしなければならなかった。村の猟師はすでにトロールに食われ、武器を扱えるものは限られていたのだ。

 村の数か所からは火の手が上がり、動ける余裕のある者たちは雪を使って消火をしている。一面雪が降り積もっているため村全体が炎に飲まれることはなさそうだが、人々の顔は恐怖と絶望に満ちていた。

 ノーチェはハンナをトナカイの背に乗せ、安全な場所を探した。村の外に出してしまおうか迷ったが、本人が泣いて抵抗するので一人ぼっちで野に放つわけにもいかず、仕方なく村の中で一番頑丈そうな村長の家にいた奥さんに頼み込み、ハンナを預かってもらうことにしたが、これがまた大変だった。

「ハンナ、すぐ戻ってくるからここに置いてもらえ」

「やだ!」

 大人しいハンナの初めての反抗だった。ノーチェの足にしがみついて離れないのだ。予想外の力強さにノーチェは焦った。

「じゃあ一人で外に行くか?」

「やだ。ノーチェといっしょがいい!」

「どっちか選べ。ここにいるか、一人で村から出るか」

「……ここにいる」

「よし、いい子だ」

「いかないでノーチェ」

「すぐ戻る」

 ハンナは諦めたように手を放し、家の中へ入っていった。

 トロールは相変わらず斎場の周辺をぐるぐる周っていた。中にたくさん人がいることをわかっているので、どうしても諦めきれないのだ。そして何より、前に殺した猟師の匂いや、喰ったはずの女と子供の匂いがするので、かなり興奮しているようだ。

 ノーチェは懐から小瓶を取り出し、蓋を開けて矢の先端を中に差し込んだ。熊を殺すために持ち歩いている毒だ。野生の熊はうまいこと毒矢で心臓を射抜いても当たり前のように動き続けることもある。トロールは熊の倍以上の大きさがあるため、たとえ心臓や眉間を射抜いても毒が効くのかすらわからない。

「でけえ熊だと思えばいいさ」

 ノーチェは家の陰からトロールの眉間を狙って矢を放った。しかし狙いは外れ、矢は吸い込まれるようにトロールの右目に刺さった。トロールは訳も分からず暴れだし、両手で顔を覆ったが、すぐに矢を放ったノーチェの姿を探し始めた。

「参ったな。元気じゃねえか」

 ノーチェはもう一度、今度は心臓を狙おうと矢を構えた。しかし闇雲に振り下ろされたトロールの拳が頭上の屋根に直撃し、飛び散った残骸が彼女の手元に直撃した。「まずい」と思った時にはもう遅く、目の前には片目の潰れたトロールの顔があった。

 反射的に身を引いて距離を取る。弓を弾く暇などない。咄嗟に腰から短刀を引き抜き、左目を目掛け、投げる。

 両目の視力を奪われたトロールはバランスを崩し、そのまま家に突っ込んだ。しかし、まだ死んだわけではない。視力を失っても尚、立ち上がろうとしている。

 そんな様子を見かねた村人の一人が突然大声を張り上げた。

「倒れたぞ! 殺せ! もう二度と起き上がらせるな!」

 どこから湧いてきたのか、村の男たちが斧や鈍器になりそうな物を抱えて次々に物陰から姿を現した。哀れなトロールは村人総出で袋叩きにされ、やがて絶命した。その間、人々は「殺せ」という単語だけを、まるで呪文のように何度も繰り返していた。


昨日の夜に更新する予定でしたがアップロードにやや手こずりました。遅れてしまい大変申し訳ございません。

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