第2章 #16
昼下がりの灰色の雲がたれ込めてきた頃、リーリヤがリーゼの部屋を訪れた。リーリヤは部屋に足を踏み入れた時から一言も発さず、リーゼの傍らまでやって来た。リーゼはそれが計画実行の知らせだとすぐに理解した。
「行くのか、リーリヤ」
「ええ」
それを合図にリーゼは立ち上がり、リーリヤの後ろに続いてザハールが療養している部屋へと向かった。リーゼが今間借りしている部屋から見て、ザハールの部屋は屋敷の反対側にある。
「静かだな……、ご両親は今出かけているのか?」
「ええ、今日は夜まで帰ってこない予定よ」
やがて二人の前に重厚な扉が現れた。今この扉は魔術で封印されており、その魔術鍵を渡されたザハールの世話人たち以外は通ることが出来ない。リーリヤは扉の前に立つと、何も言わず封印を解除するための術を発動させた。
「封印を解除するとご両親に気づかれると言っていなかったか?」
「この屋敷から離れていれば気付かないでしょう」
リーリヤの展開した術が封印の術と干渉し始めた。リーゼにはそれ以上のことは分からなかったが、しばらく術が動くのを眺めていると、封印の術が解除され魔法陣は光を失った。封印が解けた扉をくぐるとあの独特の魔術臭さが漂ってきた。さらに奥に進みザハールの部屋に入ると、使用人が部屋に残って仕事をしていた。使用人は二人を見るなり戸惑った表情を見せた。
「リーリヤ様、なぜここに……それに、後ろにいらっしゃるのは……」
「悪いけど、外してもらえるかしら」
「ですが……ヨセフ様は……」
リーリヤは渋る使用人を無理やり退出させた。そして、今度は誰も通れないように手を加えて扉の封印術を再度展開し、ザハールのいる部屋へと戻ってきた。
「一体何をするんだ?」
「この不自由な暮らしから兄さんを解放します」
半身をベッドから起こしたザハールをリーリヤは再び寝かせ、そこへリーゼを手招きした。
「さあ始めましょう、殿下」
「ああ」
リーゼは目を閉じ呼吸を落ち着かせると、練習通りに悪魔の除去を開始した。まずザハールの魔術系に寄生している悪魔を探す。“銀の心臓”の能力を用いれば、通常では容易ではないこの悪魔探しも指を折って数えるだけに等しい作業である。
「6か所もある」
悪魔はザハールの身体のあちこちにいた。練習で想定していたより複雑な状況にリーゼは少し焦りを覚えた。
「同時に6か所……危険だけどやるしかないか」
とリーリヤが言った。しかし想定していた方法では1つずつ潰すのにも問題があった。現在ザハールの体内の悪魔は魔術系と共に凍結された状態にある。この状態では、“銀の心臓”の能力で作り出した聖なる魔力の剣を悪魔に使用しても意味を為さない。単に凍ったままの悪魔を二つに切り分けるだけに過ぎない。そこで、魔術系の凍結を解除し、それを受けて悪魔が有機的に動き出した時点において“銀の心臓”の力を使う。これによって悪魔の全体に対して、毒が回るように、“銀の心臓”の力が有効に作用し、悪魔を除去ことが出来る。しかし、当然凍結の解除後に悪魔は活動を再開し、寄生主を蝕む。したがって凍結解除後短時間のうちに悪魔を除去しなければならない。そして今のザハールのように複数個所に悪魔が寄生している場合、魔術系の特定箇所のみを凍結解除することはできないため、同時に活発化する悪魔をほとんど同時に除去する必要がある。
これは容易ではないな、とリーゼが身構えていると、緊張しているのを表情から読み取られたのか、横になっているザハールと目が合った。
「どうするんだ?」
とリーゼは尋ねた。
「大丈夫よ。方法はある」
リーリヤはザハールの魔術経路、それもちょうど悪魔が寄生している箇所に対して次々と手を加えていった。悪魔が寄生しているところを回り道するように一時的な魔術経路を形成し、魔術系の凍結解除時にもその回り道の経路に魔力が流れるようにする。これによって悪魔の存在する部分は凍結された状態を維持することが出来る。そしてある場所の回り道を止めることで、その悪魔だけ凍結が解除されるようになり、一体ずつ悪魔を処理できるようになる。
「あとは練習通りにやって。あなたは“銀の心臓”の力を使うのに集中すればいい。細かいのは全部私がやる」
リーゼがそれを了承すると、リーリヤはザハールを眠らせる魔術を使用した。これは魔術系を外部から操作する際の身体への悪影響を防ぐためである。
「目が覚めた時には全てが良くなっているわ、兄さん」
「……そうであることを祈るよ」
彼が眠りにつくと、リーリヤは魔術系に細工を施し、後をリーゼに託した。リーゼは慎重に一体目の悪魔の処理に取り掛かった。手順を都度丁寧に確認していたためある程度時間を要してしまった。しかし、二体目からはリーゼも手馴れてきて一体一体の処理にかかる時間を短縮することが出来た。リーリヤはザハールの体を壊さないように、魔術系を制御する一方で、リーゼの仕事ぶりを観察しては時折リーゼに助言を与えた。




