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第14話

「先生は、よくここにいらっしゃるんですか」


沈黙が落ち着かなくて、私は尋ねた。


「ああ。

 毎週、非常勤で大学に顔を出した日は、ね。

 殆ど欠かさず、かな」


「そうなんだ…」


「何?意外?」


先生は、お絞りで手を拭きながら、私を見た。

その横流しに向けられた視線に、ドキンと小さく心臓が一つ鼓動を打つ。


「い、いえ…

 その…だから、女将さん?があんな風に呼んだのかなって」


私は、幾分、慌てて答えた。


「あれ?

 何か、特別な呼び方したっけ?」


先生は、全く気づいていないのか、不思議そうに小さく首を傾げた。


「だ、だって、『たっちゃん』って…」


「ああ、彼女、そんな風に呼んでたかな」


「呼んでいました」


私は、きっぱりと答えた。


「ふふふふ

 いや、長い付き合いなんだよね。

 このお店とは。

 大学時代からだから…」


「え!?そんな頃から?」


「そんな頃って…

 いや、そんな頃なのか。

 20年以上経つんだもんな・・・」


「そうよ。

 たっちゃん、もう、りっぱなおじさんよ」


そう言って、女将さんがカウンター越しにコースターを置くと、

先生の前にビールの注がれたグラスを置き

私にウーロン茶の入ったグラスを置いてくれた。

私はそのグラスを受取り、小さく会釈した。


「そして、私はりっぱなおばあさん」


「えっ!?おばあさん!?」


私は反射的に女将さんの顔を見つめた。

女将さんは、私の目をじっと見つめ返して、

「だって、たっちゃんにとっちゃ、お母さんみたいなものだもの」

そう言うと、肩をすくめて笑った。

その笑顔は、可愛らしく、とても「おばあさん」には見えなかった。


「お若いです」


私は咄嗟にそう告げた。

「ふふふふふふ」

女将さんは優しく笑うと、「ありがとう」と言ってから、

落ち着いた身のこなしで、小鉢を並べた。


「お通しの瀬戸内産のタコとからし菜の酢味噌和えです。

 ごゆっくりどうぞ」


そう言うと、すっと奥に戻って行った。


「じゃ、いただこうか」

先生はグラスを持ち上げ、私を促した。


「は、はい」

私も、慌ててグラスを持ち上げた。


ふっと微笑むと、ちょっとグラスを上げて、

先生は、ビールを飲んだ。


私も、つられたように、グラスに口をつけた。

飲みなれているはずの、ウーロン茶が、特別な飲み物に思えた。


「大学は楽しい?」


先生は、おもむろに尋ねた。


「は、はい。

 2年になって、講義だけじゃなく、

 演習が始まって実験をするようになりました。

 予習や復習で、毎日忙しくなりましたけれど、

 充実しているように思います」


「ふーん。

 君は、本当に真面目なんだね」


先生は、小鉢に箸をつけた。

もちろん、バカにしているわけでも、

なんでもないことを、私は知っていたけれど、

なんだか、不本意だった。


「先生は、真面目じゃなかったんですか?」


「俺?

 学生時代か・・・そうだな…」


先生は、ふっと遠い目をした。


「真面目とか、不真面目とかいうより、

 粋がっていた、っていうか…

 なんていうか、努力すれば、

 なんでも手に入るような気になっていたっていうのかな。


 身の程知らずというか・・・」


ふふっと自嘲気味に小さく肩を揺らした。、

私は、ちょっとだけ、何かを間違えたような気がした。


「そんな時期なんだとは思うんだ。

 青年期っていう、

 大人の世界を模索する時期だろ。


 周りの大人がみんな、しょうもなく見えてさ、

 俺は違うんだって、そう思いたかったんだと思う。


 一途だったと言えば、一途だったよな」


女将さんが大きなお盆にお皿をいくつも載せてやってきた。

会話を邪魔しないように、慣れた手つきで小皿をそれぞれ客の前に並べる。

私たちの前に並べられたのは、サバの味噌煮だった。


「美味しそう・・・」


思わずつぶやいた。


「ははははっ。

 間違いなくうまいよ。

 ここの味噌煮は最高なんだ。

 今日はラッキーだったね。

 さあ、食べて」


「いただきます」


私は、割り箸を割ってから、

その身をほぐして、一切れ口に入れた。

鯖の身はどこまでも柔らかくて、

味噌の優しい味が口の中に広がった。


「美味しい!」


「そうだろ?

 昼は定食もやっていてさ、

 自炊の苦手な学生ばかりか、サラリーマンもよく来るんだよ」


先生が嬉しそうに話すのを見て、

私は、なんだかホッとした。


「ここで、栄養をつけて、健康管理されていたんですね」


「ふはは。

 そういうことだな。

 確かに、食事って大事だよな」


「はい」


「いつも、君の食事はお母さんが作ってくれるの?」


「そうです。

 すみません」


「何で謝るの?」


「だって、もうすぐ20歳だっていうのに、

 いつまでも親に世話してもらって・・・」


「いや、いいんじゃない。

 その世話が煩わしいって思わないんだったら。

 ありがたいことだしね」


「母からは、大学までって言われているんです。

 だから、それまでは、経済的に余裕が無いっていうのもあるんですけど

 世話になっておくつもりです」


「ふーん・・・」


「でもね、先生。

 今のうちに、母から料理の作り方を習っておくことにします。

 こんな風に、美味しい料理が作れたら、

 きっと、自分の疲れも、家族の疲れも、癒せるから」


「そうだな。

 うまい料理は、人の心を癒やす力が、たしかにあるかもな・・・」


その後も、美味しい料理が一品ずつ出されたけれど、

私たちの会話は、ぐるぐると周辺を回っているばかりだった。


先生の心の壁は想像以上に厚く、たかだか教え子として存在する私には

その中を垣間見ることもできないような予感がしていた。


先生は、自分の過去や家族に触れる話題は明らかに避け、

私の話をただ、ただ、どこまでも優しく聞いてくれていた。


楽しくなくは無いのに、泣きたいような気分だった。


随分、更新が滞ってしまい、失礼しました。

お読みくださっているあなたに、心から感謝申し上げます。

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