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第20話

午後の授業はスルーして、新宿のビルの前に立った時、

腕時計の針は午後2時30分ちょうどを示していた。


バイトの雇用主に会うためだけに、

半ば衝動的に大学からここへ向かったけれど、

いざ、会うとなると、多少なりとも緊張を感じた。

どうやって切り出そうか、うまい理由をどう説明しようか、

頭の中で必死にシミュレーションしていた。


「あれぇ、奇遇だねぇ」


後ろから、自分に向けられた男の声に、

千恵美はビクッとしながら振り向いた。


「やあ、こんにちは。

 えっとぉ、植松さん、でよかったっけ?」


人懐こいその笑顔は、初対面の人間のおよそ9割を笑顔にするだろう。

忘れもしない、その笑顔の主は納屋と名乗っていた同じバイトの男性だった。


「植松」というバイト用の名前に執着があるわけもなく、

すでに忘れかけていた、その名を呼ばれて

大きな違和感を覚えながら「は、はい。そうです」と答えた。


「納谷さん、でしたよね?

 今日は、どうされたんですか?」


「どうしたって、君こそ、どうしたの?」


「あ、いえ…」


「俺はさ、バイトって言っても、優也のダチでさ。

 まあ、だから、優也に会いに遊びにきたんだ」


平日の昼間に「遊びに」来ることのできる彼の本職は一体何なのだろうと

一瞬、興味を惹かれなくもなかったけれど、

千恵美はそれには触れないことにした。

そんなことは、もう関係ない。

今日で、この人とも、岸田「優也」社長?とも、

もう会うことも無いのだから。


「私は、ちょっとその社長にお話があって…」


「ふーん。もしかして、もう辞めちゃうって?」


「えっ!?」


「図星かぁ。

 なんだ。もうちょっと根性あんのかと思ってたけど」


納屋は意地悪く、片側だけ口角を上げて苦笑いして言った。


「べ、別に、あなたには関係ないでしょ!

 それに、これは根性があるとか、無いとか、そういうのと違うわ。

 ただ、私には向いていないって思っただけよ」


「そっか。そりゃ、そうだ。

 俺の知ったこっちゃないよな。

 けど、何か金を稼ぐ必要があってここに来たんでしょ?

 それ、たった1回で達成できたわけ?」


「な…」


「割のいいバイトだから来たってことはさ、

 当然、10万とか20万とか稼ぎたくて見つけたんだろ?」


「・・・・」


黙るしか無い千恵美を見て、納屋は「ふっ」と笑った。

顔の造作つくりのせいか

今度は、なんだか優しそうな笑顔に見えた。

けれど、次の一言はとてもじゃないが、優しさとはかけ離れた言葉だった。


「だから、根性なしだっつうんだよ。

 いいか?

この世の中に、そんなに都合よく稼げるバイトなんて

 あるわけねーだろ?


 このバイトの何が気に入らないわけ?

 依頼して金払っている方も、それで良いっつってんだしさ、

 誰が傷つくわけでもない。


 たかが1回で辞めるのもったいないじゃん」


千恵美は、なんだか、肩から力が抜けるような気がした。

私は一体何をやっているんだろう…

自分がなんだか頼りなく、不甲斐なく思えて、

泣きたくなった。


「べ、別に、あなたの知ったことじゃないわ。

 何だって、こんなにお節介なのよ。

 さっきから言ってるけど、あなたには全く関係ないでしょ!」


このまま黙っていたら、全ての力が抜けていくような気がして、

千恵美は、残りの力を振り絞って納屋に反撃を試みた。


「ふふっ。

 確かに、そのとおりなんだけどさ、

 でも、アンタみたいなガキを見てたら、

 なーんか、放っとけないっつうか、

 構いたくなっちゃうっていうか」


「『ガキ』って何よ、あなただって大して違わないでしょ!」


言いながら、論点がズレていることに気づいたけれど止められない。

とにかく勢いが必要だった。


「あれ?

 俺の年齢言ってなかったっけ?

 俺、もう30過ぎのおっさんよ」


「ええっ!?」


今度は意表を突かれて、口を大きく開けて驚いた。

何がなんだか良くわからない気分だった。


彼の、小ぶりな丸顔と下がった眼尻は

どう見たって、20代前半にしか見えない。


「何だかなぁ。

 男が童顔ってのも、いいんだか、悪いんだか」


納屋は不服そうに、そう呟いた後、


「で?

 どうすんの?辞めるの?辞めないの?」


と本題に戻したところで、

千恵美の瞳を覗き込むように、顔が近づいた。

じいっと見つめているその目は、まっすぐで、力強かった。


「と、とにかく私、社長に会ってきます」


千恵美は、その眼差しから逃れたくて、

納屋に背を向けた。


「何だよ。

 決められねぇのかよ」


追い打ちをかけるように、納屋の声が背中に刺さる。


「アンタさ、誰かに何か言われたんだろ?

 それで、ムキになってここに来たんじゃねえ?」


また、図星を刺される。

千恵美は立ち止まることしかできなかった。


「始めるのも、誰かに言われた?

 んで、辞める時も、誰かに言われて?


 一体、これまで、自分で決めたことあったのか?

 そんなんで、大丈夫かよ」


千恵美の中で、何かが弾けようとした時、


「おい、アキ。

 若いいじめんの、そこまでにしとけよ」


階段の上から、静かだけど、よく響く声がした。


「優也…」


アキと呼ばれた納屋は、そこに現れた姿を見て、

彼の名前を呟いた。


「俺に用事があるんだろ?

 どうぞ、こちらへ。


 アキはさ、悪いけど、後で電話するから。

 他所よそで待っててよ」


岸田は納屋に向かって、笑顔で親しそうにそう言うと、

千恵美にもう一度、「どうぞ」と声をかけ、

事務所の方へと、また階段を昇っていった。


千恵美は、慌てて、その後を追った。


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