第2章 #21
リーゼが国王ユリウスからランゲン救援の命を受けた翌日、リーゼは馬車に揺られながらそのランゲンへ向かっていた。リーゼの乗る馬車にはアンネが同乗していた。
「結局、クララの墓に献花もできぬままだった」
例の事件の実行犯としてリーゼと同じく濡れ衣を着せられ自殺に見せかけられて殺されたクララの葬儀は、一連の騒ぎの裏で親族と親しい者を集めてひっそりと行われていた。
「……帰ったら、今度こそ参りましょう」
「行こう」
彼女の家族に何か言われるか、あるいは断られるかもしれないが、だからと言って始めから行かないというのはそれこそ不誠実なことだ、とリーゼは考えた。
甲高い笛の音が唐突に聞こえた。隊列の先頭が何かを見つけて後続を止めたのだ。護衛のうち二人が前のほうへ向かった。護衛には例によってエドヴィン、ネスター、ルーマーの三人が参加していた。しばらくすると前へ行ったエドヴィンがリーゼのもとに報告にやってきた。
「悪魔を何匹か探知したようですが、ヨセフ様が追い払いました」
リーゼが了承すると、エドヴィンは隊列のもとの位置へと戻っていった。
王都からランゲンまでは、数日かかる道のりである。道中では貴族の屋敷や教会で宿をとるのが通例であった。一日目はとある貴族の家に世話になることになっていた。この家はミスラ王家と親しく、王家の者が遠出する際にはよく利用されていた。もちろんリーゼも例外ではなく、何度か訪れたことがあった。
夜寝る前にリーゼが談話室で体を休めていると、真剣な面持ちのラマンに声をかけられた。
「殿下、少しよろしいでしょうか」
一体こんな時に何事だろうか、とリーゼは背筋を伸ばし身構えた。
「はい、何でしょう」
「殿下もすでにご存じかと思いますが、クレーピアスの現当主、ヴァレリエーナのご子息には、ヘリウスという男がいます」
「名前は存じておりますが……」
「はい、そのヘリウスですが、王宮内部では殿下の結婚相手の候補の一人として挙げられています」
「結婚相手……」
リーゼの体が水を含んだ布のように重くなった。将来の伴侶を国王である父と臣下が決めることは、継承順位最上位の王女という立場上仕方のないことであるとリーゼは理解していた。しかし当然それとリーゼの心情との間には大河のごとき隔たりがあった。望まぬ結婚相手を好きになれる気は全くしなかったし、そのうえろくでもない人間であったりしないかと不安もあった。
「この機会に親交を深めて頂くのがよいでしょう」
ラマンがわざわざこのように言うのも、この心情を把握してのことだろうとリーゼは感じていた。
「どんな人なのですか、そのヘリウスという人は」
「武術に秀でており、今回の悪魔の襲撃に対しても積極的に前線で指揮を執るなど、優れた人物です」
リーゼは一瞬目線を落とした後、声を明るくさせて言った。
「……わかった。ありがとう……。陛下が期待するのも理解できます」
ラマンにこんなことを聞いたところで意味はないな、とリーゼは断念した。笑みを作って受け入れた様子を見せると、彼は一礼して立ち去って行った。真実は自分で直接見て判断すればいい、悪い人間なら、陛下たちが聞き入れるかわからないが、候補から外すよう頼むしかない、とリーゼは思案した。
リーゼも談話室を抜けようとすると、偶然その場にいたネスターと目が合った。
「ネスター、何かあるのか?」
彼は一瞬うろたえた様子を見せながらも、こう答えた。
「ヘリウスという人ですが……多少うぬぼれたところがあると聞いたことがあります……。あくまで噂ですよ、ええ、噂です……」
「噂……か。よっぽどありそうな話だ……。ありがとう、ネスター」
暗い廊下へ出ると、頭が急に重くなったリーゼは、そのまままっすぐ眠りについた。
ランゲンの町に近づくと、悪魔の襲撃を受け続ける町から避難しようとする人々と何度かすれ違った。それらはリーゼに奇異の目を向けた。
「あれは誰なんだい?」
そんな声が耳に入ってきた。そのあとは何か言ったかどうかも聞き取れなかった。
町の中に入ってみると、意外に平常を保っているように見えた。
クレーピアス領主ヴァレリエーナ女伯爵が滞在する屋敷に到着すると、そのヴァレリエーナ自身が出迎えをしてくれた。
「ご足労いただきありがとうございます。リーゼ・マーキュリウム王女。それに、ヨセフ・ローザンヌ公も……」
彼女は初めの一瞬笑みを浮かべたが、すぐに表情を固くした。悪魔の対処に追われて気苦労が絶えないのだろうとリーゼは推察した。
「こちらこそ、大変な時にわざわざ迎えていただきありがとうございます。この地の脅威を除いてみせます」
「王都からの長旅でお疲れでしょう。まずは体をお休めください、殿下」
リーゼらの一行は旅の荷物をそれぞれの部屋に運び込み、それからヴァレリエーナの厚意に従ってしばらく部屋で休みを取った。




