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第9話

千恵美がアルバイトの採用面接に訪れた場所は、

新宿から地下鉄に乗って3つ目の駅から

さらに、歩いて15分のところにあった。


それほど新しくもないけれど、

かといって古びた印象までは与えない、

7階建てのこぢんまりとしたマンション

(もしくはアパート)の5階にある一室だった。

オフィスとは思えない、その外観に、

一度気持ちが怯みかけたけれど、

玄関のドアが開いていて、

中に千恵美と同じくらいのアルバイト風の女性が見えたのと、

一応、表札に大きくその会社の名前が書かれていたのとで、

千恵美は中に入った。


「失礼します。あの…」


なんと言えばよいのか、迷いながら口を開いたところで、


「ああ、アルバイト希望の学生さん?」


とひょっこり奥から顔を出した男性は、

千恵美たちとそう変わらない年齢に見える痩せ型の男性だった。


「はい」


まっすぐに見つめる彼の視線が強くて、

千恵美は、それだけ答えて思わず視線を奥へ移した。

おそらく1DKくらいの間取りになっているのだろうか。

それほど広くない部屋をパーテーションで幾つかのブースに区切り、

事務所として使用している様子だった。


「それじゃ、こちらへどうぞ」


2DKか…

千恵美は頭の中で、修正した。

まっすぐだと信じていた壁は、奥で大きく曲がっていて、

もう一部屋あることが中に入らないとわからない構造だった。


通された応接室と思しき部屋は、

壁際に置かれた3つの棚と

ソファとテーブルの簡素なセットだけでいっぱいだった。

棚には、書類が袋に入ったまま並べられているのが目立ったが、

その奥には百科事典のような装丁の本が冊、並んでいた。

背表紙に「人名年鑑」の金色の記載があるのが読めた。


「じゃ、ここで待っていて。

 社長、呼んでくる」


そう言うと、男性はすっと部屋を出て行った。


「社長…」


ここは会社だったんだ、と心で呟いて千恵美はマジマジと周りを見回した。

千恵美のイメージする会社とは、スーツ姿の従業員が何十人もいて、

大きなビルで、一人ひとりにデスクがあるオフィスだった。


こういう手狭な場所で、私のようなバイトを雇い、

赤の他人の冠婚葬祭にそのバイトを派遣する。

こういう仕事も会社として成り立つのか、と

不思議な気持ちでいたのだった。


「おまたせ」


そう言って入ってきた男性も、先ほどの男性と

それほど変わらない印象の持ち主だった。

同じように痩せ型で、こちらはメガネを掛けていた。

そこからは、優しそうな目が覗いていた。


「えっと、君は…」


バインダーに入った手元の書類に目を落とし、

どうやら千恵美の名前を探している。


「細川千恵美です」


千恵美は自ら名乗った。


「ああ、えっと、A大学の2年生だったっけ…」


「はい」


社長の手元には、バイト希望者のリストがあるのだろう。

バインダーの中ほどのラインに

ペンで、何かを書き入れていた。


「ああ、お友達の紹介ね。

 じゃあ、おおよその話は聞いてるよね?」


「はい‥」


「バイトの動機は?」


「自由になるお金が欲しくて…」


「ふうん。今、自由にならないお金しかないんだ?」


あっと、思って、千恵美はうつむいた。

優しそうで、大人しそうな印象を与えるこの雰囲気に油断して、

余計なことを言ったような気がした。


「いや、別にさ、身辺調査をしようっていうんじゃないんだよ。

 だから、正直に答えてくれたら、それでいいよ」


彼の言葉は、何となく、人を安心させる響きを持っていた。

初対面にも関わらず、千恵美はすでに、警戒心を持っていなかった。


「何に使うの?」


「友達と、夏休みに旅行したいんです」


「ふうん。そっか。

 どこ行くの?」


「沖縄か、北海道…」


「それは確かにお金がかかるね。

 親に内緒で行くんじゃ、尚更だ。

 じゃ、頑張って稼がないとね。

 目標額は?」


「10万円です…」


「そっか。じゃ、5回はやらないとだね。

 バイトがこれだけだったら、だけど」


「これだけで行こうと思ってます」


千恵美は思わず、言ってしまった。

社長は、ふふふと笑った。


「まあさ、1回やってみて、

 それで決めたらいいんじゃない。


 向き・不向きがあるから」


「向き、不向き?」


「ああ。

 やってみたら分かるよ」


長い前髪を、長くて細い指先で掻きあげた。

それが、どうやら彼の癖らしい。


「で、もちろん、このバイトは親には秘密?」


「は、はいっ。もちろんです」


「ふふふふ」


社長は笑った。

その笑顔が、なんだかとてつもなく優しく思えて、

千恵美はつい口を滑らせた。


「…うち、母親がうるさいんです。

 すごく、私を自分の思う通りにしようとして‥」


「きょうだいはいるの?」


場違いの会話のような気がするけれど、社長は柔らかく先を促した。


「はい。

 弟が一人、いるんですけど、

 こっちは、本当に自由奔放で。

 母親もあまり、弟のやることには口を出さないんです」


「ふうん」


「正直、弟ができたときは、本当に嬉しかった。

 もう私が5歳になっていたというのもあるんだと思うんですけど、

 母親の関心や期待が弟に移ってくれるんだと、

 寂しいよりも、ホッとした、みたいな感じがあって…」


私は何をしゃべっているんだろう。

なんだか、いつも大学で見せている自分とは違う自分でいることを

千恵美は自覚した。

この人の前だと、自分のことをもっとしゃべりたいような気分になる。


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