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第1章 #1

2016/10/27 改稿

 王都から離れ、いくつかの町を経由しつつ、馬車を乗り換えつつ、数日をかけて西に向かった。

 まだ暗く、空気も凍てつくような、まだ暗い冬の明け方近くのある朝であった。馬車を降りると、寒い中馬車を走らせ続けてくれた御者に礼を言い、馬車を離れた。すぐに馬車はどこかに行ってしまった。

 馬車に一晩揺られて辿り着いたそこは、ミスラの隣国ハイベルクの、トヴァリというそれなりに大きな街だった。その街でひときわ目立つのは、トヴァリ大聖堂の二つ並びの尖塔だった。巨大で荘厳な、精密に計算された聖堂は、技術の粋の結晶だったそうだ。

 リーゼはユリベートに連れられて、その聖堂へ向かった。


 彼が説明するには、ハイベルクの中枢からも離れていたほうが良い、そしてここの司教とは親交がある、とのことであった。

 また、あの悪魔に憑かれた祭司、アルザスの一件を報告するにも、ここは都合がよいとも言っていた。

 まだ暗いからなのか、それとも寒いからなのか、朝はほとんど人通りがない。見た限り雪が降ってはいなかったが、稀に大雪になることがあるそうだ。

 トヴァリの町を貫くように広い川が走っていた。リーゼとユリベートはその橋に掛かる橋を渡り始めた。

 その橋は中州を経由している。その中州に、トヴァリ町が誇る大聖堂は立地していた。

「なんでも、ある建築家がこの町の出身だったそうですよ」

 とさらにユリベートはリーゼに説明した。


 まだ時間が早かったのだろうか、大聖堂前の門はまだ閉じられていた。門の傍にある出入り口の扉を数回叩いたが、返事はなかった。寒い中このまま門が開くのを待つのは苦痛だった。一種の試練だと思って耐えしのごうかと考えていると、ある男がリーゼに声を掛けてきた。

「ここに、何かご用ですか?」

 リーゼは頷いて、少し残念そうにして言葉を返した。

「ええ、でも、まだ早かったようなのです」

「そうですか……。寒いでしょう、裏口から入れますよ。……案内しましょう」

 リーゼとユリベートはその男の案内に付き従って教会の敷地に入ることにした。裏口といってもいくつかあるらしい。リーゼたちは隣にある建物――どうやら祭司たちが寝食を行う建物らしい――の小さな入り口から入ることができた。


 どうやら男は教会の祭司であったらしく、暖炉の入った部屋に二人を通した。外の寒さとは打って変わって、燃え盛る暖炉の火が頬を焦がした。

 しばらく待っていると、先程の男が再びリーゼ達の前に現れた。やはり、というべきか、その男は祭司の服装で登場し、初対面であるリーゼに対しクラウスと名乗った。

「ここトヴァリ司教座を任されています。今日はどういったご用件でしょう?」

 クラウスはユリベートに目線を向けた。彼は慣れた口調で事の成り行きを説明し、リーゼはそれに時折相槌を打った。

 一通り説明を受けたクラウスは、目線をリーゼに向け、じっと観察し始めた。その目線が余りに直接的だったために、リーゼは少々たじろいでしまった。

「ああ、これは失礼をしました。……この方が、王女殿下で間違いないのだな、ユリベート」

「はい。……証拠もありますよ」

 ユリベートはリーゼの所持品をいくつかクラウスに見せた。クラウスそれらを眺めてうんうんと頷いた。

「まあ、すぐに真偽は分かる……」

 と、クラウスはリーゼの目を見た。

「所で、悪魔憑きの祭司の話だが……」

「ええ、場所を変えましょうか。……ああ、殿下はお疲れでしょうから、こちらでお休みになっていてください。この部屋のほうが暖かいですし……」


 やはり私も行こうか、と、ユリベートに言ったが、なぜか、いつもよりは強い調子で断られた。どうして席を移して話す必要があるのかリーゼには分からなかった。もしかしたら、教会の醜聞が広まるのを恐れたのかもしれない、とリーゼは考えた。

