第6話
「おはよー」
言いながら、部室の扉を開けると、
そこにはいつものメンバーがいた。
「おはよ。
って、もう昼じゃん」
週刊漫画誌を読みながら、ミノルは目線だけこちらに向けて
ぶっきらぼうに答えた。
その脇で、陽子とトオルが「オハヨ」「オソヨ」と笑顔で答える。
千恵美は、部屋の真ん中に鎮座する机の上にショルダーバッグを置いた。
「授業は?」
「朝だけ」
陽子は、ミノルとトオルを一瞥すると、
幾分声を潜めて、
「ねえねえ、例のバイトの話だけど、引き受けてくれるよね?」
とおもむろに切り出した。
「うーん。
アタシ、別にお金に困ってないし」
千恵美は、バッグの中からスマホを取り出しながら、
陽子を見ずに、答えた。
「そう言ってもさ、
千恵美のママ、レシート要求すんでしょ?
本当の意味で、自由になるお金ほしくない?
っていうか、お金なんて幾らあってもいいじゃん」
そう言うと、陽子は立ち上がり、
千恵美の前で旅行雑誌を拡げて見せた。
「ね。
トオルたちとね、今度の夏休み、
沖縄か北海道に行こうって言ってるの。
こんな素敵なリゾートホテルに泊まりたくない?」
千恵美は、ゆっくりと顔を上げたて、
その雑誌に目をやった。
見開きになったページには、左右に大きく今話題のホテルが
それぞれ絶好のロケーションにあることが分かる絶妙なアングルで映っていた。
左側には、まるで海外にでもあるような豪奢な真白い洋館が
海の青とハイビスカスの赤とのコントラストによって美しく彩られ、
右側には、広大な高原を思わせる緑に浮き立つように、
高くそびえ立つ近代的なビルが、
掲載されていた。
千恵美は、雑誌を受け取ると、
そのホテルに泊まるツアー代金のページをめくった。
8月中の出発日は、交通費込で10万円以上しかなかった。
そっとミノルに視線を移した。
ミノルは、その端正な細面の顔を微動だにさせず、
漫画を読みふけっていた。
「ね、初の旅行なんだし。
おもいっきり遊びたいでしょ?
バイトなんて言っても、
大した仕事じゃないし。
1回、2,3時間?
結婚式だったら、フルコース付きよ?
それで、1万円稼げるんだからさ。
ってか、もっと稼いだ子もいるって」
「今時、大した仕事じゃないのに、
そんなに割のいいバイトなんて、ちょっと怖いわ。
そんな美味しい話、危ないわよ」
「大丈夫だって、
知り合いの紹介なんだから。
割がいいのも、口止め料が入っているからよ。
その代わり、ほら、怪しい素性の人にはさ、こういうの頼めないでしょ?
だから、割りと優秀な大学の学生にさ、
口コミでこういうバイトの依頼が来るのよ。
名門大学のお嬢だからこそ、単価が高いって考えれば、
そんな怪しいバイトじゃないじゃん」
千恵美は黙った。
今度はトオルが口を開いた。
「いいじゃん。もう夏も終われば、就職活動もしなくちゃなんねぇし。
そうなったら、なかなか4人で時間合わせんの、ムリだろ?
いいよな、女子は、楽チンして稼げるしよ。
俺たちは、俺たちでバイト計画立ててるんだぜ。
なぁ、ミノル?」
「・・・ん?
ああ・・・」
ミノルは全く愛想のない生返事をした。
トオルは苦笑しながら「ミノルは相変わらずマイペースだな」と
呟いて千恵美に向き直ると、
「人生、何でも勉強じゃね?
箱入りムスメの千恵美が、色んな意味で大人になれるチャンスじゃん」
と意味深な笑いをした。
千恵美は、
「箱入り娘なんかじゃないわ。
現にこうやって、授業だってサボっているじゃない」
と、怒ったように言い返した。
「わーってるって。
だからさ、たかが、バイトじゃん。
夜遊びもできない千恵美ができる高収入バイトを
折角、陽子が見つけてきたんだから。
活用しない手はないんじゃね?」
「そうよ。
私だって、やるんだから。
千恵美にだって、できるわよ」
ここまで言われて、引ける千恵美ではなかった。
バイトの話は適当に流して、
何とか旅行にはお小遣いを溜めて行くつもりだったけれど、
10万円に滞在中の経費を考えると、
とてもじゃないが、そこまでの出費を親に隠れてすることはできなかった。
千恵美は、何となく、心の中に引っ掛かるものを感じながらも、
「分かったわよ」と返事をした。
「それじゃ、先生。
午後の授業に行ってきます」
12時50分。
奈々未は、コーヒーカップを手早く洗うと、
二人に向き直り、お辞儀をしてから部屋を出た。
「ああいう真面目な学生を見ると、少しホッとするのは歳のせいでしょうか」
藤原は、遠い目をして部屋のドアを見つめたまま言った。
「何を言うんです?
藤原くんは、今も十分若いですよ」
「いえ。
もう、若いとは言っていられない年齢です。
だからこそ、そろそろ、自分なりの責任を取ることで
次のステージに上がらなければなりません」
応接セットのテーブルの上で、
カチャっとティーカップがソーサーにぶつかる音がした。
槇村は、自身のマグカップを研究机にゆっくりと戻しながら
「藤原君。
そろそろ、用件を聞こうか?」
そう言って、ソファに座る藤原の顔を見つめた。
静かな、でも、力強い声だった。