第二話
奈々未と千恵美のつきあいは、生まれた時から始まっていた。
というのも、2日違いの二人の誕生は、同じ病院だった。
その病院は、近くの新興住宅地の住民が主に利用する市立病院のため、
そこを利用する患者や妊婦たちは
いわゆる「ご近所さん」である確率がおのずと高くなるのだ。
奈々未の母も、千恵美の母もその郊外の住宅地に建てたマイホームで暮らすため
市外から転入してきた移住者の一人だった。
当然のことだが、その購入方法は様々で、
長期にわたりローンを組むのが一般的だったが、
ごく少数、現金で即買いする少数派もいた。
ちなみに、奈々未の両親は前者で、千恵美の両親は後者だった。
あれは、小学2年生の時だった。
唯一の習い事として奈々未が通っていたピアノ教室は、
年に1回、発表会を定期的に開催していた、
小学校入学と同時に習いはじめた奈々未にとっては2回目の参加となるが、
1回目の経験から、奈々未は少し憂鬱だった。
多くの見栄の張り合いが、そこでなされることに
気づいてしまったからだった。
「ナナちゃんは、何を着ていくの?」
今一番の悩みを言い当てたのは、千恵美だった。
奈々未は千恵美の部屋で佐知子という近所の子どもと談話していた。
時々、千恵美の母が開くお茶会なるものに
近所付き合いの一環として奈々未の母親は参加していた。
今回も、それで奈々未は否応なく千恵美の家に遊びに来ていたのだが、
他の参加者の子どもは男児か、年長者で、
同い年の二人に一番近いのは、ただ一人、1歳年上の佐知子だけだった。
「うー…ん、まだ決めてない…」
奈々未は、俯きがちに答えた。
「そうなんだ」
「そういえば、みーちゃん」
佐知子が、大人を真似した仕草でティーカップをテーブルに戻しながら
千恵美に話しかけた。
3人になると、千恵美の呼び名は本人の希望で「みーちゃん」だった。
あだ名に頭文字を取るのが多い中で、なぜそうなのかは不明だった。
「この前のバイオリンの発表会のドレス、
素敵だったよね~」
佐知子がすかさず千恵美を褒めた。
お茶会の度に繰り広げられるそのパターンに
最近の奈々未は、嫌気がさしてきていた。
千恵美は2歳の頃からバイオリンを習っていて、
奈々未同様、1年に1回の定期発表会を経験していた。
けれど、奈々未は千恵美の発表会には1度きりしか参加したことがなく
それは昨年ではなかった。
「ふーん、そうなんだ‥
みーちゃんはいいね。
素敵なお洋服、いっぱい持っているもんね」
奈々未は、それでも素直に千恵美をほめた。
「ううん、そうでもないよ。
最近は、ママ、不景気だって、そればっかりでね、
あまりお洋服、買ってくれないの。
だけど、発表会は特別。
だって、年に1回しかないんだから」
その「年に1回」だけでも準備できない家庭なのだということを
思い知らされているような気分になり、奈々未は黙った。
「そうだよね~
年に1回の発表会くらい、
ドレス着て、出たいよね~」
佐知子が大きく首を縦に振って賛同した。
いつもだったら、気にとめず、
次の話題に切り替えるところだった。
けれど、すでに奈々未の中に憂鬱は蓄積しはじめていて
その日、奈々未は聞き逃せずに居た。
「そりゃ、ドレス、買ってもらえるおうちの子はいいわよ。
だけど、世の中には、
買ってもらうのが、難しい子どもだっているんだよ」
奈々未は、いつになく、大きな声で反論した。
その途端、何とも気まずい空気が流れた。
千恵美は表情を固くし、佐知子はおろおろと千恵美の様子を伺っていた。
すぐに、奈々未は猛烈に反省した。
「ごめん。
大きな声、出して。
私もね、もちろん素敵なドレス、着たいんだ。
だけど、ちょっと、うちは難しそうなの。
だから、このお話、終わりにしよ」
奈々未はそう言って謝ると、
「で、昨日のテレビ、見た?
オオヤマ ハルカ、面白かったね」
最近、小学生の間で話題のお笑い芸人の名前を出し、話題を変えた。
それに応えるように千恵美はにっこり笑って、
「うん。そうだね。
あのハルカのさ…」
と、次の話題に乗り、
佐知子もそれに同調する形でその場は何事もなかったように
また時間がゆったりと流れ始めた。
それから1週間後のことだった。
奈々未の母は、少し遠慮がちに、
嬉しさと困惑が綯い交ぜになったような複雑な表情で、
奈々未を居間に呼んだ。
「なあに?お母さん」
奈々未が母の前に座ると、
「これ、いただきものなんだけど…」と言いながら、
フリルのたくさん付いた1枚のブラウスを拡げた。
そのブラウスは滑らかな光沢を放っていて、
胸元と袖にあしらわれたフリルが豊かに波打っていた。
「凄い!
素敵なブラウス!!!」
奈々未は、初めて見る、華やかなブラウスに心を踊らせた。
「でしょ?
発表会には、これに、
入学式の時に買ったスーツのスカートを合わせたらいいと思うのよ。
お母さんのコサージュもつければ、どう?
発表会用のドレスアップになるんじゃないかしら」
「お母さん…」
ローンの繰り上げ返済に、ピアノの購入、弟の誕生もあって、
何かと物入りな状態にあることを奈々未は子どもながらに理解していた。
そして、「もったいない」と何でもすぐには買おうとしない母の姿勢も、
大事なこととして理解していた。
だからこそ、わがままは言わないようにしてきたのだ。
けれど、やはり、周りの子どもたちと同じように綺麗な格好ができることは
もちろん嬉しかった。
奈々未は、そのブラウスを手に取り、
うっとりと見つめながら、自分がそれを着て舞台に立つ姿を想像した。
そんな奈々未に遠慮がちに母は、言葉をつなげた。
「ただね、それ、千恵美ちゃんのお下がりなの」
「え…?」
その言葉は、衝撃となって奈々未に届き、
彼女の思考は、一度、そこで停止した。