 リーゼはその部屋にあった本棚に目を留めた。1、2、と巻数が振られたそれは、教典だった。教典は全七巻。しかし、6の数字が書かれた教典、第六巻がそこにはない。いや、おそらくどこを探してもないだろう。

 正典の第六巻は、その原本がまだ見つかっていないのだ。本来あるべき、教皇領の神体大聖堂にすらも、なかったのだ。よって正典は、まだ完全な姿が分かっていなかった。人々は、その未発見の第六巻をこう呼んだ。“失われた正典ロスト・ナンバー・カノン”と。

 リーゼが並べられた正典のうちどれかを手に取ってみようか、と考えていると、この教会で奉仕しているらしい女性が、リーゼに茶を持ってきてくれた。なんだか申し訳ない気分になり、リーゼは丁重に彼女に礼をいった。


 教会で奉仕している女性からありがたくいただいた茶を飲み終えたとき、ユリベートが戻ってきた。この頃には日が昇って昼間の半分ほど明るくなっていた。

 彼がリーゼに報告したのは、リーゼはここに残ることになったこと、アルザスは処分されること、そして彼自身はここを離れる、ということだった。そういえば彼もリーゼを逃がしたことで王国に追われることになるのは間違いない。それから逃げる意味もあるのだろう。彼はミスラ王国の外に行くらしい。

「そうか……、今までありがとう、ユリベート・マチメーティケル。今私がここにいるのは其方のおかげだ、礼を言わせてもらう」

「ありがとうございます、殿下。……最後に、ここの朝の礼拝にお供しましょう」

 大聖堂の鐘の音と共に、二人は聖堂へと向かった。もちろん一度外に出て、正面の入り口から入った。

 大司教座というだけのことはあって、聖堂の中は朝の礼拝に訪れた人で溢れていた。その人達は騒々しくあれこれと口を開いていたものの、祈りが始まると一変して静まり返った。

 リーゼも隣のユリベートとともに祈りを捧げた。もちろん、行ってしまうユリベートのことを含めて。


 いつの間にかあたりが騒がしくなっていた。どうやら朝の礼拝は終わっていたらしい。リーゼの意識は祈りを捧げるうちにさまよい出てしまったようだ。リーゼは聖堂から出ていく人の流れにのって外に出ようとした。

 ふと、向かい側から歩いてくる少女と目が合った。濁りのない青い瞳と、珍しいプラチナブロンドの髪色が目に焼きついた。一瞬で把握できたのはそれだけだったが、その印象はリーゼに刻まれて消えることはなかった。すぐにその少女はリーゼから目を離して、リーゼの前を通り過ぎ、あっという間に雑踏の中に消えてしまった。同じ年頃だろうか。顔つきはリーゼよりも少し幼かったようにも見えた。それがアーデルハイトと重なったせいだろうか、馴染みがあるような気がした。


 リーゼたちが聖堂から出るのは、ほとんど人がいなくなってからになってしまった。

 ユリベートは、言ってしまう前にリーゼの身を預かる者のところに案内する、と言った。彼が連れて行ってくれたのは、聖堂からは少しだけ離れている白い建物だった。

「ここで、そうですね……使用人のような仕事をして、隠れ住んでいただきます、中にいる司教が詳しい話をするでしょう……。そして、私はこれでお別れです、リーゼ=マーキュリウム=ミスラ王女殿下」

「さようなら。改めて言わせてもらう、ありがとう、私を助けてくれた恩は忘れない。……どうか達者で」


 そんな挨拶を交わすと、ユリベートはコートの裾を翻して、リーゼの前から去っていった。ユリベートが去って、リーゼは急に寂しくなった。今になって、リーゼの顔馴染みがいない、という当然の事実に気付かされた。別段一人でいるのは構わないが、いつも一人でいるのは辛い。打ち解けて話せる話し相手は、精神の健康に必要だ。新しい相手は、作るほかない。


 そういうわけで、ユリベートに案内された白い建物にリーゼは入った。ユリベートの話では、ここの司教に話を聞けばいいらしい。どうして彼はそこまで案内してくれなかったのだろうか。ユリベートにも無論事情はあったのだろうが、そんな不満が少々リーゼの心の中に浮かんだ。

