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第7話

藤原は、一度、遠くを見るような眼差しをした。

それから、静かに息を吸って、吐いた。


「先生。

 三峰みつみねのこと、覚えていらっしゃいますか?」


槇村は、一瞬、眉を上げたけれど、

殆ど表情を変えずに「ええ、もちろん」と答えた。


「先生のゼミで一緒にお世話になりましたが、

彼とは、その後もずっと友人として付き合ってきたんです。

 10年前までは…」


それだけ言うと、目を閉じ、辛そうに眉間を寄せた。

槇村は黙って、続きを待った。


「先生。

僕は、一生をかけても許されない傷を彼に与えました。

 この10年、僕は、そのこととどう向き合えばいいのか分からず、

 苦しみ、もがいてきたのです。


 でも、気がついたんです。

 苦しみ続けることだけが、僕にできる唯一の償いだと。

 だから、僕は一生、

この十字架を背負っていきていくと覚悟するつもりです。

 今日は先生に、その証人になっていただきたくて、

ここに来ました。

先生。どうか、お願いします」


「ちょっと、いいですか?」


思い詰めた様子の藤原を制するように、

ゆっくりと片手を上げて、槇村は彼を見つめた。

そして少し、間を置いてから、穏やかな口調で言った。


「三峰君と藤原くん。

 懐かしいですね。

二人は、共に優秀な学生さんでした。

 もう、十年以上も前のことですから、

正直、細かいことは忘れてしまいましたが、

二人が、とても精力的に勉強し、

時には、激しくディスカッションをして

研究課題を見つけていった学生さんだったことは、

今でもはっきりと覚えています。


あれだけの熱量をぶつけ合えた仲間なら、

きっと、生涯続く友人になると誰もが予測したでしょう。


で、その通りになったわけですね」


藤原を見つめる槇村の眼差しは、どこまでも穏やかだった。

藤原は、黙って、その瞳を見つめ返した。


「卒業してからは、一度も彼の顔を見ていなかったけれど、

印象に残っている学生というのは、一生忘れないものです。

 例え、直接会うことがなくとも、ね。

 

 そして、時々、思い出しては『今、どうしているか』と

 色々と思いを巡らしてみるのです。

 あなたがたも、同じでしょう?

 

 離れていても、たとえ連絡をとっていなくても、

 相手は自分の中で生きている。

 そして、その時々で何をか、私に影響を与えてくれている」


藤原は、槇村の言葉の意図を読み取ろうと、

真剣な表情で身動みじろぎもせず、耳を傾けた。


「あなたと三峰君の間にある絆は、

 きっと強いと僕は思っています。


 あなたは同級生である彼を尊敬していたし、

 彼もあなたに一目置いていた。


 そんなあなた方が、修正不可能な仲違いをしたとは

 とても、信じられないのです。


 一体、何があったというのです?

あなたの誓いをお聞きするのはその後にしませんか?」


「僕は…、・・・僕は…」


みるみるうちに藤原の目が潤み始めた。

槇村の記憶では、彼が涙を見せたことはなかった。

というより、どちらかと言えば、感情を見せないのが

藤原という学生のスタンスだと理解していた。

特に、負の感情を見せることを嫌っているように記憶していた。


槇村は、微笑した。


「藤原君。

 僕を思い出し、頼ってきてくれてありがとう。

 教員というものは、通過点に過ぎないことを自覚しながらも

どこかで、学生の人生に自分が影響していることを

確認したくなる生き物なのだよ。

そして、教育者たるもの、

いつまでも学生にとっての道標でありたいと願うものなんだ。

だからこそ、いつ、何時なんどきであっても

一番の理解者でありたい。


 だから、遠慮はいらない。

 話してくれないか?

 

君が、僕を選んでくれたことに報いたい」


「先生…」


藤原の頬に、涙が一筋、伝って落ちた。


一度、深呼吸をしてから、藤原は口を開いた。


「あれは、僕が35歳の時でした。

 第一志望の大手企業に勤めることができた僕は、

 とにかく、寝る間も惜しんで働いていました。

 すでに、給与は年収で1,000万円を超えていて、

同期入社の中でも比較的早く昇格していて、

エリートコースを進んでいたと思います」


「素晴らしいじゃないですか。

 さすがですね」


槇村は素直にほめたが、藤原は激しく首を振った。


「いいえ。

 何一つ、素晴らしいことなんてありません。

 僕がしていたのは、ただただ上司の課すノルマを

 何の疑いもなくこなしていただけなのですから」


藤原は、そこで一つ、溜息をついた。


「僕は、一体、先生から何を学んできたのでしょう。


 目の前の現象をよく見るためには、

まずは自分が見ていると思っていることを疑うこと。

 先入観を自覚し、そうではない見方ができないかを探索すること。

 そのために、仲間をもつこと…


 あれだけ、ゼミで考える力を鍛えてきたのに、

 僕が社会に出て10年以上もしていたことは、

 利潤を追求する会社のいいなりになることでした。

 

 上司から認められ、給料を増やし、

 贅沢な暮らしをする。


 それに何の疑いももたずに、ただただ、走ってきたのです」


「藤原君。

 それが、何故いけないのです?


 僕は、確かに、目の前の現象を疑えと教えました。

 けれど、それは、反体制になれといっている訳ではないのですよ」


藤原は、さらに、大きく首を横に振った。


「いいえ。

 大事なものを見失っていたんです。


 いいなりになった上司の、会社のやっていることに目をつぶり

 ただ、己の保身と出世のために魂を売り渡してきたんです」


そう言うと、両手で頭を抱えこんだ。


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