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第13話

咄嗟の私の一言に、先生はもちろん驚いて、

目を見開いて私を凝視した。


私は、先生の茶色がかった瞳から目を逸らすこともできず、

ただ、ただ、見つめ返すだけだった。

どれだけの時間、そうしていたのだろう。

自分のしたことの正否を確認する子どものように、

先生の目の前で、じっと先生の次の行動を待つしか無かった。


「…僕の話って…その…君は、どうして・・・」


数学はいつだって、正解があって、そうなることの理屈がある。

だから、こんな戸惑いを顕にした先生の態度は、

いつもの先生の講義姿からは想像もできないことだった。


けれど、先生は、拒絶はしていなかった。

それだけは、感じ取ることができた。


誰かが指でつついたら、はち切れてしまうくらい、

緊張と説明のできない感情で、私の中は充満していた。

でも、次の行動を決定した私の勇気は、

あるじの想像を超えた強さをもっていた。


「先生。

 この後、お急ぎの用事はありますか?」


私は、緊張とは真逆の状況にあるかのように、

ゆっくりと、まるで弟に何かを諭すときのように、たずねた。


「え?いや、特に…」


「でしたら、少し、お時間をください。

この近くに、喫茶店があります。

 そちらへ行きませんか?」


「あ、ああ。

 でも、君は…大丈夫なの?」


「はい。

 今日は、両親とも、遅くなるんで、

 もともと、夕飯を適当にすませるつもりだったんです」


たまたまのことだったけれど、それは、本当だった。


そしたら、先生の顔が、ほっと崩れた。

「かなわないな」とでも言うように、ちょっと苦笑いをしてから、

「だったら、ご飯を食べに行こう。

 こんな時間だし、コーヒーとケーキならさっき食べたもの。

 君は、まだ…」


「はい。

 まだ二十歳ではないですが、

 でも、大学の先輩や仲間と飲み会に行くことはあります。

 よければ、私の好みではなく、先生の好みの場所に行きたいです」


先生は、思いっきり苦笑した。

「僕には、人を見る目が無いようだ。

 君は、僕が思うよりずっと、何ていうか・・・」


「大人に見えますか?」


次の瞬間、先生は意地悪く笑って

「いや。大人っぽいというより、

 悪ガキに見える」

そう言うと、私の頭を指でつついた。


「じゃ、付き合ってもらおうか。

 僕がいつも行く、オヤジ臭い店に」


にっこりと笑って、先生はスタスタと歩き出した。

私は、その後を慌てて追いかけた。

先生に触れられた場所が、やけに脈を打った。



「いらっしゃい」


初老と言っていいのだろうか。

白髪交じりの、少し寂しくなった頭髪の男性が

振り向きざまに笑顔を見せた。


「こんばんは」


先生の声が、その店主と思しき男性の歓迎の声に

絶妙な間合いをもって呼応する。

おそらく、何度も交わしていることが伺える。

そこは、店主と同じくらい経験を経て、

いい感じに落ち着きを感じる居酒屋だった。

狭すぎることもなく、かといって広すぎもしない店内には、

常連らしいお客たちが、談笑していた。

圧倒的に男性客が多い。

昼間は定食屋をしているらしく、

壁の上方に各種定食の名前が書かれた紙が貼付されていた。


「あれ?

 今日は一人じゃないの?」


店主は、私の顔をじっと見つめたけれど、

それは、威圧よりも、温かみを感じさせる眼差しだった。


「ああ。

 僕が非常勤をしている大学の学生さんでね。

 今晩メシを一人で食べるっていうから、

 ついでに連れてきた」


「へぇ。

 珍しいこともあるもんだね。

 でも、教え子は大事にした方がいい。

 っていうか、世の中、子どもをもっと大事にした方がいい。

 

 じゃ、今日は、旨いものを食わせてやらないとね」


「ああ。いつも通り、お願いしますよ」


そう言うと、恐らくいつもの定位置なのだろう、

迷いなくカウンターの一番奥に向かった。

私は、置き去りにならないように、後を追いながらも


「あ、よろしくお願いします」とカウンターの向こう側にいる店主に

会釈をした。


「はいよ。

 ゆっくりしていってよ」


と笑顔を返してくれながら、

「でも、あまり遅くなりすぎないようにね」と

一言、付け足したところに、

なんだか、父親のような優しさを感じた。


「はい」それだけ返事をして、

藤原先生の隣の木製の椅子を引いて座った。


すかさず、女将さんらしき女性がお絞りを渡してくれる。


「たっちゃんは、ビールでいいのよね?

 お嬢さんは、ウーロン茶にする?」


「たっちゃん」が先生を差していることに気づくのに時間がかかり、

私は、一瞬、呆けてしまった。


「何がいい?」


「あ、はい。

えっと、ウーロン茶をください」


先生は戸惑う私に構わず、

「じゃ、ウーロン茶とビールで」

と注文した。


「はい、はい。

 それじゃ、いつもの通り、こちらのオススメでいいかしら?

 お腹の様子はどうです?」


すっと伝票に記載しながら、慣れた様子で食事の注文を確認する。


「僕は、いつも通りでいいけど、

 君は?」


「は、はい。

 私もいつも通りで!」


答えてしまってから、失敗したことに気づいた。


「あはははは」

藤原先生は、声を上げて笑った。


「了解。じゃ、『いつも通り』を確認するね。

 君は、よく食べる方?

 それとも、少食なの?」


笑われたことは恥ずかしかったけれど、

先生の笑顔が優しくて、なんだか嬉しくなる。


「割りと、食べる方だと思いますっ」


「ふふふふ」

私の返事に女将さんが優しく笑った。


「じゃ、『いつも通り』を二人前でいきますね」


そう言うと、すっとその場を離れていった。

他にもお客はいたけれど、

二人の空間がそこに取り残された。


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