 どちらに行けばよいのか分からずに入り口であたりを伺っていると、リーゼは突然横から呼び止められた。

「そこの貴女……そうよ、貴女よ。貴女が、あの大司教様の言っていた子でしょう?今朝来た、っていう」

 リーゼは、はい、と返事をした。入り口でリーゼと呼び止めたのは、女だった。りーぜよりも暗い、黒に近い茶色の髪を後ろで一つに縛り、見かけない服を着ていた。何より見慣れないのは、腰に提げられている剣だった。その女は、立ち上がってリーゼをまたまた別の部屋へと連れて行った。

 本当に今日はたらいまわしな日だ、とリーゼはため息をついた。

「いるんでしょう?アーベル司教?例の子を連れてきたんだけれど?」

「わかっていますよ、フローリス?大司教が即断で決めなさったので、まだ書類ができていないのですよ。まさか今朝、夜も明けぬうちに来て、礼拝が終わり次第ですからね。……ああ!決してお嬢さんに文句を言っているわけではありませんよ?リーゼ・ジオニアさん?」

 ジオニア、というのは、リーゼがここに勤めるのにあたって与えられた姓らしかった。

 そして、女の名前はフローリス、目の前でペンを走らせているのがアーベル司教と言うらしい。

「あの、ここはいったい何なのでしょうか?私もよくわからないままここに行きなさいといわれたものですから……」

 リーゼが遠慮がちに言うと、フローリスが一間置いて答えてくれた。

「私たちの仕事は、簡単にいうと、闇の者、悪霊や悪魔を退治すること。そう、いわゆる退魔師ね。ここはその退魔師が済んでいる館ね。貴女にやってもらうのは、この館の掃除と、まあ、その他諸々ね。ここの退魔師そんなに何人もいる訳じゃないの、そう、十人ちょっとね。だけど、無駄にこの館は広いから、掃除は頑張ってね。ええ、もちろん貴女一人じゃないいから安心して、リーゼ、でいいのかしら?」

 フローリスが説明し終えると、ちょうどアーベルが書類を書き終わったようだった。アーベルは、そこに書かれたリーゼの役を読み上げた。トヴァリ大司教区大司教座付属退魔師・雑務兼魔法予備員。

 それが今のリーゼに与えられた職だった。

「ようこそ、リーゼさん」

 リーゼの今後は、こんなふうにしてあっさりと決められてしまった。



 その後、今朝の食事の余りというものを胃の中に入れた。これからはこれを自分がしたくすることになるのか、と思うと少し特別なものを感じた。

 フローリスが、リーゼに与えられた部屋まで案内してくれた。そこは二人部屋で、王宮の部屋よりはもちろん狭かったが、普通に過ごせる空間は確保されていた。相部屋といっても、部屋の一部はカーテンで二つに仕切れるようになっていて、片方はすでに誰かが使っていた。

「ああ、いないと思ったら、お使いに行かせたのでしたね」

 フローリスの言葉は、リーゼと相部屋になるべき人のことを指しているらしい。いったいどんな人なのだろうかと、若干不安になった。

「大丈夫ですよ、リーゼと多分同い年だから……リーゼ、あなた、十五歳でいいのよね……。そう、それなら話も合うわね」

 これから同じ部屋でベッドに入ることになるのだ。気が合う相手でならそのほうがいい。

「そうそう、着替えたほうがいいわ。この後すぐに掃除とかをさせるかもしれないし……ああ、あなた、着替えもろくに持たずにご主人さまの所から逃げ出してきた使用人、だったわね」

 そんな筋書きにしたのか、とリーゼは感心した。なかなか上手くごまかせている気がした。だが、主人から逃げ出してきた、不行状のようで少し面白くなかった。

 フローリスは、今ここにいないリーゼの相部屋の人が使っているクローゼットから、掃除にあう衣装を取り出した。そんなことをして大丈夫か、と聞くと、「大丈夫よ、予備があるのよ」と返ってきた。


