トロールの襲撃
雪はそのうち吹雪になり、三人は数日の間この村に滞在することを余儀なくされた。クヌートは時折そわそわした様子で窓の外を眺めていたが、外の様子は雪煙に覆われて全く見ることができない。風も強く吹いているせいで音もよく聞こえなかった。
「落ち着きないな。どうした?」
不審に思ったノーチェが尋ねるが、クヌートは押し黙ったままだった。この時、彼はなんとなくだが不穏な空気を感じ取っていた。しかし、それが何なのかはわからない。
二日後、天気は落ち着き、真っ青な空と眩しい太陽が雲の切れ間から顔を出した。クヌートは朝早く起き、村の中を探索していた。
しばらく歩いていると、彼の鼻に不快な臭いが入り込んだ。血の臭いだ。
村のはずれにある家々が破壊されていた。近寄ってみると、一層血の匂いが濃くなった。
破壊された玄関から中に入ると、男が一人倒れていた。辺りには血しぶきのようなものが飛び散っていたが、どうもこの男一人のものではなさそうだった。血の量が明らかに多い。アレクシの言葉が生々しく思い出される。
――トロールだ。吹雪のせいで、誰にも気が付かれなかったのか。
クヌートは男の首に手を当てた。男はすでに死んでいるようだった。しかし、あることに気が付いた。
死んでいる男は、二日前にノーチェが鎮めた暴れ馬の持ち主だった。
家の裏手に回ってみると、小さな馬小屋があり、そこに二頭の馬がいたが、どちらも死んでいた。
――あの時、馬の方は……
クヌートは隣の家々も見て回ったが、それらの家も同様に人が死んでいた。しかし家には男の死体しかなかった。女物の服や子供のおもちゃは見つけられたが、肝心の人間の姿が見当たらない。おそらくトロールは一番抵抗力のある男を真っ先に殺し、肉の柔らかい女や子供を持ち去ったか、その場で食べてしまったのだろう。
クヌートは生きている人間を探して歩きだした。するとすぐに散歩中の老人とその息子に出くわした。聞けば老人は、この村の村長だという。
「この壊し方は熊じゃない。トロールだ。吹雪の夜、トロールがこの村に来た……!」
破壊された家々を見た村長は真っ青になって地面にへたり込んだ。
「アレクシ爺さんが言ってたことは本当だったのか。俺はてっきりいつもの虚言かと……とにかく皆に知らせないと」
息子の方は頭を抱え、全力で走り去っていった。
「吹雪の前、ここの馬が暴れていたのを見た。トロールの気配を感じ取っていたのかもしれない」
クヌートは村長に手を貸して立ち上がらせた。
「お前さん、そういやどこから来たのか聞いてなかったが、どこの人なんだい?」
「子供のころはおそらく、王都にいた……と、思う」
「思うだと?」
「大きい怪我をしてから、記憶が曖昧だ」
「難儀だな。そう言えば二日前のあの日、この家の男からお前さんたちはリトレ村を目指していると聞いたぞ。リトレ村といったら、ここからずっと北の海沿いの村ではなかったか? なぜそんなところを目指す?」
クヌートの頭にハンナの顔が浮かんだ。そしてあの厄介な呪いの痣のことを言うべきか迷った。
「おーい、どうした? 何があった?」
離れたところから声がした。振り返ると、村人の誰よりも早くノーチェがこちらに向かってきていた。
「お前、音もなく消えるのやめろよ」
ノーチェはそう言って破壊された家の中を見に行った。
「ひどいな。一撃で殺されてる。あれ、この男は……」
彼女も死んでいる男を見て悔しそうな顔をした。
「そうか。あの時……」
家の外には村人たちが続々と集まってきていた。その中にはこの家の住民と親しくしていた者の姿もあり、何人かの村人は死んだ男たちに駆け寄り泣き出した。
「アクセル! ああ、なんてことだ。もっと早く気が付いてやれていれば」
次の日の夜、村では死んだ男たちの葬儀が行われた。今回トロールに襲われた家は、森に一番近い位置にある三件で、その家に住むどの男も猟師だった。
「なんでこうも行く先々で嫌なことばかり起こるかな。ハンナにはさすがに黙っておく。葬儀にも出ない。お前はどうする? 一応第一発見者だからな」
ノーチェは葬儀には参加せず、アレクシの家にハンナと残ることにしたらしかった。
「出たほうがよかろう。変な噂をたてられんようにな」
アレクシが暖炉に薪をくべながら言った。しかしふと思い立ったようにこんなことを口走った。
「そういえばお前、なんで朝早くあんなところにいた?」
一瞬、部屋の中の空気が張りつめた。クヌートが何も言わずにいると、アレクシは大声で笑い出した。
「冗談だ。考えてみろ、死体は二日前のものだ。そして、お前はずっとここにいたろ?」
葬儀には多くの村人が集まった。石を積み重ねて作った建物の中に祭壇があり、祭壇には食べ物や蝋燭のほかに、女の衣服や子供のおもちゃなどが並べられていた。
建物の中には人々の鳴き声やひそひそ話す声が混じり合って響いていた。クヌートはアレクシと中に入り、一番後ろの席に座った。後から入ってくる人々が、ちらちらと二人の方に目をやった。
葬儀が行われている間、どういうわけかクヌートは平静を保っていられなかった。寒い夜だというのに額には汗がにじみ、呼吸は荒くなり始めていた。それは恐怖とも痛みとも言えない奇妙な感覚で、それでいて怒りや興奮とよく似たものだった。
――来た。
よく知る気配を彼は感じ取っていた。ただ、なぜよく知っているのかは思い出せずにいた。
建物の外で、見張りの男の断末魔が聞こえた。それは悲しみと不安に満ちたこの空間を、一瞬にして恐怖と絶望に塗り替えた。
逃げてきた見張りの一人がクヌートの真後ろの扉を開け、大声で「トロールが来たぞ!」と叫んだ。村人はたちまちパニックに陥り、見張りに今すぐ扉を閉めろと怒鳴った。見張りは当たり前のように建物の中に入ってくると、持っていた手斧を床に放り出して扉の鍵を閉めようとした。クヌートは反射的にそれを拾い上げ、もはや見張りでも何でもなくなった男を押しのけて外に出た。後ろからアレクシが何か叫んでいたが、聞き取れなかった。
【トロール】
成人男性の三倍近くの大きさの巨人。全体的に灰色がかっており、身体の所々に地衣類を生やしている。姿形は人間に似ているが、胴体に対して手足の長さが人間の2倍である。
南側に住む個体は凶暴で、力任せに腕を振って攻撃してくるが、動き事態は比較的遅く、知能は低いと言われている。北側の個体は大きさが南の個体の半分以下であり、個体数、生息地域共に限られている。
雑食性で様々な物を食うが、人間の味を覚えると人間ばかり襲うようになる。
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