第三話
コノ ステキナ ブラウスハ チエミノブラウス・・・
奈々未の頭の中で、この事実がグルグルと回り続けた。
その時の気持ちは、正直、今でも一言では表現できない。
同い年の同級生からお下がりをもらう屈辱?
同じ住宅地に住みながら、生活レベルの違いを見せつけられたことへの嫉妬?
娘がこんな気持ちになるなどと考えもせず、そのブラウスを譲り受けてきた母への怒り?
それとも、
そのブラウスを一度でいいから着てみたいと思う自分への呆れ?
様々な葛藤を抱えたまま、結局、奈々未は、そのブラウスを着て発表会を迎えた。
そして悪夢が起こった。
その発表会を開催したピアノ教室に通っていたのは奈々未だけではなかった。
いつも地味な服装の奈々未が、
発表会で気の利いたブラウスを着ていたことに、注目した同級生がいた。
彼女は、いわゆる広告塔だった。
日常の出来事から、噂話まで、
ネタを作っては、おしゃべりするタイプだった。
そして、その発表会の集合写真を持参し、
奈々未のブラウスのすばらしさについて、頼みもしないのに語ったのだ。
その同級生に悪意があったかどうかは分からない。
発表会に素敵な服装をしていたと、
ただ素直に褒めたかっただけなのかもしれない。
けれど、そのブラウスは、千恵美にとってもお気に入りだったらしい。
賞賛を受け、戸惑う奈々未の目の前で、
千恵美は、言ってのけた。
「それ、本当は私のブラウスよ」
良く通る、その声は、教室の隅々まで行き渡ったように思えた。
一瞬の静寂があったように記憶している。
その沈黙を破ったのは、屈託のない質問だった。
「えっ?そうなの?
なんで、ナナちゃんが着ているの??」
千恵美もまた、屈託なく答えた。
「私があげたの。
だって、ママが、かわいそうでしょって。
それあげたら、新しいの買ってくれるって言ったから・・・」
「すごーい、
チエちゃん家って、お金持ちなんだね~」
その後の記憶が、奈々未には無かった。
気がついたら、家にいたような気がする。
ただ、あのブラウスを着て発表会に出たことを
猛烈に後悔したことだけは今でもはっきり覚えている。
どんな格好したっていい。
もう二度と、他人から憐れみなど受けないように生きよう・・・
「奈々未、じゃ、私、これからサークルに行ってくる」
あの頃と同じように、高価なブラウスをおしゃれに着こなして、
千恵美はランチのトレーを持って、立ち上がった。
はっと我に返った奈々未は、慌てて千恵美に笑顔を向けた。
「そう。
行ってらっしゃい・・・」
バイバイ、とにっこり手を振って、颯爽と立ち去る千恵美を
同じくトレーをもって席を探している最中の男子学生が振り返る。
確かに、彼女には華がある。
美人なだけでなく、スタイルだって、身のこなし方だって・・・
そこまで考えて、奈々未は肩をすくめた。
いけない、また悪い癖が出た。
「さ、なるべく関わらないようにしよう」
そうつぶやいて、午後の授業へと向かった。
「人間科学部」と称するその学部に通う奈々未は、
理系とも文系とも言い切れない科目を必修単位として取得する必要があった。
特に、明確な将来の希望があった訳ではない。
女子にしては、数学が得意なことと、
できれば、少しでも偏差値が高い大学へ進学したいと思ったことが
その大学のその学部を選んだ主な理由だった。
まさか、女子アナを目指し文系女子を自任している千恵美が
推薦入学で同じ大学に入学する予定だったとは、夢想だにしていなかった。
中学入学と同時にクラスが離れ、
お互いに違う仲間とグループを組んで生活していたため、
殆ど、接触することが無かったのだ。
ただ、小学生も高学年になると、
千恵美のような子どもは、当然、私立のお嬢様学校に
中学校から入学するものだと、漠然と思い込んでいた奈々未にとって、
まさか、中学も高校も、そして大学までも同じ学校になるなどということは考えもせず、
不思議といえば、不思議だった。
ちなみに、彼女は「文学部」で英分学を学んでいるはずだ。
高校時代から英語を磨くのだと、
毎年、夏休みにホームステイをしていたと聞いている。
英会話の実力については、知るよしも無かったけれど、
奈々未の母親情報によれば、
彼女より彼女の母親が彼女を「英語の話せるアナウンサー」にしたいと
望んでいるようだった。
「あそこの家は、母娘で一心同体だから・・・」
奈々未の母親の口癖だ。
我が家は、早々に子離れしてくれる母親で良かった。
と、奈々未は、最近、思うようになっていた。
どんな人生も、自分で切り開かなければならない。
だからこそ、自分の頭で考えて、自分の言動に責任をもてる大人になれ。
それが、奈々未の両親の教えだった。
高校までは親の責任と、
卒業後に、大学を選ぶのも、進路を選ぶのも、
好きにすればいいと言ってくれている。
そろそろ2年生になる奈々未は、進路を考える最近になって、
その考え方がいかに大事かを考えるようになった。
私の人生は、私のもの
そう思うことで、今を大事にしなければならないと思える。
「さて、午後は社会学か・・・」
マルクス主義についての講義だった。
今の社会構造を理解するために、経済学者であるマルクスを学ぶ。
高校にはない大学の講師の発想は、奈々未にとって刺激的だった。
奈々未は、足取りも軽く、講義棟へと向かった。