最終章 明かされる真実と大縁談 その2
「殿下、入ります」
王立騎士団長の元を辞したユーリアは、その足でグスタフの執務室へ向かった。
「遅い」
彼は大量の書類に埋もれかけていた。その惨状を見たユーリアは、執務机の正面においてあるソファに座って優雅に紅茶を飲んでいる文官に目をやった。彼はユーリアのことを見ると、
「いやはや、王宮茶会で愛しの姫君に会いたいってグスタフが言うから、それまでに仕事を終えてもらおうと思って」
と文官――ユーグレットは微笑みながら言った。王太子の『愛しの姫君』の正体であるユーリアには、彼の背後になにか黒いものが見えたような気がしたが、気にしないようにしたし。
「いくらなんでも積みすぎだろ」
ユーグレットの発言に、心なしか少しやつれているグスタフが抗議した。
「これでもかなり減った方だ。お前じゃないと決済できないような案件しか残していない」
その言葉には、さすがのユーリアも真っ青になった。文官で決済できるような案件含めたらどんな気の量の書類が残っていたというのか、少し気になったものの、藪蛇になりそうで聞くことができなかった。王太子である彼との差はあるものの、一応伯爵である彼女も書類仕事と戦ったこともあるが、そこまでため込むような性格もしていなかったし、一気に来ても短時間で終わらせるくらいの集中力を持っていた、と自負している。どれくらい彼は集中できていなかったというのか。
「しかし、イェルクはこんなところで油売っていていいのか」
ユーグレットははた、とユーリアに尋ねた。
「はい。こちらの案件は粗方、片を付けましたし、おそらく公爵の方はほかっておいても問題ないと思います」
彼女は端的に事実を述べた。2人には自分の正体について言っていないなので、いろいろバレたというのは問題あるし、そもそも間諜としてはどうなのか、と自分でも思っていたので、言わないことにした。
「そうか。大変だったと思うが、ご苦労だった」
そんなユーリアの葛藤には気づかず、グスタフは彼女の頭を撫でた。ユーリアはそれが自分ではなく、彼女のことが好きであり、彼女の正体に気づいていない人間からであるものだとしても嬉しかった。彼女はまた、幼い時分に助け、もう一度会いたいと思っていた彼であると気づいてはいなかったが、いつの日にか同一視していたのではないかと思い始めていたので、グスタフの感情もよくわかるとも思った。
ユーリアはその後、グスタフの執務室を出て王太子宮の一角に与えられた自室へと戻った。部屋に入った瞬間、机の上に手紙があるのに気付いた彼女は宛名が自分であることを確認した後、封筒を裏返し差出人を探してみたものの、書かれておらず、入っていたメッセージカードにも名前が書かれていなかったものの、一度目を通してみると、『親愛なるロンデンブルク伯爵夫人』という書き出しで文章が始まっていた。それには、王宮茶会で会いたいこと、そこで15年前の真相について話がしたいことが書かれていた。ただ、自分の肩書が違っていたこと、そして、何故『王太子付き護衛騎士』の部屋に『ロンデンブルク伯爵』あての手紙が置いてあるのか不思議に思った。
「イェルク様」
手紙を見て首をかしげていると、誰もいないはずの背後から女性に呼ばれた。ユーリアは剣の柄に手をかけながら振り向いた。背後には栗毛の小柄な女官だった。
「何でしょう」
王太子付きの護衛騎士になるときに、この部屋を与えられたのだったが、その時に王太子には『女性騎士』だと内密に紹介されていたので、男性を意識した声にはしなかった。
「あの、今読まれていたカードについてですが」
「これか?」
「はい。デトン公爵様より預かっておりまして、イェルク様にお渡しするように言われました」
ほう、とユーリアは思った。確かにあの公爵なら自分の正体を知っている。そして、肩書も。
「では貴女の主に『私に直接伝えた』、と伝えてくれ」
こんな抜けている相手に会う義理はなかったものの、あえて誤解されやすいように言った。もちろん強硬手段をとられない限り会う気はない。ユーリアはある人物にあえて連絡した方がよいのだろうと思った。女官が彼女の部屋から出て行った後に、彼女は王宮の東端にある鳩小屋に向かった。そこには、王屋内で使われる手段の一つで、近くでは近隣、遠くでは国内の砦まで小包程度のもなら運べる鳩や狩りの際に使われる鷹など飼育されている。先日、公爵家に向かった際に王太子(もしくは直属の部下で幼馴染のユーグレット)からの手紙や彼女からの報告に使用した鳩もいた。その鳩を探し、ある手紙を託した。彼の鳩ならば、届ける先を間違えないだろう、と思った。
(頼むよ)
そう手紙を結う手に思いを込めた。
「イェルク。誰に手紙を出すんだ」
不意に背後から声をかけられた。そこには、彼女がよくしゃべるもう一人の相手――ユーグリットがいた。
「うっ、ユーグリット様」
彼女は苦虫をかんだような顔をした。今しがた鳩を飛ばしたその手をつかむと同時に単なる文官とは思えない身の動かし方で、詰め寄ってきた。
「誰なんだ、言え」
普段はお調子者やムードメーカーとして調子のよい口調をしているが、今は相手を射殺さんとばかりの眼とそれと同じくらい鋭い口調だった。
「グスタフは君のこと気に入っているから何も言わないでおこうと思ったが、俺はお前のことを認めてはいない。というよりも、お前はそもそも何者なんだ」
文官のユーグリットは一応武官のユーリアには腕っぷしでは勝てないと踏んだのだろう、彼女の進路をふさぐような真似はしなかった。
「女であることかくして騎士団に入ったり、グスタフがお前に対してしてきた諜報活動の試験が、王国の情報部顔負けなくらい完璧すぎたり、と。もちろん、殿下の幸せと一番に考えている俺としては、殿下が望むのであれば、結ばれるのは、たとえ身分が釣り合った女性、という訳でなくても構わない。市井の姫君でもいいし、海の彼方の国の姫でもいい。だが、お前だけは決して認めない。お前に対して殿下が抱いているのはユーリア・ロンデンブルクと雰囲気が似ているから、だ。それだけは忘れるな」
彼は言いたいことをまくしたてて、鳩小屋を出ていこうとし、出入り口のところで振り返り、
「今、俺が見たことを殿下には報告させてもらう」
と言い、今度こそ出て行った。
「『雰囲気が似ている』かぁ」
一人きりになった後、ユーリアは呟いた。100点満点だとすると、90点くらいか。紛れもなく、本人なのだから。
「でも、なんであの方が私に執着するのだろう」
彼女は首をかしげながら、今度こそ自室へ休息するために向かった。