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繋がれない運命  作者: 狗山黒
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のっぺらぼう

 男が取り出したのは、豪奢な鏡だった。螺鈿細工が施され、金箔で飾られた、極彩色の枠に嵌められた、輝く鏡面。其処に映るのは、不幸を滲ませた女の顔。口が在り、目が在り、鼻が在る。確かな、人間の顔。

 男が、鏡に映った女の顔を撫でた。節の浮き出た骨の様な、白い指が、冷たく頬の線を辿る。

 其れは、凍りつく音にも聞こえた。硝子の割れる音にも聞こえた。

 女が、男の指を追って、自分の頬に触れる。彼女の頬に傷跡は無く、深く刻まれた皺も無い。けれど、其処には、在るはずのない亀裂があった。

 鏡を注視し、恐る恐る亀裂を辿っていく。顎を伝い、反対側の頬を渡り、蟀谷を通り、額を抜け、再び頬に帰る。顔の輪郭を模る罅。皮膚に重なる膜、少し浮いた面の感覚。

 風を切って、息を呑んだ。男の顔を見ると、いやらしく哂っている。其の笑みで、女は悟ってしまった。

 「あ、あ、あああ」

 短い絶叫を上げて、顔から手を放す。其の拍子に、振れた指が、彼女の顔を、落とした。

 床に落ちた、女の顔。能面のような仮面。恐怖の表情で固まり、引き攣っている。残された女の顔は、のっぺらぼう。

 「ああああああああああああああああ」

 濁った悲鳴を上げて、女は頭を抱え込む。視覚は有る、嗅覚も有る、声も出せるのに、自分の顔には卵の殻に似た皮膚が貼り付いているだけ。陶器を撫でる感覚、人間の顔に有るまじき滑らかさ。振り払った腕が、男の持つ鏡を叩き落とした。机に叩きつけられ、鏡が割れる。机から転がり落ちたグラスに罅が入り、水溜まりを造る。水を浴びた仮面が、滲み、歪んでいく。

 首を振り乱し、周囲を見ても、其の視線が分からない。自分と同じに顔の無い面が、皮膚を被った頭蓋骨が此方に正面を向けている。自分もあれと同じ化け物になってしまったのだ。

 「ほら、此れで普通に成れたでしょう」

 鏡の破片が刺さり、指から滴る血を拭いもせず、男は嗤う。

 ああ、此の男のように、誰もが嗤っているのだ。化け物に身を堕とし、取り乱し、泣き喚く醜い私を、皆笑っているのだ。嗤っている、哂っている、わらっている、ワラっている。

 「お前は、他者が気になって仕方ない。他者を恐れ、彼等の言葉を、口ほどに物言う瞳を、顔の中央にある鼻さえも恐れて、お前は目を瞑ることを選んだ。馬鹿な女だ。他者とは自己の鏡面でしかないのに」

 男の言葉が導火線だったのか、女は徐々に視覚を失い、嗅覚を失い、声帯を失い、聴覚も触覚も、何もかもを失った。

 「自分の鏡写しである他人を怖れて、目を塞ぎ、耳を閉じ、外の世界を遮断した。そして、他人が見えなくなった。其れでも尚彼等を怖れて、其の恐怖は恨みに変化してしまった。彼等への恨みは、自分自身への恨みでもあるのだから、お前が恨みに憑り殺されるのは必然。まあ、尤も、何も聞こえていないだろうが」

 男の靴が、歪んだ仮面を踏み割った。

 店員が水を運んだ先に、客は一人もいなかった。薄幸そうな客が入ってから、人の出入りはない。幻か、夢だったのだろうか。店員は水の入ったグラスを一つ、持っていった。

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