第18話
「疲れた?」
「はい…」
夕刻の日曜日にも関わらず、背広姿のサラリーマンと思しき男性が
足速に通り過ぎていく人波が途切れたところで、
納屋が口を開いた。
納屋という名前は偽名に違いなかったけれど、
本当の名前を聞いた所で仕方がないような気がした。
「ふふふ。
最初の威勢はどこにいったのって感じだね」
「『最初の威勢』…!?」
「上手なメーク、自分の魅力をよくわかっているなって感じの
ドレスの選択、完全に武装して敵地に乗り込んでいたように見えたけど」
「えっ!?
あたし、そんな感じ??」
千恵美は慌てて納屋を見つめた。
「へぇ、本人にその自覚なしか。
だけど、だからこそ、君がアルバイトの子なんじゃないかって
そう思えて声かけたんだよね」
「えっ…」
「初めてのバイトの子はさ、
やっぱり何だかんだと緊張するみたいで。
失敗させないために、経験の長短織り交ぜて配置する必要があるんだ。
優也はそういう配慮、得意だから」
「ユウヤ…」
千恵美は、その名前がこのバイトの雇用主の名前であることを
瞬時には思い出せなかった。
「岸田優也。会ったんだろ?」
「え、ええ」
納屋の顔を見つめたまま、昼下がりの柔らかな陽射しが降り注ぐ
マンションの一室を思い出していた。
なんだか、遠い昔のような気がする。
「優也はね、さり気ない気配りがうまいんだ。
俺も、あんな素質があればね」
あれば、どうしたというのだろう。
千恵美は、なんだか急に不安を覚えた。
「大丈夫?
何か、顔色悪いけど」
「だ、大丈夫です」
即答して、視線を外した。
早く、帰ろう。
千恵美は、歩みを速めた。
「納谷さん…でいいですか?」
「あ、俺?
ああ。それでいいよ」
「じゃあ、納屋さん。
このバイト、長いんですか?」
「ん。まあまあね」
「嫌になったりしませんか?」
「嫌になる?」
「ええ。
だって…」
言いかけて、言葉に詰まった。
何が嫌なんだろう。
何で、こんなに不快なんだろう。
胸に渦巻く感情は、ドロドロと何色かわからない色が入り混じっていて
うまく言葉にする自信がなかった。
「君はさ、恵まれているんだよ」
「は?えっ?」
意表を突いた納屋の言葉に、またも言葉が詰まり、
千恵美は立ち止まった。
2歩先に進んで、納屋は振り返った。
「素直に、自分の感情を出して生きてきたんだろ。
だから、作り物の世界に違和感がある。
ちがう?」
「・・・」
「でもさ、考えてもみてよ。
この世の中、そんなに正直に生きられるものかな。
誰もが、それぞれに他人には言えない思いや考えをもっていて、
それを隠して生きてんじゃん?
つまり、見せたい自分を演出して、
みたいところだけ見て生きてんじゃないの?
だとしたら、世の中、そもそも作り物でさ。
ってか、結婚式なんてのは、もともとそんなものだろ?
非日常的なドレス着て、メイクして、
来客は綺麗事しか言わなくて。
良い父、良い母、いい娘、いい息子演じてさ。
参加者の一体誰の心に届くっていうんだ?
参加者だって、そんなこと、百も承知だろう。
たっかい金払って、知りもしない相手の話を聞いて、
せめて、うまいメシでもって、そこに座ってるだけだろ?
だったら、バイトがそこにいたって構わない。
誰を傷つけるわけでも、誰を貶めるわけでもないんだから。
そんなことにも気づかないような、君もお嬢ちゃんじゃあないように思うけど」
千恵美は、うつむいた。
違うと大声で言いたかったけれど、
自分の目にピンクが飛び込んできて、やめた。
目に映ったのは、非日常を彩るためのピンクのドレスだった。
一体、私は何に傷ついているんだろう。
一体、何に腹を立てているんだろう。
不意に、涙がこみ上げてきそうになった。
別に泣きたいわけではないはずなのに。
言葉にならない感情で胸がいっぱいになると、
人は泣きたいような気持ちになるのかもしれない。
けれど、絶対にこの男の前でなんか泣くもんか。
そう思った千恵美は、
せめて今は涙を抑えるために、
笑顔をつくるしかできなかった。
「ええ。その通りよ。
別に、何とも思ってやしないわ。
さあ、行きましょう」
そう言って、胸を張って駅に向かった。
納屋と名乗る男の、その表情は見なかった。




