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第12話

「あ、あの…今日の授業が終わったので、

 卒業研究のことでご相談に…」


あまりの気まずさから、咄嗟に用事を作ってみたけれど、

手にしているケーキの箱があまりにもチグハグなのに気づき


「つ、ついでに

よかったら一緒に、ケーキでもどうかなって思って…」


と慌てて取り繕った。


多分、全てお見通しだろうけれど、

槇村先生の瞳から厳しさが完全に消えて

そこには、いつもの穏やかに微笑む眼差しがあった。


「それは、わざわざありがとう。

 すまなかったね、ちょっと込み入った話をしていたものだから、

 君が来ていることに気づけなくて、

 それで、驚いてしまったんだ。

 でも、反対に君を驚かせてしまったね」

 

そのいつもの様子に、私は、少し安心した。

けれど、「込み入った話」を邪魔してしまったことを自覚した。


「すみません。

 大事なお話をお邪魔してしまいましたね。

 私、また、出なおして来ます」


「いや、いいんだ」


間髪をいれず、低く、優しく響く声がした。

もちろん、藤原先生の声だ。


「邪魔をしたのは僕の方だ。

 槇村先生は、君たち学生のためにいてくださる。

 卒業した、非常勤講師のためにいるんじゃない」


自嘲気味に、先生はそう言って微笑った。

その笑顔は、なんだか哀しげだった。


「藤原君。

 君の言う通り、彼女は何も邪魔などしていない。

 そして、君ももちろん、邪魔などしていない、

 ここに集う、誰が邪魔になどなるでしょうか。

 

 全てのタイミングは、人智を超えた存在の采配によるものです。

 そして、それを活かすか殺すかが、人智なのだと私は思います」


槇村先生の言葉に、藤原先生は、黙って俯いていた。

責めている訳ではなかったけれど、

そこには有無を言わさない、信念のような強さがあった。


私は、槇村先生に促されるまま、部屋の中に入って、

そして、お茶の準備をした。


気まずさを含んだ雰囲気を壊したのは、意外にも、

藤原先生だった。


「このケーキ、すごく美味しい!」


ただのカフェケーキだったけれど、

藤原先生は驚いたように声を上げて、次の一口を頬張った。


私は、なんだか、とても嬉しくなって、

つられたように、大きめの一口を口に入れた。


クリームの甘さと栗のほのかな渋みが絶妙な口当たりのよさとなっていた。

なめらかに舌の上でほどける甘さが、

緊張感を溶かしてくれるようだった。


「ふふふ

 そうでしたね。藤原くんは甘党でした。

 でも、確かに、このケーキはよくできていますね。

 とても美味しい」


「あ、ありがとうございます。

 先生方に喜んでもらえて、嬉しいです」


「2つではなく、3つ購入して来てくれたのは、

 國枝さんの機転の良さなんでしょうね」


「えっ!?

 あ、いえ、その…」


私は、危うく喉を詰まらせそうになった。

槇村先生の指導を受けに来たといいながら、

2つではなく、3つのケーキを買ったことに

私の魂胆が透けて見える。

私は、真っ赤になって、ベストな、いやベターな回答を探した。


「ふふふふふ

 藤原くん。


 君は非常勤として働きながら、

 確実に学生の信頼を獲得していると思うよ。


 それは素晴らしいこと。

 過去がどうであれ、人が生きているのは今であり、未来だ。

 このケーキのように、どんな時だって、

 美味いものを食べればうまいし、幸せを感じる。

 そうやって、人は誰しも、傷をいっぱい負いながらも前を向いて歩いて行くんだ。

 今を精一杯生きる他に、我々に何ができるだろう」


「先生…」


藤原先生の顔が、困ったように歪みながらも

安堵の表情が含まれているのを私は見逃さなかった。


そこには、私の入れない世界、

土足で入ってはいけない世界がありそうだったから、

私は、ただ、黙ってフォークを進め、ちょっと渋目の紅茶を飲み干した。


「さあ、ティータイムが終わったら、

 これまでの進捗状況を報告してもらおうか?」


槇村先生は、そう言うと、にやっと微笑った。

多分、私が藤原先生に会いに来たことを百も承知なのだろう。

ああ、やっぱりこの先生には敵わない。

そう思いながら、「はい。その前に後片付けします」と答えて、

トレーに空いたお皿とティーカップを載せた。




駅までは同じだからと、私は藤原先生と並んで歩いた。

先生は長身で、私の背丈は先生の肩の辺りまでしか無い。

横並びなのも手伝って、先生の声は上から降ってくるようだった。


「國枝さんは、将来、何になりたいの?」


「はい。

 実はまだ、決めかねています」


「うん」


「特に、何かになりたくて、大学を選んだ訳ではなかったので、

 『普通に』皆と同じように沢山の企業を就活して、

 どこか企業に就職して、そして結婚して、退職して・・・

 うちのお母さんみたいになるのかなって」


「お母さん、働いていたんだ?」


「ええ。

 サラリーマンの父とは職場結婚で、

 弟を妊娠してから退職しました。

 で、家を買ったローンを返済するために

 パートタイムで働きながら、家計を助けてくれていました」


「ふう…ん」


「あ、こんな話、面白くないですよね。

 どこにでもいる、平凡な家庭の、平凡な娘の話…」


「いや、そんなことないよ。

 平凡だなんて、実は、一つも存在していないんじゃないかな。

 君のような健やかな娘さんが育ったってことは、

 素晴らしい家庭だったってことで…」


「そう、ですかね…?」


「ああ。

 少なくとも僕には、そう思える」


その言葉には、なんだか、少し切なさが含まれているように感じた。


地下鉄へと続く階段の入り口が見える。

これを降りたら、さよならだ。


私は、思わず立ち止まった。


「どうしたの?」


一歩先に立った先生が振り返って私を見た。

その瞳は、柔らかくて、深くて、

私の中の、何かを揺すぶった。


「先生。

 お時間、ありませんか?

 私、先生のお話が聞きたいです。


 私じゃ先生の話し相手になれませんか?」


私は生まれて初めて、大胆な行動に出た。


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