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変化を縛り付けて 前編


 ******


「慧、一週間分の荷物をまとめろ。俺の家に行くぞ」


 戻ってきた海人の第一声はそれだった。ソファに腰を落ち着けていた慧は怜奈と目を合わせる。二人の困惑を察したのか、彼は慎重にその理由を話す。


「家の場所がバレてるのに、ここにお前を置いとくのは危ない。怜奈の家じゃ、もし犯人が男だった場合に心配だし、それを考えるとオレの家の方がいいだろ? それが終わったら警察にも行かないと」


「だが……」


 たとえ警察に行っても、ただの嫌がらせとして処理される可能生の方が高い。それを考えると、まだそこまでする段階ではない気がする。

 海人は躊躇う慧の背中を押すように、重い口調で言う。


「もうお前が一人で抱え込む限度を越してるよ。これ以上のことが起こらない保証がないのなら、せめて警察に相談という形で話しておいた方がいい」


「警察に話を通しておけば、見回りくらいはしてくれると思うわよー?」


「中津さんにも連絡しよう。大学の一件も警察には知らせておいた方がいいだろ」


「それは駄目だ! 先生に迷惑をかけたくない」


「……わかった。なら代わりにオレの家に移動するな? それが聞けないなら中津さんに知らせる」


「相手は大きなことをしたつもりはないだろうし、あたし達が過剰に反応しすぎるのもよくないだろ」


「過剰なんかじゃないさ。怖い思いをさせられた時点で、十分犯罪扱いする理由になる。慧、頼むから言う通りにしてくれ。このまま何もしないで、お前になんかあったら嫌なんだよ」


「そうよ。迷惑なんて考えないで。友達でしょ?」


 手が温かな温もりに包まれる。二人の心配そうな表情に罪悪感が浮かび、慧は目を伏せた。慧に関わったばかりに、二人にはしなくていい苦労をかけている。それがとても心苦しかった。

 自分だけで出来ることには限界がある。それを理解しながら差し出された手を拒むのは愚か者のすることだ。

 慧は無言で怜奈の手を握り返して、二人に頼んだ。


「……わかった。荷物をまとめるよ。運ぶのを手伝ってくれ」


 謝る代わりに伝えた言葉に、二人が力強く頷いた。



 旅行用のトランクに荷物と大学の教材を詰め込むと、三人は海人の家に移動した。

 その日から二日。女を床で寝かせられるかという海人に甘えて、慧と怜奈は一緒にベットを使わせてもらっている。彼は床の上に客用布団を敷いて寝起きしているので、いつも申し訳なく思う。せめてお礼がわりになればと、慧は翌朝から朝食を作っている。


 パンと目玉焼きとサラダの簡単な朝食を作って、コーヒーを入れる。テーブルに並べ終えると、ちょうどいい時間になった。

 キッチンから出て、床で寝ている海人を揺り起こす。


「朝だぞ、起きろ。起きないと海人の朝ご飯がなくなるぞ」


「う……ん……それは困るな……」


 タオルケットの中でもごもごと返事が返るのを確認して、慧はベットに向かう。海人は寝起きがいいので、これで起きてくれるだろう。

 次は問題児に声をかける。


「怜奈も起きろ。朝ご飯が冷める」


 軽く揺すっても、彼女は薄く口を開いて幸せそうな顔で眠っている。めったに見ないスッピンの玲奈は、化粧をしている時より幾分幼く見えた。

 毛布にしがみついて離れない彼女に、慧はため息をついた。熟睡する怜奈から離れて、先に窓のカーテンを開く。雲一つない空はいつもより高く広く感じる。洗濯日和になりそうだ。


 呑気な自分の思考に、思わず苦笑が浮かぶ。ずっと巣に守られる雛ではいられないとわかっていた。

表面上は平穏な日常を保ちながら、その下で誰かの悪意が燻っている。

まるで火がつけられた爆弾が、爆発する時を待っているように。



 午前の講義が滞りなく終わると、午後は野外で行われる実践講義だった。担当はもちろん野村と特別講師の光星だ。

 光星自身の講義は評判がいいこともあり、残り二日となった今では、生徒の出席が異常に多くなった。きっと、写真科を取っていない生徒もこっそり受けているのだろう。なにしろ、光星は顔がいい。慧も何度嫉妬交じりの視線を向けられたことか。


 いや、今問題なのはそれではない。それかけた思考を元に戻すと、じりじりと現実が迫ってくる。


「どうしたんや? 悩んどるんか慧ちゃん?」


 動きだした生徒の中で微動だにしない慧に、全てを知っている光星が近づいてくる。


「先生……」


 慧はどうしてと言いそうになり、口をつぐむ。

 講義で野村が出した課題を、光星はおそらく前から知っていたはずだ。しかし、特別講師である彼を責めるのはお門違いだろう。

 たとえ出された課題が慧が二度としないと誓ったことであっても。


「──キミが人を撮らないことを、その理由をオレは知っとる。そこへ至るまでの気持ちも、苦しみも全部わかっとるつもりや。けどな、このままじゃキミは写真家にはなれへん。それは君が一番ようわかっとるはずや。……どんなに辛くても、逃げたらあかんよ。逃げたら、キミは二度と写真を撮れへんくなる」


 それは厳しくも正しい言葉だった。

 写真家には、才能はもちろんのこと、努力や経験、そして深い視野も必要になる。だから本当に写真家になりたいのなら、狭い視野でしか物事を見れない今の慧では駄目なのだ。







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