非
僕には自分の姿が見えないのです。
店に現れたのは、骨を思わせる男だった。死人の様に、肌は色味を失い、血の気の無い白。病的なのに、土気色とも、青白いのとも違う。滑らかな陶器とも違い艶は無く、枯れた肌は不気味さも感じない胡粉色。目元だけが嫌に紅く、此の男でなかったら、きっと艶かしく艶やかであっただろう。笑みを貼り付けた、乾いた唇。桜色よりもっと薄い色が、人間らしさを奪っている。
髪は照らされても輝かず、艶は無い。しかし老人の其れの様に弱々しいのではなく、風も無いのに揺らめく様な、だが嗄がれている。月白と称するには色鮮やかな、宵闇と表現するのには色褪せた髪色。
其の目の色は、なんと説明したらよいのだろう。朝焼けの様な、否夕焼けの様でもあり、星の瞬く夜の様でもあった。光の無い暗闇にも似て、硝子玉の煌きの、焦点の合わない瞳。吸い込まれそうな、心を見透かす瞳からは、目を逸らしたくなる。
仕立ての良い暗闇のスーツからは、葉巻の匂いと幽かに死の薫りがする。スーツと同じ黒い鞄は、磨かれた漆の光沢を放つ。何故だろう青貝の細工が見える様な、そんなはずは無いのに。
男は店員の案内を待たず、席に着き、隣に鞄を置いた。確かに奇妙な男なのに、まるで空気の如く誰も彼を気に留めない。
柔らかな橙の灯りに照らされた彼を見ていると、在るはずもない嘗ての懐かしい記憶が脳裏を巡る。若い様で老いており、幼さも感じさせる。歳は分からずとも、人間の年齢を考えるならば、彼が遠い過去を知るはずはない。だというのに彼の影は、説得力を持って歴史へ誘う。
小さく上がった男の口角は緩やかに三日月を描き、猫の様に喉を鳴らす。何が可笑しいのか、彼の目前に座す客には分からない。塵芥の不快感が、心臓に積もる。
「お待たせしてしまったようで」
謝罪を感じさせない声が、空気を揺らした。僅かに掠れた声質は、貝殻から波の音を聞いているようで、鈍痛の様に体躯に響く。
男の言葉を受けて、客は首を振った。
男は卓上に一つしかない水を飲み、唇を舐めた。流砂がオアシスを飲み込むのに似ている。
机に置かれた手は、骸骨の其れと酷似していた。しかし決して不健康さは感じさせず、寧ろ其れが気味悪い。
「悩んでいるのだと」
そうしてまた、客は首を振った。
私には他人の姿が見えないのです。