 リーゼは自分が今夜寝ることになるだろうベッドのあたりで着替えを済ませた。

「次はあなたの仕事仲間を紹介するわ、まあ、今ひとりお使いに行ってるけど。これから紹介するのはそもう一人のほうよ」

 そう言われてフローリスについていくと、廊下で掃除をしている少年の所に辿り着いた。その少年は、フローリスと、リーゼを見て掃除の手を止めた。

「フローリスさん?どうかしたんですか……」

 フローリスはリーゼの肩を叩いて、手でしぐさをしてリーゼに自己紹介を促した。

「私は、リーゼ、リーゼ・ジオニアです。これからここで働くことになって……よろしく」

「要するに新入りよ。喜びなさい……次はお前よ」

「わかったよ。……僕はベルだ。よろしく、リーゼ」

 その様子を見届けたフローリスは、リーゼの顔を見、ふむ、と頷いた。

「早速だけど、この際だから、もうベルとこのあたりの掃除をして頂戴。何か困ったことがあったら彼にでも聞いて。……私にも自分の仕事があるの」

 それだけ言って、彼女は回廊を曲がってリーゼの視界から姿を消した。

 早速リーゼはベルにここの掃除のやり方を聞き、二つに分けて掃除を始めることにした。当然ながら、リーゼはこういう事に慣れていなかった。王宮の生活は、どれだけひどくても温室だったということを少し感じさせられた。リーゼの掃除が余りに遅かったものだから、「本当は使えなさ過ぎて、主人に追い出されたんじゃないのか」とからかわれた。だが、すぐにそれなりの速さにはなった。


 一階の廊下を終えると、一度休憩だ、とベルが言った。外に出て、ベルは石段の部分に腰を下ろした。リーゼも遠慮がちにそうした。

「あいつ、遅いな……。どこまで行ったんだ?」

「もう一人のこと?」

 ベルは頷いた。その子が朝からいないせいで、今日の掃除はどうなるのかと途方にくれていたそうだ。だがそこにリーゼが入ったので、その心配がないと喜んでいた。明日からはもっと楽になるな、とベルが空に向けてつぶやいていた。

 それにつられて空を見ると、王都では冬の間あまり見られない澄んだ青空がいっぱいに広がっていた。おかげでむしろ、妹やユリベートが恋しくなってしまった。未練がましいことだ、と分かっていたが、理性でこの気分を追い払えるならそうしているだろう。

「リーゼは王都からきたんだよね?……冬の王都は曇りの日ばかりで、暗い街だって聞いてるよ」

「確かに……そうだな。曇りばかりだと気が滅入る。春になれば、花がこれでもかと咲いて明るくなるのだが……」

「王都は石畳の道ばかりじゃあなかった?どこに花園が……ああ、お前が使われていた家にあるのか……」

 危うくぼろが出てしまうところだった。ベルが勝手に納得したので、リーゼは胸をなでおろした。実際、リーゼが見てきた王広大な都の庭には、千、万もの花が咲き誇るのだ。リーゼが王宮内で心を落ち着かせることのできる少ない場所でもあった。木陰で花々を見ているうちに、何度かうたた寝していたこともあった。

「どうしてその主人の所から逃げ出してきたの?やっぱり逆で、追い出された?」

「……君には関係ないよ」

 図星だ、とベルはからかったきり、二人は再び床磨きをはじめるまで言葉を交わすことはなかった。そして、それは程なくして終了し、その時、昼までまだ若干時間があった。


 急に解放されたリーゼは、手持ち無沙汰ながら館の外を歩いた。ふらふらと寂しさを紛らすように歩いていると、大聖堂の入り口が開いていてリーゼを招いていた。リーゼは大聖堂前の石段を上がり、王宮の大扉に匹敵する大きさのそれをくぐり抜けた。そこは朝と変わらず薄暗い。司教が正面にいなくとも、その厳かさは消えることがない。

 ここにいるのはリーゼだけかと思ったが、中央で祈りを捧げる少女が目に入った。

 プラチナブロンドの髪色をした。それだけでリーゼは直感した。そう、先程リーゼがこの聖堂を出るときに見た少女だ、と。

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