自覚した恋心
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二限目が始まる前に講義室に戻った海人は、荷物をまとめていく。今日はもう大学にいたくない。慧に会いたくなかった。
帰り支度を始めた海人に、近くに座っていた友人が声をかけてきた。
「なんだよ海人、もう帰るのか?」
「ちょっと用事が出来たんだ。悪いけど、代返頼んでいい?」
「いいぜ。その代わり、今度驕れよ?」
「サンキュ、マジ助かる」
気のいい友人にぎこちなく笑みを返すと、海人は講義室を後にした。
廊下は移動する人で溢れていた。その間を縫うように歩きながら、これからどこへ行こうか考える。まだ家には帰りたくない。かといって、遊びに行くような気分でもなかった。
入り口から外へ出ると、雨はもう止んでいた。しかし重苦しそうな空模様を見る限り、また降らないとも限らない。
海人は灰色の空よりも重いため息を吐きながら、校門を抜ける。
ふいに、携帯が着信を知らせて鳴った。
画面に視線を落とすと、海人の足は意識せずに止まる。携帯には慧の名前が表示されていて、胸が苦しくなった。
海人は痛みを堪えるように目を細めると、携帯をぎゅっと握り締める。
──一、二、三……。
心の中でゆっくりと数を数えていく。
十五秒数えたところで、諦めたのか、鳴り響いていた着信音が途切れた。
ほっとした気持ちと、後ろめたい思いが混ざり、なんとも言えない情けない気分になる。
「あーもう。馬鹿か、オレは……」
海人は頭を搔き毟ると、項垂れてその場にしゃがみこむ。彼女を避けたのは、これが初めてだった。
冷静になればなるほど、自分の馬鹿さ加減に、自嘲しか出てこない。
どっぷりと落ち込んで、海人はゆるゆると首を上げた。その動きが、正面を向いたところでぴたりと制止する。
「あ、れは──」
道路を挟んだ向こう側の道に、あの男がいる。
気付けば、知らずに足が動き、道路を走って横断し、男の背中を追いかけていた。
緩い歩調で歩く男の背中を慎重に追いかけながら、反射的に追って来たものの、なんと声をかけたものかと考える。
男の体格は大きく、海人と比べると小枝と大木ほどの差があった。下手なことをしようものなら、殴られるかもしれない。
慧の友人なのだから、そんなことはしないと思いたいが、迫力があり過ぎて近寄りがたい。
そんなことを悶々と悩みながらも、海人は見つからないように距離をとりながら、男の後をつける。
その時、男が路地の方へと曲がった。
海人は慌ててその背を追いかける。だが、すぐに続いたはずなのに、その先に男の姿はない。まるで魔法のように消えてしまった。
「嘘だろ、見失ったのかよ……?」
「ここだ」
その声に後ろを振り向くと、男が腕を組んで壁に寄りかかっていた。
冷ややかな視線が、海人を射る。
「で? なんの用だ、兄ちゃん?」
「いや、その……」
その威圧感に、海人はごくりと息を呑む。半殺しの目に合うかもしれない。
海人は覚悟を決めて乾いた唇を湿らせて、口を開いた。
「用は──ない」
予想外の一言だったのだろう。男はずるりと壁を滑りかけ、呆れた顔を海人に向けてきた。
「あぁ? オレをストーカーよろしく追いかけといて、用がないだぁ? じゃあ、なんだってテメェはオレをつけてやがったんだよ?」
「いや、その、悪い。オレは慧の知り合いなんだ。昨日の夜、あんたとあいつが会ってるのを見ちまって……それで気になって、反射的に追っかけただけなんだよ」
そもそも追っては来たものの、どうするのかはまるで考えていなかったと伝えると、男は威圧感をすっかり消して苦笑した。
「なんだそりゃあ。オレはてっきり喧嘩吹っかけられんのかと思って、めちゃくちゃ警戒しちまったじゃねぇかよ」
「本当に悪い。あんたに言うのもなんだけど、オレと慧、今気まずい関係なんだ。あんたはあいつの隠し事を知ってるんだろ? オレがあんたを無意識に追ったのも、その隠し事を知りたかったせいだと思う」
男はおもむろにズボンのポケットから煙草を取り出すと、手馴れた仕草で火をつけた。
「ふーん。慧は兄ちゃんに言ってないんだな? なら、ここでオレに聞けばいいじゃねぇの? 自覚してようが、してなかろうが、もともとそれが目的だったんだろ?」
「……聞くなら直接あいつの口から聞くよ。あいつが話したくないことを、ここであんたに聞くのはフェアじゃないだろ?」
正直、迷わなかったと言えば嘘になる。だが、それをしたら、慧は今以上に傷つき、自分から離れていくだろう。
それは、想像しただけで海人の胸を締め付けた。
黙って聞いていた男は、一度大きく煙草を吸い込み、携帯用の灰皿へ押し付ける。
そして、面白そうに海人を見た。
「あんた、慧とはどの程度の付き合いなんだ? 顔見知り程度なのか、それともダチと呼べるほど深いものなのか?」
「オレは……あいつを親友だと思ってるよ」
たとえ、慧にそのつもりがなかったとしても。
迷いながらも真っ直ぐに答えた海人に、男がにやりと笑う。
「正直だな。──その正直さに免じて、一つだけ教えてやるよ。あいつはどうしようもなく頑固で、馬鹿みたいに一途な女だ。だから、慧を手に入れたいなら、辛抱強く粘ることだな」
「なんか勘違いしてないか? オレは別に慧が好きなわけじゃ……」
「へぇ? オレなら、親友のダチへ、嫉妬混じりの視線なんか向けないぜ?」
言われた一言に、海人ははっとさせられた。そして、ようやく気付く。自分の中に存在していた気持ちが、なんであるのかを。
動揺を露にする海人から目を逸らし、男は一瞬だけ遠くに視線を投げる。
「あんたが本気であいつを想うなら、もしかしたら慧も──まぁ、せいぜい、頑張んな」
男は言いたいことだけ口にして、表通りへ戻っていった。
その揺るがない背中を見送って海人は、胸を押さえる。あんなに胸が痛んだ理由を、見つけてしまった。
それは、けして気付いてはいけない恋心。
海人は奥歯を噛みしめると、吐き捨てた。
「どうすりゃあいいんだよ……っ」
自覚した想いは、苦く切ないものだった。




